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4月8日は、お釈迦様の誕生日。近所の宝島寺では、昔から「花まつり」をしている。植木市といくつかの出店と、宝島寺秘蔵の屏風絵を展示している。今回は久しぶりに見ることが出来た。 近世の四大書僧とも言われる寂厳和尚の書を多く所蔵している。例えば、今回はこんな書が出ていた。達筆過ぎてさっぱりわからない。 びっくりしたのは、入ってすぐの突き当たりにあの菅茶山の直筆屏風が置かれていたこと。加藤周一の『夕陽妄語』の書名のもとになった茶山の代表詩「黄葉夕陽村舎詩」の一部が書かれている屏風が展示されていた。菅茶山(1849-1911)。江戸時代後期の儒学者、漢詩人。備後福山の藩校で出講していた。ここの説明文によると、茶山は近くの江長三宅家と縁あり、徳寿院や谷汲寺に度々往来したらしい。 この一帯は連島というが、もとは海の中の島だったので、陸地になって連なる島になったというのが、つい最近までの定説だった。ところが、実はここの地名は都羅というところであり、そこから都羅の島、都羅島(つらしま)になった、というのが定説になっている。江戸時代後期のこの時に、菅茶山はこの代表詩の中の1詩として「都羅」という詩を書いていた。びっくりである。江戸時代を代表する漢詩の中に連島を冠した詩がある! それを見ることができた。説明書も一緒に載せる。 また、幕末児島郡郷内村の画家、古市金峨の屏風絵も置いていて、その説明に長じて岡本豊彦に師事したと書いていた。和尚に「この岡本は、この近所の岡本唐貴(白土三平の父、昭和を代表するプロレタリア画家)と関係あるのですか?」と聞いた。和尚のいうには、「西浦は文化人をたくさん輩出した。そうかもしれないが、よく知らない。何処かで繋がっているのはよくあることだ」ということだった。岡本唐貴引いては白土三平は、突然生まれた突然変異ではなかったのだ。それも大きな収穫だった。古市の絵を載せる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019年04月09日 23時27分43秒
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