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カテゴリ:読書(ノンフィクション12~)
「ビッグイシュー361号」ゲット! 今回の表紙は、私の生涯ベストのひとつである「パピヨン」リメイク版のかつてダスティン・ホフマンが演じたルイ・ドガ役をやるラミ・マレック。演技者としては、これで評価が定まるだろう。 特集は「生きやすくなる方法」。リード文は以下の通り。 なんとなく「空気」や「雰囲気」に引っ張られ、なぜこんなに生きにくいのか?と自問したことがありませんか? そんな「生き苦しさ」がどこから来るのか? を考え続けたのは、鴻上尚史さん(作家・演出家)だ。日本には「世間」と「社会」の二つの世界があって、基本的にあなたが「世間」に生きているから苦しいので、このことをわかれば生きるのが楽になると言う。 また、なぜか、少し大人になれば「生きやすい」のにと思ったことはありませんか。そして、もはや「若者」ではないのに、どうすれば「大人」になれるのかと考えたことは? 熊代亨さん(精神科医)は、「若者」をやめて「大人」を始めた頃の自分の体験を生々しく覚えている。誰もがいつまでも「若い」ままではいられない。あなたが「大人」を始めようとする時、何が必要なのだろうか? 鴻上さん、熊代さんのお二人に、「生きやすくなる方法」を語ってもらった。 鴻上さんはおそらく『「空気」を読んでも従わない(岩波ジュニア新書)』の中身をかいつまんで話したのだとおもう。 実は私には「いじめた」のも「いじめられた」のも、記憶の中では認識はないのだ。どころか、同級生の中で、そういうことがあったのは、結果的にチンピラになって大阪に行って若死にしてしまった中学ニ・三年で同級だったYくんのことしか思い当たることがない。Yくんからは変に懐かれたが、付かず離れずの関係のままに終わった。 大人になると、私はいろんな場面で戸惑った。そこで初めて生きづらさを感じていたのかもしれない。 私の時代は、ちょうどムラ社会が音を立てて壊れて行く時代だった。音は聞こえなかったが、ムラと都会の両方の景色を見ながら育っていった。ムラという「世間」がなくなり、「社会」の中でも生きられず、新しい「世間」(スマホや会社)の中で流動化してるのが現代らしい。 最近千歳楽の記事を巡って、千歳楽の地元の人からクレームのコメントが来た。いくつかやりとりをして、ある程度はわかってもらえたと思っているが、多分全面的には納得していないだろう。あれば、「世間」の話をしようとしているコメント主に対して、こちらは「社会」の話をしようとしたことから起きた軋轢だと思う。 「異世代ホームシェア」の記事があった。とても魅力的だと思う。 「今月の人」で、東京都のビッグイシュー販売者さんが、将来のことを尋ねられて「とりあえず、東京オリンピックの間、生活や販売ができるのかが心配。あとはもう、どうしたいと欲を言う年齢でもないかな」といっていた。まさか、そんなことが!と私などは思ってしまう。でも絶対にないとは言い切れない。販売者さんたちにとっては、ホントに死活問題なのだ。
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