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カテゴリ:中江兆民
15年7月には、土佐では言論弾圧に抗して「新聞の葬式」も出している。これは稿を改めて取り上げたい。いわゆる「激化事件」は、この時期から自由党解党にかけて激化した。明治15年12月福島事件。首謀者河野広中が逮捕されたが、その数年後に土佐に来ている。明治17年の加波山事件では、首謀者が土佐に留学していたらしい。17年12月飯田事件、なんと植木枝盛が檄文を起草している。 急進派をコントロール出来ないということもあって、17年10月自由党は解散する。民主党が民進党になるが如く。解散したり、名前を変えたら、簡単にリセット出来ると思っているのか。もちろん、解散理由はこれだけではない。現代と違って、政府は団体へ自由に弾圧出来る。このまま合法的な活動は無理がきていた。資金面も尽きてきた。しかし諦めるのがあまりにも早すぎる。もっといろんな工夫は出せなかったのだろうか。 自由党が解党してから、21年の三大事件建白運動までは、主に「社会改良論」が運動の中心になった。植木枝盛はその趣旨の論説を28も書いている。世の中を根本的に変えるのではなくて、逐次改良して時期をみるという方法である。所謂、中江兆民「三酔人経綸問答」において、南海先生が述べていたことだ(と、ここまで書いてびっくりする。中江兆民と植木枝盛は犬猿の仲だと思っていたが、同じ時期2人は同じことを考えていた。むしろ、南海という言葉から中江兆民は植木枝盛の言論から学んだ部分があったのではないか)。注目すべきは女性運動の進展なのではあるが、それは稿を改めて取り上げる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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こんにちは、このところの高知紀行を興味深く拝見しています。
高知県民の大使なんですが、県西南部と高知市は遠くて、住民の気性もちょっと違っているわけで・・・ この詳細な紀行記事には、啓蒙される有様でおます(汗) (2016年11月16日 16時25分44秒)
Mドングリさん
>こんにちは、このところの高知紀行を興味深く拝見しています。 > >高知県民の大使なんですが、県西南部と高知市は遠くて、住民の気性もちょっと違っているわけで・・・ >この詳細な紀行記事には、啓蒙される有様でおます(汗) ----- ありがとうございます。 とりあえず、後二回で終わりますが、それは記念館の図録の説明と私の感想にすぎません。まだ他の図録の感想が残っていますし、この後の半日間の市内のぶらぶら歩きも残っています。たった2日の旅行にどれくらいの分量をかけるのか、未だわかりません。これだから、旅はやめられない。 (2016年11月17日 08時19分46秒) |
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