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テーマ:京都。(6067)
カテゴリ:旅の記録
2020年11月2日(月)雨
朝から雨。ローソンで傘を買って、直ぐ近くの烏丸綾小路遺跡であろう所を写真に撮る。これは図書館で探してもらった京都古代巡りのための本「京を発掘!出土品から見た歴史」(京都市埋蔵文化財センター編)に載っていたもの。 この辺りの弥生遺跡(中期)から、唐古・鍵遺跡と同じような楼閣が描かれた土器が出土したらしい。「この辺りは弥生時代でもかなり田舎だろうに何故なんだろ」とは著者の疑問。つまり、この楼閣は現代で言うファッションビルではない、祭祀を行う場所としてシンボルとして知られていたのでは?と推測していました。 もう少し離れた綾小路遺跡も探したのですが、場所を特定できなかった。 これは菊水井戸跡。 与謝蕪村の終焉の地もあった。 説明書は以上の通り。 地下鉄で二条城へ行く。駅出口看板。お堀周りには、城周りを作業する町人の町があったようだ。今も少しだけ趣が残っている。 二条城に入城。東南隅櫓。火事でも焼け残って昔の姿を留めている。 東大手門。寛永年間に、天皇の二条城御幸二階から見下ろさないようにと、一度一階に建て替えられ、また二階建てに戻している。 国宝、二の丸御殿。ともかく豪華な造り。中は撮影禁止のために写真はないが、「京都深ぼりさんぽ」(以下「さんぽ」)に書かれていた豪華な豪華な餝(かざり)金具はしっかり見させてもらった。ひとつひとつの鍵隠しなどの餝金具はその作業だけではなくて、その数に圧倒される。全ての柱に上下三つくらいあるから、もしかしてその数は数千を数えるのではないか?(「さんぽ」には大型は数百枚と書いていた)気の遠くなるような作業だったのではないか?欄干彫刻もすごかった。もちろん、狩野派の障壁図の多さにも腹がいっぱいになる。大広間での慶喜の大政奉還の人形などもまぁ面白かった。よく考えたら一度来ている。おそらく小学校の修学旅行できた。鶯張りのキュッキュッと鳴る廊下のことしか覚えていなかったけど。あの頃はよく鳴ったけど、今日は雨のせいかほとんど鳴らなかった。 小堀遠州作の庭に回る。小堀遠州は、岩や遠景を景色に見立てる庭を作る。 アプリの説明場面を動かしたけど、上手くいかない。 二条城の紅葉は素晴らしい、と何処かに書いていた。まだ最盛期ではないのか、それほどでも、だった。 唐門の彫金、透かし彫りはホント職人技だ。長寿を意味する「松竹梅に鶴」聖域を守る「唐獅子や竜」を極彩色に彫って飾っている。あまりにも色鮮やかだと思ったら2013年に修復したばかりらしい。ともかく、名前の残らない職人たちの独壇場ではある。 (「さんぽ」には「瓦は瓦職人、檜の樹皮を使った屋根は檜皮葺職人、その下の唐破風に塗られた漆は漆職人、彫刻は木彫師、そして餝金具は金具職人が手がけとるんや!」と紹介していた) 京都には未だこれだけの職人が生きている。しかし次の修復の時には、これが可能な保証は何処にもない。 本丸御殿は修復中だった。天守閣跡に登って西橋を撮る。 後でそこを回ると、カクカクと入る(いわゆる防御のための)通路になっていた。 ここの紅葉(もみじ)は素晴らしい。 ひとしきりまわって清流園というお庭に出る。桜の木が美しい。これも、ここ数十年の植木だと思う。毎日職人たちが手入れしている成果なのだと思う。 それでも二条城だけで午前中を使ってしまった。この後、「さんぽ」を使って京都ぶらぶらをするつもりだったが、ウエストカバンの中身を見て愕然とする。今日1番の失敗である。「さんぽ」と思っていたが、同じ書店のカバーをかけた他の文庫本だった。何やっているんだか!そうは言っても、行くべき場所だけは知っている。千本中立売ぶらぶらである。バスを待って、そこの停車場でとにかく降りる。 いったい何処なのか。この通りなのか?どう見ても此処は夜の街だ。 おゝいかにもという店。 極楽湯という家の佇まい。 地図アプリ見てもピンとこないけど、とりあえずおばあちゃんに千本中立売商店街の場所を聞く。名前は違うけど、コレらしい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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