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再出発日記

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2016年09月09日
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カテゴリ:旅の記録
兵庫県立美術館の藤田嗣治展にいってきました。映画で知った藤田の「白」も、戦争画の傑作と言われる「アッツ島玉砕」も、初めて観ました。



一言で感想を言えば、藤田嗣治は「努力の人」であり、洋画と日本絵画からいい処を採って藤田嗣治の絵を開拓した才能ある日本人であり、迷走を繰り返した凡人であった、ということになるでしょうか。

ちょっと観ると、加藤周一は藤田嗣治をかなり褒めていたようですが、私は何処かに書いている文章を観ていないので、以下に述べるのはかなり的外れがあると思います。しかし、自分の感性を大事にして書きます。絵は図録よりコピーする。当然画質も色も悪い。

今回生涯の作品を俯瞰して観た。それでわかったことがいくつもある。



1910年。23歳の自画像。東京美術学校の卒業制作らしい。絵は上手いが、平凡。席次は16/30だったらしい。さもありなん。それは藤田嗣治自身が嫌というほどわかっていたのか、親のスネを囓って自費で渡仏する。



彼は焦っていたと思う。フランスで、吸収出来るものは何でも吸収した。先ずはピカソのキュビスムを真似る。「トランプ占いの女」(1914)。そして、モリディアーニやスーチンらと交遊を持ち、その影響が見られる。「風景」(1918),不安でノスタルジーある絵。この頃から、藤田嗣治はサインに「日本藤田」などと書いていた。やがて日本が抜けて藤田から嗣治になる。サインに漢字の名前を書くのは、藤田嗣治ぐらいなものなのではないか。そこには、日本人であることを利用した作品宣伝戦略があるのと同時に、西洋風絵画に学びながらも、日本に対する想い忘れない藤田嗣治の二律背反性格もあるように感じる。



「タピスリーの裸婦」(1923)やがて藤田は「藤田の白」を作り上げる。一躍パリ画壇の寵児となり、彼のサインは常に「パリ 嗣治」と書かれるようになる。改めて本物の白を観る。あるときは、ほとんど陶器に近く、あるときはホントに色白い女性の肌の色になる。藤田嗣治は言う。「裸婦を描くに際して 、ルーベンスは脂肪を、ルノワールは血を、ピカソは人間の構造を描いた。だから自分は、まだ誰も描いていない『肌』を描こうと思った」。まるで、そこに肌があるかのような微かな色の重ね方。日本絵画の技法と美意識を西洋絵画に持ってきたのは、藤田嗣治の発明だろう。そして、その色を引き立てるために、一本の墨線で、表現する。決して抽象画ではなく、極めて写実性を持つ。爪の形まで、疎かにはしない。なおかつ、その背景の緻密な絵!線を大切にし、細部にこだわるのは日本の伝統てある。裸婦像は、西洋絵画の伝統てある。此処に、藤田嗣治の世界標準は出来上がった。戦争はやってきた。しかし、藤田嗣治が日本に帰る絶対必要性はなかった。それでも帰ったのは、やはり藤田嗣治の日本への愛憎だろう。

その後の裸婦像は、いくつかは「書きなぐり「という表現がピッタリのもあった。



藤田嗣治は日本に戻ってくる。本気でもどって、戦争画を書き始めたのは、1943年という。「アッツ島の玉砕」も観た。その直前に「猫」という作品もある。これはやはり間接直接に戦争に相対した藤田の世界観という気がする。ほとんど化け猫である。「アッツ島玉砕」は、下手をすれば戦争批判とも捉えかねない絵である。ところが、世間の反応は違った。初めて観た、息子たちの戦場に、かえって親たちは奮起したのだと言う。藤田嗣治は初めて日本に受け入れられたと思っただろう。彼の絵は自由になる。彼は描きたいものを描いたのだ。「サイパン島同胞忠節を全うす」(1945)は、民間人自決を描いている。反戦絵画にみられてもおかしくはない。これらをほとんど藤田嗣治は想像で描いた。しかし今から見ても真実がある。ここには、藤田の白も線もないが、藤田の技術と努力が変わらずあっただろう。

しかし、藤田嗣治は変わらなかったが、戦後日本は変わった。石もて追われるように、藤田嗣治はフランスに「帰る」。そこで藤田は80歳でなくなるまでに次第とキリスト信者になってゆくだろう。藤田嗣治の白と線は復活し、やがてはそれもどうでも良くなって、宗教絵画になってゆく。

思うに、藤田嗣治とは、日本から離れて具現化する典型的な日本人だった。





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最終更新日  2016年09月09日 11時20分18秒
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