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2016年11月15日
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カテゴリ:中江兆民

(自由党結成時の幹部)
自由党は憲法制定・早期国会開設・農民と商工業者の自由な発展を主張、地方支部設置、機関紙「自由新聞」発行、遊説活動を中心に活発な運動を展開し、広い支持を得た。


しかし、政府の弾圧・板垣洋行問題による幹部分裂と立憲改進党との対立、資金問題・路線対立などで困難に陥り、明治17年(1884年)10月、3年間の活動で解党した。立憲改進党も都市の資本家や知識人を基盤に支持を集めたが、1884年事実上の解党状態に陥った。

これは、まるで2013年の民主党凋落のようではないか!弾圧と分裂策動は、つまり日本の政治運動の常套手段であり、現在でも有効ということか。なんと、日本の政党は未熟なんだろう!



明治14年の政変から明治15年(1882年)の終わり、つまり板垣退助の洋行までが、自由民権運動への「弾圧と抵抗」が最も激しかった時期らしい。情報化社会の現代ならばいざ知らず、この時の社会の変転の激しさは、私の想像を超えていた。因みに、「板垣遭難」事件(岐阜演説の後に短刀で襲われた)は、15年の4月6日のことである。有名な「板垣死すとも、自由は死せず」は現場にいた「探偵」が報告したらしいが、かなり歌舞伎かかっている。今も昔も、こういう芝居かかった「流行語」をモノにするか、どうかは、その時々の情勢を左右するに違いない。たとえ、その半年後に板垣退助本人が自由党の半分近くが反対する三井出資の洋行に出掛けるという大馬鹿であることが分かったとしてでもある。






最終更新日  2016年11月15日 22時13分52秒
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