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テーマ:美術館・博物館(1481)
カテゴリ:旅の記録
この後、三次もののけミュージアムに行く。予想以上にいい博物館だった。おすすめです。 三次は写真のように、中洲の中で発展した町であり、矢谷墳丘墓が山陰と吉備の結節点であったように、江の川に挟まれて、水交通、陸交通共に、交通の要所として発展した。 前は三次市歴史民俗資料館という名の辻村寿三郎人形館が大きな観光施設だったのだが、現在は完全にもののけミュージアムにとって変わっている。実際祝日ということもあって凄い人出だった。日本初の妖怪をテーマにした博物館。湯本豪一氏の妖怪コレクション5000点を一括寄贈を受けて作ったらしい。日本最大のコレクションで、ホントに見応えあった。 ほとんど写真に撮ってもいいというのが、ブロガーにはたまらない。 以下、写真を並べるだけで、下手な私の解説よりも雄弁だと思う。少しだけ、言葉を挟みます。 この部屋は「お絵描き妖怪ピープル」。なんと、妖怪の下絵に色を塗って登録すると、壁に自分の絵がふわふわ歩き出す。大人の私が見ても興奮する。子供が描いて動くのを見たら、一生忘れないと思う。これだけのためでも、子供を連れてくるべきだ。 寄生獣がいた! 以上、特別展「かわいい妖怪展」。 館を出た。三次を代表するという、比熊山。見事な円錐形のお盆を被せた形。明らかに神奈備山の形をしていて、弥生時代遺跡があってもおかしくはない。残念ながら、頂上には、中世の領主・三吉氏が天正19年(1591)に本拠を移した山城跡があるのみという。古代遺跡は、その時に破壊されたかもしれない。もののけミュージアムを呼び寄せた「稲生物怪録」で稲生武太夫が肝試しで登ったのが、比熊山であり、それがこの物語の始まりだったことを考えると、大きな意味を持つ山なのである。 三次の街中では、まだまだ明治・大正・昭和の建物が色濃く遺っている。 湯本コレクションが寄贈されたのは、ひとえにこの妖怪物語が、有名だったからだ。そういう意味では、貴重な碑だろう。 人形師が輩出する下地になったか、街の至る所に木場があった。しかし、此処は廃業していた。三次人形は気品ある土人形として有名。北の外れに窯を築いて焼かれた。江戸時代に評判をとったらしい。 高速を通って倉敷に帰った。約2時間で帰れた。また、来たい町である。
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最終更新日
2019年10月01日 08時07分10秒
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