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2019年10月20日
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「春と修羅」宮沢賢治
「蜜蜂と遠雷(下)」の感想を書くにあたって、ふと思いついたのが、宮沢賢治の詩「春と修羅」のパロディで書けないか、ということだった。作中で新曲「春と修羅」を演奏したのだから相応しいだろうと思ったからだ。

もちろん、賢治の科学と感性に支えられた奇跡の語彙に敵うはずもないし、何よりも彼の志にたどり着くはずもない。お遊びであり、やってみると、恐ろしく恥ずかしいものが出来上がった。言いたいのはそのことではなくて、やってみてわかったことがある。

「春と修羅」の一部抜粋

いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
唾しはぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
(風景はなみだにゆすれ )
  砕ける雲の眼路をかぎり
    れいろうの天の海には
    聖玻璃の風が行き交ひ
      Z Y P R E S S E N春のいちれつ
      くろぐろと光素を吸ひ
       その暗い脚並からは
        天山の雪の稜さへひかるの
       (かげろふの波と白い偏光 )
      まことのことばはうしなはれ


あの詩及びにこの詩集は、単なる「詩」ではなかったということだ。私は単に賢治がリズムをもって詩を作っていたのだと思っていた。違う。賢治は「言葉によって」ひとつひとつ「曲」を作っていたのだ。賢治の中は、明確に世界を鳴らしていた。(と思う。私には曲調まではわからない)

特に「春と修羅」はそうだし、「小岩井農場」は明らかに交響曲だし、「永訣の朝」に始まる三部作、ならびに「オホーツク挽歌」シリーズはレクイエムやそれを超える交響詩だし、「真空溶媒」や「原体剣舞連」などは、もう音符付き曲が出来上がっている気もする。オペラもある。

賢治の住み込んだ花巻の「野原ノ松ノ林ノ䕃ノ小サナ萓ブキノ小屋」には、当時では珍しいレコードが豊富にあり、賢治は毎日のように聞き、それを全く新しい言葉にしたのだ。資産家の息子だからできたのだと言われればそのとおりかもしれない。でも、そこから紡がれた詩は、言葉の神様に愛されたのだ。私は40数年前中学生のとき、写真付き賢治詩集を買って貰って擦り切れるほど読んだ。そのおかげか知らないけれども、思春期の間、その純粋性、理想家、知性に当てられて、ぐれることなく理想家或いは夢想家に育った。文学が人を変える力を持っているかどうかは知らない。けれども、成長期に出逢うそういう本は大きい。

その詩の多くは、意味が全てはわからない。だからいい。人生の大きな謎として、ずっと胸にしまいながら生きていける。


わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体 )
「序」の冒頭のことば






最終更新日  2019年10月20日 20時00分18秒
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