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カテゴリ:読書フィクション(12~)
「桜ほうさら(上)」宮部みゆき PHP文庫 私と同じ歳宮部みゆきの作品は、文庫本になったもので既に図書館で読んでいるのを除けば、全て買うことにしている。 ファンである。だからこそ、評価は厳しい。これは宮部版「用心棒日月抄」である。地方の藩のお家騒動に巻き込まれた青年が、江戸の長屋暮しをしていろんな事件を解決する。長屋の住民、江戸の世話人、腕のたつ友人、魅力的な女性との出会い。そしてやがて元の藩の事件の真相が暴かれる。藤沢周平の名作とこっちが違うのは、主人公が腕の立つ剣士ではなく、少し頭の切れる優男である、という処だろうか。つまり草食男子、切った張ったは無い。現代的なのである。 藤沢周平の短編が小気味良く好漢青江又八郎の活躍を水墨画のように描き止めたのに対して、宮部みゆきのそれは表紙にも描かれているようにほんわかで、南画のようというよりか、絵巻物みたいになって落としどころがピリリとしない。 ただ、描写力は相変わらず安定している。ちょっと話はずれるが、この作品には北方謙三「水滸伝」で活躍する文書偽造の天才蕭譲のような人物が登場する。この人物が誰か、というが物語を引っ張る「謎」の役割をしている。ある人がこの謎の人物を評してこう云う。 笙之介(主人公です)はもう一歩踏み込んで問うた。「真似られた当人にも見分けがつかぬほどにそっくりに、他人の手跡を真似ることのできる人物がいるとしたら、それはどんな人物になるのでしょうか」 はてさてーと、井垣老人は顎を撫でる。 「真似る手跡の主に合わせて、ころころと眼を取り替えることのできる人物、ということになりますかな」(212p) 作家を職業としていたら当たり前だと思うかもしれないが、宮部みゆきは「まなこを取り替える」達人である。一方、宮部みゆきは本格的な政治家を登場させない等、出てくる登場人物を見事に「選択」している。だからこそ、登場させた人物に彼女はなり切る。彼女の中にその人物のありとあらゆる想いが溢れてくるから、勢い一編の長さが長くなる。上下巻で四話しかないのは、おそらくそういう理由(わけ)だろう。つまり、描写力は凄い、という所以である。 2016年1月14日読了 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016年01月19日 19時02分33秒
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