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2016年12月11日
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テーマ:戦争反対(1056)
カテゴリ:旅の記録


12月1日、思い立って広島の街に来ました。目標の一つ、「まだ見たことのない博物館を見てみる」というのを達成するために広島電鉄にのって、一つの経路の終点「江波」電停前にやってきました。どのような謂れがあるのか全く知らないのですが、そこから博物館のある小山まで一キロほど歩かなくてはならないのですが、その通りがおさん狐にまつわるおさん通りと云うらしいのです。おさんきつね像が迎えてくれました。像の前にお供えがある景色を初めて見ました。



広島市江波山気象館です。昭和9年に広島県立広島測候所として建築され、昭和14年に国営移管されました。建物は鉄筋コンクリート造りで、戦前の建物の特徴と新しいモダンなデザインを併せ持つ、建築技術的、デザイン的にも素晴らしいとして、広島市指定重要有形文化財になっています。現在は気象と科学をテーマにした博物館として平成4年に開館したそうで、この種類の博物館はほかにはあまりないそうです。来てみて初めて知ったのですが、広島平和記念館の系統といってもいい原爆資料館にもなっていました。

入って奥に行くと、建物の裏側に回れるようになっています。そこに昭和20年8月6日の「被爆保存壁」がありました。爆心地(広島平和公園のあたり)からかなり遠くにきたという感覚だったのですが、ここは爆心地から約3.7キロだったのです。今ではビルに隠れて原爆ドームは見えませんが、当時は屋上からは見えたようです。こんなに離れてもかなりの爆風と熱射があったということです。広島型原爆は今では小型原爆なのに、です。

懐かしい「百葉箱」です。日本ではイギリスから輸入されて1874年(明治7年)から使われていたそうです。この中に温度計や湿度計が入っていて、きちんと観測されていました。小学校の裏側にありました。現在では気象庁は自動観測装置に代わっているそうです。

突風カプセル。ここでは、風速5、15、20メートルの風を体験できます。おそらく15メートルで傘は役に立たなくなるだろうと思いました。20メートルでは、私の体重では飛ばされはしないですが、立っているのが本当にやっとです。目も開けることがむつかしかった。


雲の体験コーナー。霧の発生。台風の目の発生。などを体験できます。



気象台の思い出部屋。ここに、思いもかけず、昭和20年8月6日の当番日誌が展示されていました。B-29が広島市を爆撃し、職員の半数が爆風のために負傷し、一部が江波陸軍病院で手当てしたことや、「盛ンニ火事雷発生シ」「横川方面大雨降ル」と書いている。



8月6日の天気図である。よくものすごく暑い快晴だったとドラマにあるが、これを見ても雨など降るはずもない快晴だったことがわかる。だからこそ、アメリカはこの日を選んだのだ。



「雨域と飛散物による推定気流の方向」。気象台の役割として、雨域を予測している。



おそらく後で観測したのだろうけど、被爆後の火事の様子を描いている。爆心地から2キロは全焼だったこと、3キロまではおおきく火事が広がり、風の方向により、北の方に延焼していたことがわかる。


いわゆる「黒い雨」の様子。爆心地の西側が、2時間以上の土砂降りだったようだ。私のイメージは悲しみの黒い雨というイメージだったのだが、ひどいところはそうではない土砂降りだったのだ。他には1時間以上の大雨地域、30分のザーザー降り、3分以上のパラパラ降り地域と観測している。被災による火事が起きたところはもっと降ってくれと願っていたかもしれないが、まさかあの雨が放射能の雨だとは誰も思っていなかったのだろう。


この部屋には「今も残る原爆の傷跡」として、原爆の爆風で飛び散った窓ガラスの破片が突きさったまま残ったところを保存していた。ここ江波山の爆風の速さは「秒速700メートル」だったと推定されているらしい。想像できない。



屋上から爆心地あたりを眺める。右上の山の稜線のすぐ下あたりが爆心地である。とんでもなく遠い。



江波山気象館の屋上には当然観測機が設けられている。実はこの上まで登れる。


そこから南側は太田川の河口である。実は知らなかったのだが、江波は「この世界の片隅に」のすずさんの実家があったところだった。実家のある場所はこの写真よりももっと左なのだが、この写真のあたりは昔はほとんど海だったった。アニメでもあるが、この辺りは昭和18年ごろに埋め立てられて陸地続きになっている。そんな浅瀬だったからこそ、すずさんの実家は海苔の生産をしていたのだ。

さて、そのあとすずさんの故郷とは知らずに江波を少し回ってみた。







最終更新日  2016年12月11日 08時32分43秒
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