再出発日記

2016/04/05(火)18:32

稲佐の浜のスカスカシパン 出雲国の旅3-4

旅の記録(230)

古代出雲歴史博物館を辞して、西側の浜に向かった。時は正月元旦の午前。出雲大社のすぐ隣である。長い長い渋滞が始まっていた。下手をすれば、一歩も動けなくなる事態である。 大きく迂回して浜に向かったのであるが、遂に車の列がびくとも動かなくなる。仕方ないので、途中で車を適当な所に停めて、海岸線を歩くこと少し。稲佐の浜に着いた。 この岩山は数十年前はもっと沖合にあったらしい。毎年、旧暦10月の神在月(かみありづき)に、全国八百万(やおろず)の神々を迎える儀式が執り行われる。 その弁天島の麓で、昨日紹介した弥生土器の模様をつける貝も拾ったし、実はこんな貝も拾ったのでありました。最初冗談だと思った。誰か貝に模様を描いたのだと。裏をみると、空洞になっていて穴が空いている。「これは加工品だな」とそのときは判断した。誰かこれをボタンに使っているのだろうか。でも、いびつなボタンだな。念ために、Facebookに写真を載せて質問してみた。そしたら驚くことに知っている人がいて、 「スカスカシパンですね」 というではないか。 その名前聞いたことがある。ずっと前、ラジオで中川翔子が特別コーナーまで設けていて、ついにはこの名前のパンまで作って販売していたのだ。ラジオなので、本物は見たことはなかったのだ。wikiで見ると、ウニの一種らしい。いわゆるカシパン類で、体に穴が空いていること、花のような模様がつくのが特徴らしい。これって、もっと有名になってもいい貝じゃないでしょうか! 本当は、海岸線の奥にある稲佐神社まで行きたかったけど、大渋滞で行けそうにないので、急遽予定を変えて、おそらく閉まっているであろう弥生の森博物館に向かう。 車で約20分。弥生の森博物館。見事に閉まっていました。でもここには隣に、西谷墳墓群を整備公開しているはず。約13年ぶりぐらいに訪問です。あの頃はこの博物館は出来ていなかった。是非みたかった。もう一度来るぞ! 博物館をつくる途中に見つかった西谷横穴墳墓群を整備公開していた。建物を作ると、こんな風に新しい古墳が見つかったりするんだよね。弥生時代から300年以上経って作られた横穴式墳墓である。この丘陵が長い間、聖なる山であった証拠だろう。 西谷墳墓群の基本的な説明は写真にあるとおり。つまり、昨日の田和山遺跡を主催していた青銅器文化の担い手は、西暦1-2世紀に退場してゆくが、その後を担ったのが、ここの人たちなのである。つまり、今までも何度か単語が出てきたと思うが「四隅突出墓」墳墓群なのである。その中で、ここにはその最大級がある。 現在地から登ってゆく。この図を見るとわかりやすいが、つまりはこんな形をしている。方墳とも円墳とも前方後円墳とも違う。弥生後期に、日本海方面に爆発的に広まり、弥生時代と共になくなっていく墓制である。 4号墳から3号墳を眺める。この下には、この地方にとって神なる川と言ってもいい斐伊川が流れている。川上に銅剣銅鐸の大量埋納があった加茂岩倉遺跡があり、やがて川上に製鉄遺跡が点在するようになる川である。 四隅突出の先端はこのように復元されていた。この四隅から上に上がり、祭祀をしたとみられている。 こんな注意書きのある遺跡というのは、世界中で日本しかないのではないか。 墓の上から、支配者層が見下ろしたであろう、出雲平野を見る。斐伊川の土砂が広げた出雲平野は、この頃はまだ沼が多い湿地帯だったに違いない。だからこそ、稲作が広がったのである。

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