|
テーマ:本日の1冊(3263)
カテゴリ:読書(ノンフィクション12~)
![]() 「梁塵秘抄」後白河法皇編纂 川村湊訳 光文社古典新訳文庫 あなたの 約束 忘れない 信じて 信じて 待っている あなたの 名前を呼ぶだけで ほんとの 幸せ やってくる 誰が歌っている演歌だろうか?いや、そうじゃない。今から900年ほど前、京の都を中心に流行した「今様」という歌謡の歌詞を川村湊さんが今様に訳したものです。 本歌はこうです。 阿弥陀仏の誓願ぞ 返す返すも頼もしき ひとたび御名を称うれば 仏になるとぞ説い給う 大嘘じゃないか!百歩ゆずって意訳のし過ぎじゃないか!と思うだろうか?私はそうは思わない。当時、庶民にとっては阿弥陀仏は単なる仏様ではなかった。仏像や歌い手は時にはアイドルそのものだった(参考 五木寛之「親鸞」)。庶民がこの歌を歌うとき、おそらく意味合いは上の歌詞そのものだった、と私は思う。 それにしても素晴らしい訳業だと思う。そのまま、誰か曲をつけて売り出して貰いたいものだと本気で思う。もちろん出来不出来はあります。 また、今から900年前に、既に庶民の間では歌謡曲の条件が揃っていたということが、生き生きとわかる素晴らしい「古典」だと思う。ここでの訳業は全体の1/5も無い。また、歌謡曲だけでなくて、「前口上」「ピン芸人」「風刺」「阿保芸」等々、凡ゆる娯楽の素地が生まれている可能性がある。しかも「梁塵秘抄」はたまたま近代に見つかったもので、全体の一部に過ぎないらしい。ホントの全体像は未だ謎なのです。後白河法皇が、まるで憑かれたようにカラオケボックスに籠っていたのがわかる気がする。録音機が無いのを法皇は残念がっていたが、せめて歌詞だけでも纏めてみたいと思い、精力傾けて編纂したのもわかる気がする。おそらく居たはずのスーパースターの歌声と曲調は如何なものだったのだろうか?庶民文化史の燦然と輝く裾野を見せ、想像させる面白い訳業でした。
[読書(ノンフィクション12~)] カテゴリの最新記事
なるほど、平家物語には仏御前とか千手前とか、仏にちなんだ名をもつ白拍子や遊女がでてきますが、仏像もアイドルのようなものだったと考えれば納得がゆきます。もしかしたら阿弥陀なんていう売れっ子遊女もいたのかもしれません。
(2020年11月14日 17時10分08秒)
七詩さんへ
五木寛之「親鸞」では、親鸞の息子の善鸞が今様を歌ってアイドル並みに人気をとる展開があります。彼としては、教えを広めるための方便という立場なのですが、親鸞はいい顔をしません。 また、柴門ふみは仏像マニアで本まで出していますが、見方はまさにイケメン顔に惚れ込むという見方です。 私の見方は見当違いではないはず、と確信を持っています。 (2020年11月15日 01時04分29秒) |
|