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テーマ:古代のロマンを求めて(40)
カテゴリ:考古学
12月6日、福山市御領古墳群スタンプラリーに参加させてもらいました。
前回は、弥生時代「かもしれない」前方後円墳の遺跡巡りをしたのですが、この遺跡の1番多い遺構は古墳時代後期の古墳群です。それを見ておきたいと思いました。 上御領中組古墳群を見て、御領のシンボル八丈岩にたどり着く、スタンプラリーコースです。 1番目は上御領中組18号古墳。全長8.3m。天井石の一つの石だけがカンカン石になっている。どういう石質だとこうなるのか?どういう意味があるのか? 次の37号墳にもカンカン石が使われている。全長5.5m。 上御領中組40号古墳。最も新しい古墳。1番大きく立派。左右対称、1番大きな天井石であり、そして加工後に削って化粧をしている手間、当時の首長墓と見られている。十分中に入れる。全長8.2m。高さ1.8m。 円墳。こういうのがたくさんある。 41号墳。向きがこれだけ南西向き。最初期の古墳と見られている。前方に羨道と思しき側壁構造。片袖式石室か。 くぐり抜けができる石室。 道沿いのドライブスルー式古墳。子どもたちが嬉々と登っていた。 そのあと、八丈岩に向かう。 頂上近くに、石室につかおうとしたのか、加工途中さの大石もあった。どちらにせよ、ものすごい労力がいっただろう。と思う。 この辺りには、大きな岩がゴロゴロしいて、奇観でもあり、壮観でもある。弥生から古墳、中世にかけておそらく都市的景観が広がっていると思われる御領遺跡が「一望」できる。 また、遠く山の間からわずかに瀬戸内海、その向こうに笠岡の北木島と白石島が見える(写真の方がハッキリ見えるぞ!山笠を逆さにしたようなのが確か白石島だと思う)。今日のようによく見える日は珍しいという。ただ、ここから見える、ということが重要だと思う。これらによって、この一帯は磐座(いわくら)、神の依代スポットであった可能性が高くなった。 八丈岩は古くは八龍岩と呼ばれたらしい。雨乞いは、ここでなされた可能性が高いだろう。また、龍神信仰の片われが、吉備国西の端の此処でも残っているのが興味深い。 山伏修験者のお社もあった。 金曜日のパン工房さんが出張販売に来ていた。古墳クッキーらしい。前回の古墳弁当といい、こういうのを作ってくれるお店を持っていることが素晴らしいと思う。 これは、なんと勾玉をあしらったコロネとのこと。9時から12時過ぎの良い運動だった。この後、ちょいと弥生遺跡探索に足を伸ばす。そこで小さな「発見」があった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年12月11日 11時26分44秒
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