再出発日記

2020/10/08(木)06:59

遺品には物語がある「遺品博物館」

読書フィクション(12~)(656)

「遺品博物館」太田忠司 東京創元社 わたしは時々やってしまうのですが、申し訳ありません、長い前フリをします。純粋な本の感想を読みたい方は、後半部分に飛んでください。 考古学を趣味にしていると、博物館における遺物の展示説明には玉石混交があります。なるほど、「考古学は事実で歴史を語る学問だから、自分の思いなど書くべきでない」と言う学者もいます。でも下の説明書(せつめいがき)を見てください。これは、大洲城内にある中世末期の湯築城から出土した土師器皿(かわらけ)の説明書です。 「猫の足あとのある皿」 「この土師質土器の皿は、丘陵西側からまとまって出土した中の一点です。皿の内底部に猫の足あとがくっきり残っている、大変珍しいものです。おそらく、製作の過程で偶然足あとがついたものだと推定されますが、城内から出土したということは、製品として持ち込まれて使用されたと考えられます。当時もさぞかし話題になったことでしょう。」   普通の説明書では、「大変珍しいものです」で止めています。そこまでならば、「そうか、この頃も猫は身近だったんだ。肉球可愛い!」ぐらいの感想しか生みません。ところが、後の説明を読むことで、想像力豊かな人は、一冊の本さえ書けるでしょう。「城内から出土」という「事実」から「城内で製品として使用されていた」という「事実」が浮かび上がります。一見不良品の皿を、わざわざ貴人が使用する城内に持っていこうと決意した製作者の気持ちは何だったのか?それを受け入れた者(おそらく姫←わたしの想像)の気持ちは何だったのか?それに気がついた周りの人たちの反応はどうだったのか? ‥‥ここからもわかるように、本来「遺物」には、すべからく「物語」があるのです。それを掬い取って語るべきは、考古学者の務めであるとわたしは主張したい。 「遺品」には「物語」がある。 何も有名なお城から出土しなくてもいい。普通の人の遺品は、多少なりとも人生の物語を内包しているはずです。ならば、その遺品を中心にしてミステリが書けるはず。なおかつ、遺品を収集し、研究し、いつの日か展示する「遺品博物館」があってもおかしくはない。著者の想いに大いに賛同します。 ここに出てくる人たちはみんな無名の人たちです(創作話だから当然である)。けれども、万が一パラレルワールドで彼らが実在していたとして、遠い将来「遺品博物館」で「研究者」が遺品の価値を品定めしたとしたら、彼らの「死因」の多くは伝えられているものとは違うものになってしまい、その世界の「文化史」の幾つかは「書き替え」が迫られるでしょう。まぁ何人かは、既に誰かか暴露本を書いていて、この「遺品」の存在が伝説と化している場合もあるでしょうけれど。 ミステリとしては、途中で小出しに事実の暴露が行われるので、まぁ普通に楽しめました。設定だけが面白い作品です。こんな八篇の短編集にするのではなくて、緊密な構造を持った長編こそが相応しいとわたしは思います。

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