再出発日記

2015/05/12(火)15:06

鼠の歌 自分評伝の試み まえがき

鼠の歌(5)

「鼠の歌」まえがき 「10周年」の記事で予告したとおり、「鼠の歌」の連載を始めたい。久しぶりに左の「カテゴリー」に「鼠の歌」を追加します。連載はチョー不定期になります。要はネタが無くなった時の埋め合わせという位置づけです(しばらく旅行記がないので(^_^;)。 加藤周一「羊の歌」の向こうを張って、このような題名をつけたときに、当然なぜ鼠なのか、ということはバレバレだと思っていたのだが、ピンとくる人が意外にもいなかったので蛇足ながら説明する。 「中肉中背、富まず、貧ならず、言語と知識は、半ば和風に半ば洋風をつき混ぜ、宗教は神仏のいずれも信ぜず、天下の政事については、みずから青雲の志を抱かず、道徳的価値については、相対主義をとる。人種的偏見はほとんどない。芸術は大いにこれをたのしむが、みずから画筆に親しみ、奏楽に興ずるには至らない。こういう日本人が成り立ったのは、どういう条件のもとにおいてであったか。私は例を私自身にとって、そのことを語ろうとした。 題して「羊の歌」というのは、羊の年に生まれたからであり、またおだやかな性質の羊に通うところもなくはないと思われたからである。」(岩波新書「羊の歌」あとがきより) 題して「鼠の歌」というのは、鼠の年に生まれたからであり、またあまり清潔ではない処を棲家とし、行動範囲は狭く、そして視野も狭い鼠に通うところもなくはないと思われたからである。 もちろん私は、加藤周一よりも三段階ぐらい目標を下げて始めなければならない。日本人とは何か、とか、私を語りながら時代を語るという離れ業はするつもりはない。自分史を語るつもりもない。ただ今回「出土」した、小学校、中学校、高校の記録の断片を、今の私はほとんど初めて見るかのように見ることが出来るし、しかも私が書いたのだから、思い出せば他の人よりも詳しく解説出来る立場にある。考古学遺物は普通の人が見れば単なる土塊だが、見る人が見れば、当時の時代や人々のきもちを鮮やかに浮かび上がらせる機能を持つ。そういうことを試して見れば、何らかの「発見」があるのではないかと思ったのである。面白いのではないか、と。 「自分評伝の試み」と副題を付けた所以である。

続きを読む

このブログでよく読まれている記事

もっと見る

総合記事ランキング

もっと見る