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再出発日記

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2018年12月02日
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テーマ:韓国!(16898)
カテゴリ:韓国旅行2012

全南大学は光州駅の北側にある、おそらく光州一の大学である。ここから学生運動として、1980年の5月14日、全南大学の学生デモから始まり、瞬く間に全光州学生、教授へ広がり、そして3日間に市民に広がっていったのである。だから、5.18民主化運動の始まりは全南大学のこの正門と言っていい。


壁絵を探そうとして、地図を見る。ひとつひとつ探せばまるまる一日かかりそうだ。


ところが、この時博物館(반물관)の文字が見えた。大学博物館ならば、古代遺物展示があるかもしれない。全くノーマークだった。国立光州博物館はたいしたことなかった覚えがある(とずっと思っていて、かえってpcのなかを探すと、なんと光州博物館は行っていないことが判明した。交通の便が悪いので、避けてきたのだ)。ここはどうか。

一階はブロローグなのに、なかなかのレプリカ遺物がある。支石墓や露天窯、甕棺墓である。これだけで終わらないよね。

恐竜の遺物もなかなかすごそうだ。
二階に上がる。おお、凄い。以下展示物。以下長くなります。考古学に興味ない方は、明日以降お楽しみに。正直、分かりやすい展示だった。以下、旧石器時代の遺跡。

和順 牟山里遺跡の旧石器。

7000年前に新石器時代になると、土器を作り、定住生活を始めている。しかし、この時代のどの段階で定住を始めたのかよくわからない。期間があまりにも長いからである(4000年間?)。

麗水の土器と貝石器。

青銅器時代。ここでは3000年前(BC10)から始まったとなる。ほとんど弥生時代にかぶるが、弥生中期ぐらいから鉄器時代も同時に始まる。弥生晩期ぐらいに原三国時代が始まっているようなのだが、厳密に知りたい。でも、この展示ではよくわからなかった。



全部磨製石器、磨製鏃。

紅陶。既に表面の飾りは無くなっていて、弥生土器とにているが、作成技術ははるかに朝鮮半島の方が上だと思う。

和順の茶智里 支石墓群遺跡。磨製石剣さの美しさ。


順天(순천)の西坪里(서평리)支石墓群遺跡。土器は割れているが、独特の彩文が既にある。

宝城(보성)礼堂里(예당리)支石墓群群。何と言っても、石剣の独特の石紋が特徴だ。日本では見たことない。

宝城(보성)松谷里(송곡리)支石墓群。こちらも石剣の模様が。そして見事な土器の彩文。

原三国時代に移る。既に鉄器は製作しているし、青銅器も複雑になってゆく。光州なので、ほとんどは馬韓(마한)の遺跡の展示になる。赤いところが馬韓である。右下の人物は祭器を身にまとった族長のはずだ。あの像は全州博物館に行けば出会えるはずだ。

青銅器製の何チャラ。鉾だったかなあ。すみません、メモ出来ていない。(←shunshunさんによると、左が銅剣、右が銅戈らしい)


