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カテゴリ:邦画(12~)
14日の日曜日午前中に録画した番組を観て作ったのが、この具だくさん味噌汁です。 各界で活躍するヒーローやヒロインたちが子供時代に食べてきた家庭料理を軸に、家族の愛を描くドラマトークバラエティー。NHK岡山が、2017年度の新番組として季刊放送するらしい。 第1回タイトルは『辰吉丈一郎』 ご存知のように、彼は岡山県倉敷市児島の出身である。しかも、私よりも10歳歳下だから、私が23歳で社会人になったときに、彼は児島の中学校で有名なガキ大将をちょうど始めた頃になるだろう。 「46歳の今も世界王者への返り咲きを目指して現役生活を続ける不屈のプロボクサー辰吉丈一郎を迎える。故郷・児島から大阪へ修業に旅立つまでの15年間の子供時代を男手一つで育て上げ、52歳の若さで亡くなった父・粂二。母がいないことでイジメにあって苦しんでいた丈一郎にボクシングを教えた粂二が、その無骨な手で毎日作り続けた"ごちそう"によって不死鳥ボクサーのカラダは作られた。丈一郎が愛して止まない亡き父のレパートリーとは?! ( ※ 辰吉丈一郎の吉の字の上半分は士ではなく土。丈の字の右上には点が付く。)」 と、ホームページには書かれている。ひとつが、具だくさん味噌汁であり、ひとつが卵焼きだった。米は鍋で炊いた。私が作った味噌汁(写真)は、この番組で辰吉が作ったそれとは違う。具には、麩、玉ねぎ、じゃがいも他のいろんな具が入っていた。しかしいいのだ。要はあり合わせの野菜やタンパク質が取れればいいのである。特徴は、その切り方にあった。必ず子どもが食べやすいように、薄く切っていた。無骨だけど繊細。それはそのまま辰吉の血と肉になった。 残念ながら、辰吉がいた15歳までを、私は児島の方面に仕事に出向かなかった。私が30歳代で児島方面で仕事をしていると、辰吉が世界チャンピオンに何度も返り咲いた頃で、「辰吉は味野中学校で、ものすごいヤンチャしてたんだぜ」という噂は聞いた。 辰吉は中学校卒業後、先生の勧めで大阪に出向いてボクシング修行をすることになった。長屋形式の借家で、時には自分は飯を食べずに辰吉を育ててきた粂二は、先生の勧めを直ぐに引き受けたらしい。その気持ちを辰吉が汲むのは、ずいぶんあとになっての事になる。 辰吉は、根っからのファイターチャンピオンだった。負けても、網膜剥離になっても返り咲いた。その頃粂二は、「俺の役目は終わった」とばかり辰吉の誘いを断り岡山を出る事もなく、飯も作らず、毎日酒と缶コーヒーを飲んでいたという。辰吉がチャンピオンになっても、粂二は周りに威張ることはなかったが、時々辰吉の中学校の友達には「丈一郎はすごいけど、わしもすごかろうが。わしがミルクつくってオムツかえて、全部しよったんで。信じれんじゃろうが。こんなかっこしとっても、する事はしてきとったんで」と言っていたらしい。98年、チャンピオンベルトを失った翌年、粂二死去。辰吉は誓う。「チャンピオンになるまで、お父ちゃんの骨を墓に入れない」。 それから18年、今でも現役に拘っている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017年05月16日 15時17分48秒
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