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テーマ:本日の1冊(3685)
カテゴリ:水滸伝
「岳飛伝15」北方謙三 集英社文庫 ふり返ると、雄州の城郭に、旗が翻っているのが見えた。 戦だけではなく、すべてのことが、自分が考えていることの、先へ先へと行く。 あんなところに、あんな旗を掲げることなど、候真は考えてもいなかった。楊令が帝になるべきだと、酔っては言っていた戴宗のことが思い出される。 候真は、雄州の城郭に背をむけて、歩きはじめた。 体術を競った褚律が、心を病んでいる。自分は、ただ酒に溺れている。そして、酔うと、死んだ者のことしか思い出さない。 老いるとは、こういうことなのだろうか。 山道になった。候真は立ち止まり、気息を整えて、また歩きはじめた。(389p) 読み終えた。あと二巻だ。それこそ「気息を整えて」読んでいかねばならない。戴宗が酔いながらでしか主張できなかった「楊令戴帝論」は、この水滸伝シリーズが始まった時に多くの読者が「歴史的事実じゃないからあり得ない」とは思いながらも、当然そうなのだろうと思っていた道だろうと思う。それと違う道を模索した為に(何しろモデルはキューバ革命なのだ)、第3部に移って、かなり(おそらく)読者を減らしながらもこういう展開になっている。秦容などは、「中華に二つの国家があっても、国境は有名無実で、やがて消滅する。国家を支えるのは、物流である。」という「くに」を夢想して、その為に「命を投げ出す」覚悟を決めた(323p)。後の世の私などにとっては、それはあまりにも甘い考えの様に思う。しかし、物流そのもの、商品そのものの正体がわかっていなかった時代に、彼らの夢を嗤うことなどができるはずもない。候真の戸惑いも無理からぬことだ。 「自分が死ぬのだろうと思ったとき、それこそが人生なのだと、私には見えてきたのだよ」(247p) 「やるだけやって死ぬ、でも。インコが言う。でも、は崔如が教えたら、いつの間にか言うようになっていた」(353p) 私の人生も、彼らと同じく、未来は見えない。やるだけやって死ぬだけだ。 しかし、褚律が放っておけない(^_^;)。 2018年2月読了
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