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カテゴリ:鼠の歌
「鼠の歌」まえがき
「10周年」の記事で予告したとおり、「鼠の歌」の連載を始めたい。久しぶりに左の「カテゴリー」に「鼠の歌」を追加します。連載はチョー不定期になります。要はネタが無くなった時の埋め合わせという位置づけです(しばらく旅行記がないので(^_^;)。 加藤周一「羊の歌」の向こうを張って、このような題名をつけたときに、当然なぜ鼠なのか、ということはバレバレだと思っていたのだが、ピンとくる人が意外にもいなかったので蛇足ながら説明する。 「中肉中背、富まず、貧ならず、言語と知識は、半ば和風に半ば洋風をつき混ぜ、宗教は神仏のいずれも信ぜず、天下の政事については、みずから青雲の志を抱かず、道徳的価値については、相対主義をとる。人種的偏見はほとんどない。芸術は大いにこれをたのしむが、みずから画筆に親しみ、奏楽に興ずるには至らない。こういう日本人が成り立ったのは、どういう条件のもとにおいてであったか。私は例を私自身にとって、そのことを語ろうとした。 題して「羊の歌」というのは、羊の年に生まれたからであり、またおだやかな性質の羊に通うところもなくはないと思われたからである。」(岩波新書「羊の歌」あとがきより) 題して「鼠の歌」というのは、鼠の年に生まれたからであり、またあまり清潔ではない処を棲家とし、行動範囲は狭く、そして視野も狭い鼠に通うところもなくはないと思われたからである。 もちろん私は、加藤周一よりも三段階ぐらい目標を下げて始めなければならない。日本人とは何か、とか、私を語りながら時代を語るという離れ業はするつもりはない。自分史を語るつもりもない。ただ今回「出土」した、小学校、中学校、高校の記録の断片を、今の私はほとんど初めて見るかのように見ることが出来るし、しかも私が書いたのだから、思い出せば他の人よりも詳しく解説出来る立場にある。考古学遺物は普通の人が見れば単なる土塊だが、見る人が見れば、当時の時代や人々のきもちを鮮やかに浮かび上がらせる機能を持つ。そういうことを試して見れば、何らかの「発見」があるのではないかと思ったのである。面白いのではないか、と。 「自分評伝の試み」と副題を付けた所以である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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私の場合は、「牛の歌」となります。星座で言うと、「山羊の歌」。
幼少期の事は鮮明に覚えている場合と、まったく記憶にないこととの両極端に分かれます。私の場合、「資料」が皆無なので、幼少期のことを書くとなると、「ねつ造された記憶」のオンパレードになりそうです。うらやましい限りです。どっかから出て来ないかな・・。 (2015年05月12日 17時44分55秒)
まろ0301さん
> 私の場合は、「牛の歌」となります。星座で言うと、「山羊の歌」。 > 幼少期の事は鮮明に覚えている場合と、まったく記憶にないこととの両極端に分かれます。私の場合、「資料」が皆無なので、幼少期のことを書くとなると、「ねつ造された記憶」のオンパレードになりそうです。うらやましい限りです。どっかから出て来ないかな・・。 ----- 幼少期の「遺物」は小さなノート4冊だけなので、さらっと済まそうと思ったのですが、そんなことを言われるとだんだん膨らんできました(^_^;) (2015年05月13日 18時19分23秒)
嫌好法師さん
>KUMAさんの幼少年時代、興味あります。 >時に風土の描写も入れてお願いします。 > >私は「蛇の歌」。タイトルからして誰も見向きもしませんや。 ----- 「蛇の歌」いいじゃないですか。「鼠の歌」もなかなかひどいですよ。 あくまで「遺物」感想記のつもりだったのですが、そんなことを言われるとちょっと膨らんできてしまいました。 (2015年05月13日 18時23分25秒) |
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