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テーマ:ニュース(99457)
カテゴリ:平和運動
6月22日は、1945年に水島航空機製作所を目標にして、水島空襲があった日でした。私たちは毎年この前後の土曜日に「ピースサンセット」と銘打ち、「水島空襲を考えるつどい」を開いています。今年は、土曜日がちょうど22日当日に当たり、しかもこの日はこの集いの大きなテーマの1つである「亀島山地下工場」の事を歌った「亀島山の歌」の完成披露もあり、特別な会になりました。 第1部は「亀島山地下工場見学」です。私は15年前に参加して以来でした。亀島山は、倉敷市水島コンビナート入口にある標高78メートルの小山です。その地下に、全長2000メートルの横穴が掘られているのです。 戦争末期に国策で建設された三菱重工水島飛行機製作所(現・三菱自工)は、空襲の被害を少なくするために、工場を疎開分散させました。その疎開先の1つが亀島山地下工場です。 この日だけ、個人の土地を通らせてもらって普段は安全のために閉めている南側入り口から入らせてもらいます。 中に入ると、70数年前のままの姿が巨大な規模で見学者を圧倒させます。入口こそはコンクリートで固めていますが、他は岩肌がそのまま残る掘りたての岩壁。それは即ち、いつ崩れてもおかしくはない状況という事です。「亀島山地下工場を語りつぐ会」は、この工場の補修・保存を求めてずっと運動しています。戦争の生き証人が次々とリタイアしていく中で、大切な戦争遺跡であるからです。 もはや危なくて行くことは叶わない奥のトンネルは朝鮮人労働者によって掘削中でした。完成部分と未完成部分がそのまま残されている。 工場内で完成品はなかった。6月22日の空襲で部品が不足していた。数ヶ月稼働した。 朝鮮人労働者何人働いていたか不明。 生き残り何人かに聞いたが、周りのことしかわからない。事故人、埋葬はしたが、全容わからない。 これは全国的にも同様です。広島(にしまつ建設)の中国人の労働者は、名前も犠牲者360人もわかっている。それ以上の500人とも言われる朝鮮人も働いていたが、全くわからない。これは、戦後直ぐに調査したかどうかの違い。朝鮮人は国籍はみんな日本人だった。そのあと戦後、みんな在日朝鮮人となり、北南に分裂し、戦争が始まり、朝鮮人の犠牲・補償は全く出来ていない。日本人は韓国と補償のことでも決着つけたと言っているが、当時の独裁者・朴正煕は犠牲者に補償金を渡していない。現在、労働者の生き残りが補償を求めて提訴するのは、そういう意味もある。 第2部では、水島労働者福祉センターに会場を移して集いを開催しました。元ミュージカル女優で岡山を拠点に活動しているプロの歌手・清水ゆきさんによって「亀島山の歌」が初めて披露されました。 圧倒的な歌唱力と、地下工場の歴史を乗り越えて平和を願う歌詞が見事に調和しして、会場に詰めかけた60人の参加者に深い感動を与えていました。 その後、空襲同時に学徒動員で働いていた85歳の小川さんの体験談を聴き、「2019年ピースサンセットアピール文」を採択して閉会しました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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『悼みの列島』社会評論社、『土地の記憶』社会評論社 という本があります。著者は室田元美さんという方で、各地の戦争遺跡、そして中国人、朝鮮人の強制連行の後をたどったルポです。
取り上げられている土地すべてに、「記憶を残す会」があります。地道な努力によって政府が忘れさせたい「記憶」「記録」が残されていることを知りました。私も自分の地域でその末席に加わりたいと思っています。 (2019年06月29日 19時59分54秒)
まろ0301さんへ
今回初めて鮮明な写真を撮ることができました。「語る会」がサーチライトを準備していてくれたおかげです。いろいろ経験を重ねています。久しぶりに参加して、改めてほんの一部を見ただけなのに、その大きさに圧倒されました。知識として知っていることと、経験をじかに聞く、直に経験するというのは全然違います。戦争遺跡を遺さないといけないと主張する所以です。 (2019年06月30日 06時32分04秒) |
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