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カテゴリ:読書(ノンフィクション12~)
「図書 2019年09月号」岩波書店 非常に気がかりな事が書いてあった。掲載文章のことではない。巻末の編集後記「こぼればなし」のことである。KADOKAWAのPR誌「本の旅人」の休刊に関して述べて、「PR誌のあり方も変化していくのが趨勢」と述べているのである。 かつては広告媒体も新聞や雑誌に限られていて、そのメディアの多くが書籍の読者と重なっていた。しかし、それらの読者の減少が続いている。他方SNSで発信された、ある個人の「つぶやき」がベストセラーをもたらすことも、もはや特別な風景ではなくなってきている、とこの編集子は認識している。 ただ一方で、電子書籍が紙媒体を近いうちに駆逐すると思われていた米国でも、紙への回帰と見られる現象があるらしい。 だから、「本の旅人」の休刊に伴って、PR機能は文芸情報サイトへ、連載媒体は既刊雑誌や電子雑誌へ移行するのは、単純に「紙vs.デジタル」といった構造ではないだろうと分析する。 「PR誌のあり方も、PRの方法にあわせた最適なものが考えられてゆくことになるのでしょう」と編集子は結ぶ。素直に読めば、「図書」の休刊を模索しているとしか思えない。止めて欲しい。この形態だから、気軽に読めるのである。書き手も、此処だから書けることを書いてきたのだと、私は想像する。 巻頭の伊東光晴氏の「私にとっての加藤周一」もそうだ。一見、鷲巣力『加藤周一はいかにして「加藤周一」になったか』の書評の体裁をとりながら、明らかに、新しい加藤周一評伝の新材料を提供する貴重な論文になっている。どこかの雑誌が加藤周一特集を組まない限りは、決して書かれることのなかった論文である。加藤周一ファンの私としては、とても参考になる論文だった。6月号の朝日まかて氏の「富嶽三十六景」論もとても参考になったし、2018年12月号の加藤周一の娘さんの寄稿は、とてもびっくりしたし、貴重なものだった。 休刊が私の杞憂であることを願います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019年09月04日 13時44分48秒
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