再出発日記

2016/08/29(月)19:12

何のために戦うのか「村上海賊の娘(3)」

読書フィクション(12~)(656)

「村上海賊の娘(3)」和田竜 新潮文庫 武吉はうつむき、しばらくの間、黙った。だが、やがてその肩を揺らすと、痛快と言わんばかりの哄笑を放った。 「俺の子だなあ」 ほどなく乱世は終わる。海賊の栄華も終焉を迎えるはずだ。それを分かっていながら自家の存続に汲々として戦するなど、空しい限りだと思っていた。 なのになぜ戦うのか。 その答えを目の前の娘が持っていた。他愛(たわい)もない、限りなく浮世離れした答えだったが、武吉の心は動かされた。それどころか、その青臭い言葉にうなずいている己自身を、どこか見直すような気分になっていた。(244p) 映画でいうと、ちょうど90分経った頃の話がこの巻である。観客はここで「何か」を持って帰らないと、何のためにお金を払って二時間使ったのか、ということになってしまう。 何かとは、「何のために戦うのか」ということだ。 景は、己の現実離れした考えに、とことん嫌になる。なるほど、戦国時代の戦は、何よりも「自家存続」云うなれば「自分の利益」のためである。そのためには忠義もない。単なる情に流されてはならぬのである。 しかし、海賊とは何なのか。もともと武士ではなかった。農民でもない。彼らは自由だった。もともと自由を求めて、生きてきたのではなかったか。そんなことは、この小説には一言も書いてはいない。そして、私は武吉の気持ちが良くわかる。景の気持ちも。 次巻、和田竜による小説版映画作品、果たしてどう決着つけるのか。期待に応えてくれよな。 2016年8月読了

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