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テーマ:古代のロマンを求めて(40)
カテゴリ:考古学
2020年3月16日 島根の旅
昨晩降り出した雪の影響は、皆生温泉の周りはとりあえずなかった。しかし、米子道が全面チェーン規制だ。困ったことになった。今日中に帰らなくてはならないのだが。朝食は、ホテルらしい格式。ちょうどいい量だった(常備薬を置き忘れた。しょっちゅうである)。 9時出発。前回出雲の旅の時にとりこぼした「安来」(島根県)に行くことにした。あまり時間がない。昼過ぎには帰る体制を取らないといけない。でも、安来の唯一の歴史博物館らしき「安来市立歴史資料館」に赴く。来てみて、わかった。戦国時代の月山富田城跡の真下(白い建物)が資料館なのだ。 この模型を見ると、思った以上にに広大な堂々としたお城だった。戦国時代のお城としては、ピカイチと思う。中世では尼子氏代々の居城として栄え(1467-1566)、尼子氏滅亡以降は毛利氏の山陰地方支配の拠点となる。江戸時代は、堀尾氏が松江城を建てるまで、此処に居たらしい。 帰り、山中鹿介の尼子氏再興を大河ドラマにせよ、と町が全面に力を入れていた。最近の「麒麟が来る」を見ると、可能な気もしてくる。 予想通り、弥生時代展示は両手を伸ばすぐらいしかなかった。吉備器台が出ているのが、特に目を引く。果たして、王墓の祭に吉備特殊器台を使ったのか?だとしたら、出雲大谷墳墓群と同じ扱いということになる。もし、違っていたらそれはそれで考えないといけない。特殊器台がもし「龍信仰」というベースがあるのだとしたら、緩やかな同盟関係にあったとしてみても良いということになる。この資料館に、もし遺物が無くても古代のガイドパンフがあるのを期待していたのだが、それさえも無かった。もちろん図録など一切ない。3人も職員が居るのに、ちょっと情熱が足りないなぁと思う。今回回った博物館で、ここだけコロナのために名前と住所を書かされた。 そのあと、足立美術館の外側だけを見た。あの庭をこの白い箱の中に閉じ込めているのか。太陽光はどうしているんだろう。 荒島駅の近くに、古代出雲王陵の丘というものがあるようだ。そこを目指して行く。資料館で資料が一切手に入らなかったので、そこに行くしかなかった。行くと、ここは目当ての弥生時代ではなく、造山古墳群、つまり古墳時代のものでした。幸いにも、この最初の王陵にガイドマップが置いていた。他の王陵に残っていたのは塩津だけだったので、貴重。このガイドがあるかないかでは、全然違う。どうして安来市立歴史資料館には置いていないのか? 前方後円墳(2号墳、古墳時代後期、50メートル)があるのはわかったが、目当ての前期で1番大きな方墳である1号墳の位置がわからなかった。前方後円墳から出雲地域を眺める。 辛夷の咲く丘陵から宍道湖の中海と、遠く国引き神話の全体像を眺める。 ここで一旦切ります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年03月22日 15時44分09秒
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