鉄板や滑車のコマ、ミニ土器(祭りに使うはず)、勾玉(倭国の影響?)、スプーン等々独特の遺物が出現する。

宝城(보성)金坪貝塚(금평패총)。もはや、支石墓ではなく、貝塚の発掘になっている。占い用の骨、鉄板、青銅器の型などが出土。

独特の土器がでてきました。

馬韓の生活像。稲作の道具や布を作る道具が出るらしい。

光州のこんな都市開発から出土したみたいだ。

更に時代は下り、三世紀ぐらいから木棺墓になってゆく。鉄剣が出土。土器の形も変わっている。

これは、함평ヒャンピョンの礼徳里(예덕리)古墳群。この丸いし、少しひしゃげている壺が特徴なのかな。既に焼き方は須恵器かかっている。

巨大な甕棺墓群。

羅州(나주)の甕棺墓(옹관묘)から出土。

これは何処の甕棺墓か、メモ忘れた。

馬韓の石室墓である。

更に墓の系統図を作っていた。そこで全南大学の学術的な時代区分が明らかに。つまり、
・1ー3世紀は、木棺墓、土坑墓、甕棺墓であり、馬韓時代。
・4ー5世紀は、百済の間接支配のもと、石槨墓、甕棺墓、甕棺古墳。百済はソウルに宮があった時代だろうか。
・5世紀後半は、石室墓に統一される。百済の間接支配であるが、公州に宮があった時代だろうか。
どちらにせよ、ここは百済の支配地域であり、その意味でも、この後出てくる「前方後円墳風の古墳があるから、伽耶地域は大和の支配地域である」という論理はもともと破綻しているということになる。





麗水の美坪洞(미평동)古墳群。銅鏡と首飾りと勾玉が気になる。

百済の石室墓である。やはり古墳の系統図があるが、前の表とどのような関係にあるのか、イマイチわからなかった。

羅州の伏岩里(복암리)1号墳。馬韓ー百済時代らしい。

長城 鶴星里 古墳群。

​前に苦労してたどり着いた、韓国の前方後円墳と言われている、光州 月桂洞(월계동)古墳群​のレプリカがあった。ここでは、前方後円墳ではなく、長鼓墳と表現されていた。

見てわかるように、堀を巡らしていることや、周りをびっしり器台型埴輪のようなものを巡らしていること、横穴式石室となっていることは、前方後円墳と似ている。しかし、木製埴輪(?)や、傘型埴輪(?)の存在は、日本にはないだろう。そもそも五世紀段階ならば造り出し祭祀の跡が無いとおかしい。また、前方後円墳の形も日本にはあまりない歪さがある。

これが、その問題の「墳周土器(분주토기)である。初めて見た。思いかけない収穫だった。埴輪型土器も、よくにているが、なんとなく歪さがある。

馬韓の長鼓墳の説明である。翻訳が面倒なので、訳していないが、だいたい5世紀後半から6世紀にかけて馬韓地域に、長鼓型の古墳が作られたと書いているようだ。

馬韓地域には、これほど存在している。光州よりもかなり北、公州近くにもある。

他の土器も、明らかに須恵器型の技術になっているし、伽耶地域特有の土器が多い。

このようなものも出土しているらしい。

石室の作り方も、全然違って、むしろ公州遼寧王の石室そっくり。



あとの時代はざっと流します。


恐竜化石もファンがみたらすごいのだろうけど、ざっと流します。ものすごい量の写真を入れました。これでも三分の一以下に抑えたのです。本来ならば2回に分けて紹介すべき記事ですが、皆さんあまり興味無いと思われるので、一回で済ませました。明日はいよいよ、全南大学に来た本当の目的に迫ります。





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最終更新日  2018年12月07日 12時50分38秒
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■コメント

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全南大学博物館(12/02)   shunshun さん
私も11月14日~21日まで、韓国に7泊してきました。全南大学の博物館にも16日に行きましたよ。全南大博は3度目の訪問でした。全州博物館にも行きました。
 気になった点を少し。青銅器は、左3点が銅剣で、右2点が銅戈です。シャーマンの人物像は、もう数年前から国立全州博物館の展示から消えました。残念です。
 ポスターの写真は、「馬韓の生活場」ではなく、「馬韓の生活像」では?
 1-3世紀は、木棺墓、土坑墓、甕棺墓、です。
 私も3~4年前に、全南の前方後円墳形古墳を、バスに乗って、10基ほど見て回りましたが、倭の前方後円墳を意識して造られていることは確かです。もちろん、違いもあります。「なにか、少しちがうな~」と感じるところです。石室内に赤い顔料を塗ることも、倭の古墳をまねています。
 続きを楽しみにしています。
  (2018年12月04日 22時40分30秒)

Re[1]:ソウル・光州の旅2-2 全南大学博物館(12/02)   KUMA0504 さん
shunshunさんへ
お久しぶりです。
ご指摘ありがとうございます。後でこっそり直しておきます。

