再出発日記

2017/01/29(日)12:00

旅の失敗 2017台湾旅5-2

台湾2015(45)

台東駅。ここで私は、この旅1番の失敗をした。時は10時。一時間半も待つけど、11時20分の台北行きの電車に乗ろうとしたら、もう売り切れているというのである。その次の電車も売り切れている。 「15時50分のならばある」という。5時間50分も待つ!あり得ない。 「ノーシートOKなんですけど‥」台南から台東までならば、みんなそんな形で乗っていたじゃないか。 しかしダメだという。「不買駅票。晩一点、再来、買」 バカなことを言いなさんな。こんなに困っているのは、今日中に着かないといけないからじゃないか。明日もう一度来い、なんてどういう考えをしたらそうなるのか! しかし、悩んでいるとさらにこう書く。 「晩一点再来、買看看、現在没有」 チケット売り場のお姉さんは、この外国人がこんなに困っていても冷たく見下ろすだけ、というのはわかった。これで着くのは、9時前になるという。あれもしようと思っていた計画がなくなる。でも仕方ない。せめて最悪の事態だという顔をして承諾した。 「15.50 OK」 割りと売り切れは多い。こういうことがあるのは知っていた。何しろ数時間に一本しか急行がないのだ。だから、台南行も、台東行も、前日に買ったのだ。しかし、あまりにもここまでスムーズに行ったので、「何も前日に買わなくても大丈夫なのではないか」と思ったのが間違いだった。昨日は博物館行がわからなくてイライラしていたのもあった。もしかしたら、私の事前調査が間違っていて、本数はもっとあるのではないかと思っていたのもあった。メロディホテルがまさかのWi-Fi不可なのもあった(ネットで予約する方法もあるのを調べてはいた)。ともかく失敗だった。 本来ならば、失敗も楽しんで、駅の周りを散歩するというのが、私の旅スタイルではある。ところが、台東駅周りは特殊な所で、近年旧市内からこちらに再開発しようとして急行駅を作ったのはいいものの、全然再開発されなかった所なのである。だから、歩いても何の面白みもない。ちょっと歩いてわかるけど、駅前にここまで食堂もホテルもない基幹駅も珍しいと思う。あるのは唯一レンタルカー屋さんだけなのである。これはどっかのコーヒーを提供している所を見つけて、時間を潰すしかないと思った。 考えれるのは、なんと駅前に一つしかない大きなホテル。ここに喫茶が無ければ諦めなくてはならない。 玄関にチラシがあった。良かった。しかも、食事も取れるようだ。日本語が出来るスタッフがいて、事情を説明して五時間以上ここに居座ってもいいと許可ももらった。やはり周りには昨日行った卑南文化公園以外には何も見るべきものはないようだ。 前のチラシの左側の原味風ナンチャラというのを頼んだ。原住民族風ランチとでもいうべきもの。ここの民族は卑南(プユマ)族なので、彼らの伝統食なのだろう。以下は昨日買った「順益台湾原住民博物館ガイドブック」より転載。 人口は約11000人あまり。男子集会所「バラカン」での厳しい訓練制度を有する。主に台東縦谷南方の平原に暮らしています。人口の多くは台東県に集中しており、 中でも台東市に住む人が最も高く、次がプユマ郷となっています。近隣のアミ族、ブヌン族、漢民族の影響を受けてはいますが、独特の文化を保ち続けています。17世紀、南王部落のプユマ人が朱一貫の残党の平定に功があったとし、清朝から「プユマ大王」に封せられました。プユマ族が強大な武力を持っているのは、男子集会所「バラカン」で厳しい訓練制度が実施されていることによるものです。プユマ族の文化の特色としては、男子集会所での厳しい訓練、精緻な刺繍工芸、レイ(花輪)を日常的につけていること、盛んな巫術などがあげられます。重要な祭典としては「猿祭」「大狩祭」「連合年祭」など一連の行事を含む「年祭」があります。(以上引用) つまり、卑南遺跡の中心民族は彼らである、ということがまず間違いないとわかる。清朝時に中国と密接な交流があったならば、漢時代に民間との密接な交流があったとしてもまったくおかしくはないだろう。ガイドブックによると、南島語族として台湾からフィリピン、イースター島、アフリカのマダガスカル島、ニュージーランドまで広く分布していて、台湾民族はその最古民族らしい。顔は台湾の原住民族はみんな同じ顔に見える。いわゆるフィリピン人の顔である。 これが頼んだ定食。 それぞれの料理の台湾読みの名前をホテルスタッフに聞いてみた。サツマイモのふかしは、地瓜。味は日本のそれよりも濃い。もしかしたらこれがタロイモというのだろうか。支那竹は名前を聞くの忘れたが、なんと生姜風味だった。枝豆は毛豆という。黒胡椒で炒めているのが独特だ。豚肉の炒めものは、鹸猪肉。肉はスモークされているように思った。 そしてこれは小米粽(小米のチマキ)という。これが最も有名な伝統食なのだろうと思えた。チマキを何か紫蘇のような薄い葉でくるんで、それをさらに南風色たっぷりの大きな葉でくるんでいる。考え方は柿寿司である。 びっくりしたのは、小米というのが実は米ではなかったことだ。アワかキビではないかと思う。中には味付け挽肉が入っていた。米が少しべちゃべちゃし過ぎる気はしたけど、全体的に美味しかった。 このホテルはこの地域では一流ホテルだと思う。でもトイレの機器をTOTOに発注しているのは、わかるけどあの「人がいない場合でも水が流れることがあります」説明を訳文もつけずにそのままつけるのは、如何なものか。利用するのは、ほとんど台湾人でしょう。流石に五時間以上いたので、私は三時間でも四時間でも滅多にしないのだけど、コーヒーのお代わりを頼みました。この間に旅日記を書いていたのだけど、日記はやはり当日の勢いで書くもので、全然進まなかった(今この時点の日記も帰国後に書いている)。最後の3日間は夜日記を書く間もなく疲れて寝たし、車中の日記は途中で気分が悪くなったりしてつづかなかったのです。それはともかく、電車の待合室ではなく、ここで時間を潰せたのは、リフレッシュ出来ていい所もあった。 台東駅に戻る。ホントはここで池上弁当が買えると思っていた。ここまで来て池上弁当がないのはウソでしょ?なかった。仕方ないので、コンビニでおにぎりを買って、よく見たら改札前に鉄道弁当売っていたので、それも買った。 電車が来た。昨日のよりも少しグレードが高い。 車中風景。あのチケット売り場のお姉さんの言うとおりだった。この北回帰線は、一人も予約以外の客はいなかった。後で思うのだけど、それならば余計に本数を増やすべきだ。そんなに採算が取れないのか? 台湾風おにぎり。43元。美味しいけど、高い。 台鉄弁当60元。昨日余ったワインをラッパ飲み。カッシーロ・del・ディアブロ。180cぐらいなので、すぐ空になった。 やはり、台湾料理にチリワインは合うと思う。煮汁がご飯に染みていなくて、弁当にはやはり不満が残った。あゝまた一度池上弁当食べに来たい。 さあ、出発だ。しばらく畑はトウモロコシ畑などが続く。

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