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カテゴリ:読書フィクション(12~)
「土神と狐」宮沢賢治 青空文庫 みなさん、宮沢賢治の童話の中で「土神と狐」という作品をご存知でしょうか?賢治の三大童話といえば「銀河鉄道の夜」「風の又三郎」「グスコーブドリの伝記」でしょうか。その周りに一等星「注文の多い料理店」「セロ弾きのゴーシュ」「よだかの星」などが居ます。後は綺羅星のような詩的な「やまなし」とか「水仙月の四日」「貝の火」などが配置されて、後はその先駆形やメモのような作品が無数にあるのです。わたくし的には、そのどれとも位置されない、形としては短い話だけど、とてもスケールの大きい、あるいっときだけ光る明けの明星のような物語が「土神と狐」だと思っています。 女性の樺の木を巡って、神様だけど乱暴者の土神と、上品で物知りな狐がアプローチをかける、いわゆる三角関係のお話です。最後に大きな悲劇が起こり、プツンとお話は切れます。 先ずは無料の青空文庫を読んでください。 これはいったいいつ書かれたのだろうか? 発表は賢治の死後です。遺された賢治のトランクの膨大な原稿の中にあったのでしょう。 3人は誰がモデルなのか、初稿・最終稿の詳しい比定は?それは無数にいる研究者に任せるとして、私の思ったことは2つ。 一つは、これがいわゆる「修羅を歩く賢治」の自画像だろうと言うことです。狐は科学的知識も豊富で美学にも通じている。ハイネ詩集も持っている。樺の木にも心底優しい。けれども、樺の木に「今度望遠鏡をもってくる」とウソをつき、外目を良く偽っている。土神は不思議な力を持っているし、樺の木を心底愛している。そもそも神様ではあるが、風貌は汚らしく言葉は乱暴で嫉妬深く、嫉妬のはけ口を木こりに悪戯をすることで紛らわすことさえしてしまう。かっとなると、自分を抑えられないと自覚している。樺の木は、美と慈悲の結晶のような存在ではあるが、動くことができない。だから、狐のウソを見抜けない。もしかしたら、3人が全員賢治の分身かもしれない。賢治の葛藤が何処にあったのかは、此処では語ることではない。 一つは、これを原作として長編ドラマ・映画が作れないか、ということです。明治の岩手県が舞台。樺の木に、村で唯一の美しい娘。狐は洋行帰りと言っている心優しい青年。土神は、土地の若き屋敷持ち地主として、リアルな人間として演じさせる。映画としては、実験的に東出昌大に土神と狐の二役、唐田えりかに樺の木を演らせる、というキャスティングもある。結構やってくれそうな気もする。テレビドラマならば、一般受けを狙う。土神に賀来賢人、狐に綾野剛、樺の木にまるきり新人女優はどうだろう。中に賢治作品のさまざまなオマージュをいれながら、大津波で生まれて大津波で亡くなっていった賢治の時代の岩手県を重層的に描く。そして最後の悲劇に向けて、じわりじわりと描いてゆく。脚本は野木亜紀子にお願いしたい(笑)。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年07月12日 14時37分25秒
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