3回も行ったんですか!やはり、権威ある大学博物館なんですね。国立博物館は光州以外は行ったと思うのですが、大学博物館はまだ行けていない博物館が多々あるのかもしれません。光州朝鮮大学博物館もあることに気がついたのですが、時間がなくていけませんでした。此処はどうなんだろ。他にオススメの博物館があれば教えてください。

「歩き方」には、バスセンターの周りにホテルは集中していて、市街にはない、と書いていたので直ぐに諦めたのが良くなかった。まだ2.5万wはあるんですね。今度地方に行った時には探してみます。

今回の旅は、光州事件並びに1987民主化運動並びに関連運動がテーマで、残念ながら偶然見つけたこの全南大学博物館だけが、ほぼ考古学関連になっています。ただ、今回ソウルに行って新たに発掘された遺跡や博物館があったし、興味ある場所も見つけました。時間取れればまた行きたい。shunshunさんは、この間どんな所を回っていたんですか? (2018年12月05日 22時04分37秒)

Re[2]:ソウル・光州の旅2-2 全南大学博物館(12/02)   shunshun さん
KUMA0504さんへ
今回は、光州市の용두동지석묘군(龍頭洞支石墓群)→全南の羅州市の신포리지석묘군→全南高興郡の유둔리덕암지석묘군→중산리지석묘군→도천리지석묘군→민등지석묘군、という支石墓を主に見学してきました。
 大学校の葉物棺では、大邱市の慶北大学校博物館と啓明大学校行素キャンパスの行素博物館は、考古資料が多くて、充実していました。今回は、慶南の昌原市の昌原大学校博物館と慶南大学校博物館を見学しました。
  (2018年12月06日 15時43分07秒)

Re[3]:ソウル・光州の旅2-2 全南大学博物館(12/02)   KUMA0504 さん
shunshunさんへ
さっそくありがとうございます。
支石墓めぐりは確かにしていなかった。次回候補に挙げたいと思います。

慶北と行素、昌原の大学博物館には行きました。確かに充実していました。慶南は候補に挙げておきたいと思います。 (2018年12月07日 12時56分32秒)

Re:ソウル・光州の旅2-2 全南大学博物館(12/02)   narcisse7 さん
おもしろいですね。
おぢさんが一番面白いと思ったのは、磨製石鏃です。全部、有茎か凸基ですね。磨製石鏃の盛期が、おそらく半島と東日本では全然ずれているとは思うのですが、東海よりも東では凹基がほとんどで、有茎の磨製石鏃はほとんど見かけません。
近畿や九州の状況は知らないのですが、どうなんですか。有茎や凸基主体とすると、列島と半島の間に石鏃文化の境界があったというよりも東海辺りに境界があったということになるかもしれません。
まあ、ちゃんと時期を考慮すると半島で青銅器の鏃が盛期の時に、西日本で磨製石鏃が使われ、東日本では打製石鏃が頑張っているなんてことかもしれませんが。
石剣は実用というより専用の祭器ですかね。殺気感じました? (2018年12月10日 20時42分19秒)

Re[5]:ソウル・光州の旅2-2 全南大学博物館(12/02)   KUMA0504 さん
narcisse7さんへ
なるほど、目の付け所がやはり違いますね。
すみません。きちんと調べればいいのですが、西日本の鏃の体系とか、どうやって調べればいいのかさえもわかりません。

ひとつきになっているのは、この大学では、日本の弥生時代の始まりを紀元前5世紀と規定していること。韓国青銅器時代が紀元前10世紀に始まった根拠は、おそらく中国遺物との比較に違いないのですが、最近の日本の時代比定の可能性(青銅器時代が始まった直後に弥生時代が始まった)をかんがえると、なんかいろんな物語が更に広がりそうです。と、素人ファンは無責任に考えます。

私の感覚でいうと、あの模様の入った石剣は、到底実用に供したとは思えません。 (2018年12月11日 17時38分54秒)

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