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テーマ:本日の1冊(3263)
カテゴリ:読書(ノンフィクション12~)
![]() 「一〇〇年前の女の子」船曳由美 講談社 寺崎家では、乞食が来たら決して手ぶらでは帰さなかったという。奈良時代にはあったという「蘇民将来」信仰の、一つの未来形だろうと私は思う。 おばあさんはいつもいっている。 ーどんな汚い姿(なり)をしている者でもバカにしてはいけない。そういうヤツは人間のクズだ。コジキだって、来世には仏様に生まれ変わるんだから‥‥ そういえば物乞いでも丁寧に「お乞食さま」と呼んだりする。何か理由(わけ)があって、神様が身をやつして村を訪れているかもしれないからだ。テイは大事に隠していた宝箱からアメ玉を持ってきてやった。子どもが大きな口を開けてニカっと笑った。(174p) 船曳由美さんのお母さんは、米寿を過ぎた頃から「重い石で心の奥に封印していたかのような子供の頃の出来事」を鮮やかに語り出した、という。明治42年生まれ。出版時には百歳を越えた。だとすれば、冒頭載せたエピソードは大正中頃の栃木県足利郡筑波村大字高松の「常識」であり、それに応えた10歳ほどの少女の小さな優しさだろう。 テイの運命はそれなりに波瀾万丈ではあるが、もっと凄いのは、柳田国男の「明治大正史世相編」ではすくい取れないかった子どもと女性から見た民俗と、それを生きた人々の想いが、これぞと言って良いほど、生き生きと描かれていることである。 たくさん栞を挟んで本が膨らむほどだったのであるが、もう途中で諦めた。何処を取っても面白い。興味深い。100年前の日本は、弥生時代から続く古代の匂いがする。この60年間で、日本はいったい取り返しがつかないくらいに変貌したのではないか? 船曳由美さんは、10年ぐらいかけて何度も同じ話を聞いてきて、この話をまとめたのだろう。聞書で無名人の人生をまとめた書物に、私は何故かいつも滅多に出さない最高点を出している。無名人の人生にこそ、豊かな物語がある。 小熊英二「生きて帰ってきた男」 山川菊栄「武家の女性」 宮本常一「土佐源氏」 あまりにも凄すぎて未だ読み切れていない 石牟礼道子「椿の海の記」 この本も最高点を出すだろう。 いや、文庫本も出ているようだし、これは買わなければならない。 私の祖母や両親は既に他界しているが、ホントは彼らからこそ、私に繋がるホントの人生の物語を聞かねばならなかった。後悔先に立たず。
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