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テーマ:本日の1冊(3685)
カテゴリ:加藤周一
兵庫県立美術館の鉄斎展を観に行く下準備として、とりあえず「加藤周一自選集5」(岩波書店)の「鉄斎覚書」という小文を繙く。加藤周一は鉄斎を「19世紀末から20世紀初めにかけて、日本の絵画は、ただ1人の鉄斎によって、記憶されることになるだろう。」(112p)と最大級の賛辞を寄せている。そのことを確かめに行くのが、今回の鑑賞の最大の目的である。 たった3頁の文ではあるが、何時もの如く緊密に書かれている。ホントは全文を写しとった方が、私の学習にも良いのではあるが、ブログの性格上それはできない。よって、この一文を私なりにまとめてみるという少し無茶をやって私の覚書としたい。 (略)しかし鉄斎の画業は、また大いに「文人画」の伝統的な枠を超えていた。時に緑、褐色などの淡彩を用いたが、またしばしば眼にも鮮やかな濃彩の画面をつくった(たとえば青緑、朱、青など)。前者の例には清荒神清澄寺蔵『古仏○図』、後者の例には『寿老分昇図』をあげることができる。(略) 筆法は書にならって「気韻生動」の強い線を引くことがある。しかしまた墨をぼかしてその明暗により色彩的効果(「ヴァルール」)を生ぜしめる妙味もある。そこまでのところは大雅にもあり、木米にもあった。一転してその色彩効果が抽象的表現主義の見事な画面に及ぶのは、鉄斎において独特である。たとえば清澄寺蔵『水墨清趣図』の画面中央、家屋と人物の上および右の部分。 風景を半鳥瞰的視点から描くのは伝統的である。『聖者舟遊図』(清澄寺蔵)の鳥瞰的視点は異例に属し、前述の『古仏○図』で下から見上げているのはさらに独特の構図であろう。(略) 鉄斎はありとあらゆる様式で、ありとあらゆる対象を描いた(日本の伝統的な材料・題材・様式の範囲内で)。(略)多くの様式を併用したのは、先に鉄斎、のちにピカソ、けだし、天性の画家の途方もない表現欲があり、一個の様式に盛り込めないほどの多面的な世界があった稀有の例に違いない。 鉄斎のもう一つの特徴は、ゴッホやルオーのように(またその他多くの画家のように)、その絵が成熟し、晩年にいたっていよいよ輝きを増したということである。(略)(110-112p) 追記 (略)鉄斎の芸術の歴史的な意味は、一時代の社会的変化が急激で、広汎であればあるほど、高度の芸術的達成は伝統的な芸術の枠組みの中でのみ達成される、ということに要約されるかもしれない。伝統的な芸術は、鉄斎にとっては、文人画とその材料・技術・題材であった。彼は決して油絵具を用いず、印象派の技術は採らず、裸婦を題材にしなかった。それにも拘らずーではなく、おそらくそれ故に、その伝統的な枠組みの中で、彼自身の、微妙に新しい様式を創り出すことができたのである。(略)(113p) ○は合という字の下に龍。 つまり、注目すべきは以下の部分である。 色彩。抽象表現。構図。題材。晩年においての成熟度。 これ等は確かに2ー3の絵を観てもわかるはずもないことだ。今回の大展覧会がまたともない機会である所以だろう。 加藤周一は自分で実物を観ないでは、決して批評文を書かない人だった。ところが、その美術批評は文字通り古今東西に及ぶ。だからこそ、鉄斎とピカソとの類似性を指摘することができる。 おそらく、明後日鑑賞して来ます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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