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カテゴリ:読書フィクション(12~)
「親鸞 完結編(上)」五木寛之 講談社文庫 さて、超エンタメ五木版「親鸞」の完結編である。やっと文庫になりました。 「‥‥わたしは法然上人のお言葉を信じた。いまも信じている。もし、万一、そのお言葉がうそいつわりで浄土などなかったとしても、わたしはすこしも後悔などしない。だまされたと臍をかむこともない。もしあのとき法然上人の教えに出会わなかったら、わたしは生涯、無明の海を漂いつづけたことだろう。つくづくそう思うのだよ」 「はい」 唯円は短く答えて、頭をさげた。親鸞の言葉の全てが完全に理解できたわけではなかったが、親鸞が自分を正面から受け止めてくれている、ということだけは、はっきりとわかった。(380p) 完結編では、遂に親鸞、唯円、善鸞という倉田百三「出家とその弟子」の主要人物が勢ぞろいする。いわゆる「善鸞事件」を縦糸に、親鸞の「思想」の完成形を横糸に描いて行くのだろうと予想される。 しかし、親鸞の「教行信証」は、親鸞の迷いの所産として扱われるし、上に引用した親鸞の言葉は、正に唯円の「歎異抄」の中の「たとい法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄に堕ちたりとも、さらに後悔すべからず候。」の場面である。私は唯円がこれを聴いて、はっと自分の信仰が大きく進む場面を想像していた。しかし、完結編に至っても、唯円はおろか親鸞さえもまだ迷っているのである。これが五木版親鸞なのか。 今回、「青春編」で登場した懐かしい人々がたくさん出てくる。一度は親鸞(範宴)に恋していた覚蓮坊(良禅)が、親鸞を徹底的に憎む役割で出てくる。善鸞も倉田版のようなどうしようもない人物ではない。また、黒面法師も名前だけは上巻で登場する。青春編で投げかけられた問いは、完結編で全て回収されるのか、上巻を読む限りは、まだ一切わからない。片鱗しか見えない。不安である。 2016年5月27日読了 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016年05月29日 23時33分41秒
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