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テーマ:美術館・博物館(1481)
カテゴリ:旅の記録
みよし風土記の丘のジオラマ。浄楽寺・七ツ塚古墳群を中心に整備されている。 方墳は計20 前方後円墳は計1 帆立貝型古墳は計3、そして円墳は計152確認されている。 外に出た。民俗資料も、少しある。これは江戸時代の農家の姿を留めている(17C中頃)らしい。旧真野家住宅。 古墳時代の竪穴式住居、平床式住居、高床式住居を復元。 七塚古墳群。山頂に延々と円墳が並ぶ様は、朝鮮半島伽耶の古墳群と瓜二つだ。あちらは、これより高く土を盛っているが、大袈裟という説もあるので、本当に瓜二つだったかもしれない。二つの国の遺跡の比較研究はどこまで進んでいるのだろう。私が研究者ならば、必ず一冊本をつくるテーマなのだが。 戸の丸山製鉄遺跡のたたら跡の復元があった。 資料館の中でも、復元実験の細かな解説があった。江の川の砂鉄約20キロを使い、松の灰約60キロも使い、6時間かけて、鉄塊約4キロが出来たらしい。古墳時代から日本の製鉄が始まったとすれば、正にこれが日本の製鉄作業の正確に近い再現になる。詳細な図版と写真と復元現場で、これまでもなく、古代日本の製鉄作業がイメージできた。 この後、三次工業団地内にある矢谷古墳(古墳ではなくて、弥生時代の墓なので墳丘墓のはずなのだが、何故か石柱には古墳と書いている)を訪ねた。来て分かったが、一度来ている。あの時は、駅から貸し自転車で来たはずだ。ものすごく苦労したのを覚えている。15年以上前のはずだ。ブログに記録がないので。デジカメの第一世代で、すぐにバッテリーが切れた。一枚か2枚しか撮っていないはずだ。バシバシ写真を撮るぞ! 2013年に立てられた説明板。これが最新の研究成果か。特殊器台は10基発見。胎土は吉備のもの、と書かれている。墳丘は、尾根の高まりを利用して作られてはいる。全長18.5m、くびれ部より南側は6m、北側は12.5m、高さ1.2m、周囲は幅2mの周溝が巡っているらしい。ガラス玉が発見されたのは、2012年と最近だった。 三次平野を一望出来る、一等地に作られている。どのような「王」だったのか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019年09月30日 08時53分45秒
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