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カテゴリ:読書フィクション(12~)
「類」朝井まかて 集英社 森鴎外を知れば知るほど巨大な人物に見えてくる。作家としても、思想家としても、政府要人としても大きな足跡を残した。そして森鴎外は一方で類稀(たぐいまれ)なる家庭人だった。於菟(オト)、茉莉(マリ)、杏奴(アンヌ)、類(ルイ)の兄弟姉妹は、その海外でも通用する名前をもらって、愛情もって育てられる。二章目で森鴎外は亡くなり、そのあとは戦後のずっと先までの彼ら家族の物語になる。 類が森鴎外の才能を受け継いだわけではない。むしろ(言及は一切ないけど)軽度の発達障害だったかもしれない。知能に障害があるわけではないが、成績が上がらない。凡ゆることに集中が続かず不器用だ。遂には中学校を中退する。ただ、遺産相続があり、一家は一生困らない生活ができると思っていた。 底辺にいる末弟の類を通して華族的な森一家を見れば、森一族の世界が立体的に見えるだろう。というのが、作者の「狙い」だったのではないか? 現在我々が簡単にその著作を手にすることができるのは、長女・森茉莉の作品だけである。しかし、次女の小堀杏奴の才能も素晴らしかった。4人兄妹や鴎外の妻や叔母の金井美恵子さえも本を出している。森類「鴎外の子供たち」(ちくま文庫)は、本書を機会に是非とも再販して欲しいものだ。 一転、戦後家族人となった後の貧乏生活。世間一般の極貧とは違うが、初めての会社勤めをして類は1か月後に丁寧に追い払われる。後に同僚から言われた「役に立つ、立たないじゃないんですよ。あなたのような人が生きること自体が、現代では無理なんです」との指摘がキツい。類がそのホントの意味を分かり得ていないのもキツい。 それでも、類たちには貴重な「体験」という資産があり、類は姉以上の記憶力を活かしてなんとかモノになる本を書く。尚且つ僅かばかりの本物の資産もあり、最後まで落ちぶれず(姉の茉莉は「贅沢貧乏」という形で精神の華族を表現した)彼ら森一族は昭和を生き延びてゆく。 森一族という狭い眼鏡から観た昭和史。森鴎外という巨人の影からどうしても自由になれなかった芸術家の子供たちという「運命」。でも決して不幸ではなかった。それは彼らにあった「森鴎外の名前を汚しててはならぬ」という使命感が、彼らの顔を上に向かせていたからではないか?偉大な「パッパ」を持った一族史という「小説」だったと思う(同様の一族で、私は手塚治虫の子供たちを思う)。 表紙は類の絵だ。観潮楼(団子坂の鴎外邸)の、鴎外が手入れした花畑に違いないと思う。 ※細かいところまで神経が行き届いている。観潮楼に生えている郁子を見ては「郁子なるかな」と祖母が呟いているエピソード。「むべなるかな」の元ネタを踏まえてのことだけど、それ以上の説明はない。ウィキにさえ載っていないモノネタである。 森一族への直接取材も可能だったらしい。恐ろしいほどの取材を経て綴られた。約500頁、読み応えのある「小説」だった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年10月25日 15時26分54秒
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