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カテゴリ:読書フィクション(12~)
「モンスーン」ピョン・ヘヨン 姜信子訳 白水社 「ユジンさんには幼稚な質問を沢山しました。なぜ台風の進路の正確な予測は不可能なのか、風向きはいつ変わるのか、といったことです。気温差や自転が風を起こすのだということは常識的にわかっています。しかし、モンスーンのようなものの場合ですよ、あのように規模の大きな風は、いつ風向きを変えるのか、その瞬間をあらかじめ知ることはできないのか、といったことを理解するのが難しかったのです。それについてはご存知ですか?」(23p) 妻の上司であり科学館館長であるこの男は、もしかしたら赤ん坊が偶然の事故で亡くなった日に妻と会っていたかもしれない。カウンターで何も無かったように話しかけるこの男に、夫のテオは怒りの衝動を起こしかける。もっとも、それだけの話である。この短編「モンスーン」が韓国の文学賞を獲ったのは、妻の不倫も明らかにせぬまま物語を終える構造が、セマウル号事件が起きたばかりの韓国の人々の琴線にふれたからかもしれない。しかしそれだけではない。 私は仕事の関係で、雨雲レーダーをよくチェックする。直後の1時間の間に雨が降るかどうかを確認するのに、これは95%ぐらいは信頼がおけると思っている。同僚は黒雲が低く立ち込める空模様を見て「雨が降りそう」と不安がっているが、私は降らないことを知っている、バカだなぁと優越感にふける。人は、雨が降り始めるまで予想も出来ない人、経験値で予測できる人、私のように神の視点(ツール)で予測出来る人にわかれているのではないかと思ったりする。しかし、3時間後には雨雲レーダーはゴッソリその前の予想を変える。現代の科学は、2時間過ぎれば風の向きを予測出来ない。でも、確率的には、天候は人類が未来を予測できる分野としては最も進んだ分野だろう。 偶然の事故を人は予測できない。 けれども人は、その原因を探って、人を責めたり自分を責めたりする。その心の動きを作者は恐ろしいといっているようだ。 私は、それを認めながらまた別の感想も持った。 韓国社会は、まるで日本のパラレルワールドみたいだ。小説で読むと特に感じる。いろんなところが我々と同じようで、少しづつ何処か違う。団体観光は遺跡や産業団地になんかは行かない。もっとも韓国における遺跡は古代だけを意味しない。バスに押し売りも入ってこない(「観光バスに乗られますか?」)。日本には蚕のサナギのカンヅメは普通に商店に置いていない(「夜の求愛」)。日本ではタクシーの一斉ストライキなどは存在しない(「訳者あとがき」)。韓国旅行の時には感じないのに、小説を読むと感じるのは、当たり前のように、それが日本語で書かれているからに他ならない。少し怖い。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019年09月20日 10時57分54秒
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