4320620 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

再出発日記

PR

フリーページ

カテゴリ

お気に入りブログ

「枕草子(まくらのそ… New! Photo USMさん

タマネギ男? New! はんらさん

『妖しい関係』2 New! Mドングリさん

作並街道風景 その2 New! マックス爺さん

ロケットマン★エルト… New! 天地 はるなさん

カレンダー

2016年11月11日
XML
カテゴリ:中江兆民
高知紀行 二日目 8月25日

みなさん、もうお忘れかもしれませんが、この夏私は高知を旅して中江兆民、ならびに自由民権運動の跡を訪ねる旅を決行しました。ここからあとは、いろいろ考えることがあって、おもに自由民権記念館で学び考えたことを、その図録をもとに紹介したいと思い、その準備のために時間をもらった。なかなか準備できなかったのだが、なんとか図録部分のめどはついたので、ここから7-8回ほど連載したい。書いてみてわかったのであるが、自由民権の歴史は、そのまま現代の市民運動の教訓の宝庫である。次第と展開してみたい。(ちなみに過去記事はカテゴリーの中江兆民の中にあります)


自由民権記念館は、1990年に開館した。その当初から絶対行きたいと思っていた。何故ならば、私の大学の卒論は(作文の域を出ない)中江兆民論だったし、大学卒業後に出版され始めた中江兆民全集も植木枝盛全集も「大人買い」したのだが、今現在に至るまで読んでいないし、頭の奥に関心だけはずっと置いていたからである。土佐のスーパースター坂本龍馬にほ、ほとんど関心がなかった。

自由民権運動とは何だったのか。ひいては、(日本にもしかしたらあったかもしれない)「平和と民主主義」の道は、あり得ないのだろうか。


昔の作文(卒論)の中で、微かに思っていたそんな問題意識に、刺激を与えてもらいたい。そんな想いもあったのかもしれないが、結局日々の生活やその他の運動に紛れて、ずっと後回しにして来た。本来ならば、4ー5日はここに居てそんなことばかりを考えながら過ごしたかったし、年初めの出雲行きの当初は真剣に高知行きを検討していた。ところが、年末年始は、ほとんどの博物館が休館になる。遺跡巡りが出来て古代出雲博物館が開館している出雲にせざるを得なかった。そんなこんなで、たった一日で博物館と旧跡を回らなくてはならないが、我慢出来なくて此処に来たのである。結果的に大いに刺激を受け取ることが出来た。フロアは、明治風に洋風階段に「自由」と「民権」を掲げている。テンションが揚がるが、写真撮影は此処まで。展示内容の撮影は禁じられているために、必要な処は図録から、或いは高知市内を歩いた時の写真から使いたい。


入る時に受付の女性から「先ずは二本の特別映像を見て展示室を回られることをお勧めします」と言われていた。午前中はこの記念館に籠る予定だったから、喜んで見させてもらった。一本目は「土佐と自由」二本目は「行動する思想家植木枝盛」だった。私はそれで大事な視点を教わった。それは同時に展示内容の前半部のまとめでもあった。



●土佐民権派のうち、板垣退助と後藤象二郎は1873年(明治6年)の「征韓論論争」に敗れて下野した政治家だったことである。これは三つの意義がある。


(1)民権派は派閥闘争に敗れた一方の勢力から始まったのである。つまり、政治勢力としては、始めから大きいものだった。


(2)また、征韓論論争に敗れた西郷隆盛と江藤新平(当初は民権運動に参加)は、その後「挙兵」という手段を採った。板垣、後藤、江藤、副島種臣、由利公正、岡本健三郎は、英国帰りの古沢迂郎、小室信夫らと共に1874年愛国公党の結成と「民選議院設立の建言」、つまり国会開設請願を提出する。建言の起草は古沢迂郎、副島種臣が手を入れた。「現政権は専制政府の官僚の手中にあり、その失政で国家は瓦解の危機にある」という問題意識。活路は「人民の参政権にあり」という提案である。これだけを見ると、どれだけ西洋の民主主義を学んだのか、まだ疑問が残る内容ではある。しかし、これにより日本は「賛成」「時期尚早」で、「東京日々新聞」や「明六雑誌」などで意見が闘わされた。この状態こそが、民主主義国家の創生だっただろう。

(3)1873年(明治10年)に西南戦争勃発。土佐士族の中にも、「呼応して武装蜂起を企てるべきだ!」という意見があったが、遂に土佐は立たなかった。これが、その後の日本の民衆運動の在り方を大きく規定したと思う。また、この判断には、当時新進気鋭の理論家植木枝盛の意見が大きく預かった、と記念館の映像は述べていた。詳しく知りたいが、今はその余裕がない。また、戦争終結後、土佐では実際に武装蜂起を計画していた者だけではなく、直接関わりがなかった片岡健吉などが逮捕された。明治政府が日本国民に対して、初めて牙を剥いた瞬間だったのではないか。






最終更新日  2016年11月11日 21時12分28秒
コメント(0) | コメントを書く
[中江兆民] カテゴリの最新記事

キーワードサーチ

▼キーワード検索

コメント新着

KUMA0504@ Re:北斎のたくらみ 富嶽三十六景(09/02) 令和皇太子さんへ。 貴方がどんなコメント…
KUMA0504@ Re[1]:北斎のたくらみ 富嶽三十六景(09/02) ももたろうサブライさんへ ありがとござい…
KUMA0504@ Re[1]:100分de名著 小松左京(09/01) ももたろうサブライさんへ そうかもしれな…
ももたろうサブライ@ Re:100分de名著 小松左京(09/01) コンピューター付きブルドーザーと言えば…
KUMA0504@ Re[1]:「タッチ」の続編?「MIX」(05/25) ガラケーさんへ わざわざ心配ご指摘ありが…
ガラケー@ Re:「タッチ」の続編?「MIX」(05/25) 貼ってあるMIXの画像は… きちんと、あだち…
KUMA0504@ Re[1]:「おにぎりの文化史」古代の食卓(08/23) はんらさんへ 「家で作ることはほとんどな…

バックナンバー


Copyright (c) 1997-2019 Rakuten, Inc. All Rights Reserved.