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カテゴリ:考古学
岡山市操山古墳群を久しぶりに歩きました。いつもビジターセンターから上がっていくのですが、初めて護国神社から上がってみました。すると、これまで観たことのない景色が見れたのです。
裏山入り口の比較的急なクネクネ道を上がってゆくと、仏心寺の霊園に辿り着きます。ここが、意外と見晴らしが良い。 そのあと、今まで道を外れるので行っていなかった旗振り古墳に辿り着きました。わりと大きな方墳でした。 ここにある展望台には、説明板がついていて親切です。今回気がついたのは、この操山から海があまりにも近い。ということ。おそらく古墳時代には、山の裾野まで海岸線が迫っていた筈だ。だとすると、多くの古墳は海に面していたことになる。 至る所に、石室の石の加工作りかけがあった。 鬼滅の刃みたいにスパッと切れている石は、何故かお賽銭が置かれている。 6世紀の荻の塚古墳は、羨道も広く、中も人が大勢入れる。 そこから暫く行くと岡山市街を一望する展望台があった。 操山の上に非常に多くの古墳を配置して、その北の裾野は弥生時代有数の遺跡(おそらく古墳時代まで続いた)。こういう土地を私は最近見たことがある。福山市御領遺跡である。聖なる山を配した、小さな王国。それは珍しいことではないのかもしれない。 湊茶臼山古墳にも登ってみた。国際ホテルを右手に見て進むとゴルフ場が左手にある。そこから紅葉の操山がよく見える。古代には尾根続きだったと思えるこのコースを行っていると、そこから左手に見える尾根山の頂に湊茶臼山古墳がある。 そこから何が見えるのか? 操山の麓には田圃は広がっていないと思えるので、おそらく開けたところは海しか見えない筈だ。吉備穴海という、航海ルートの要が見えた筈だ。それに睨みを効かす首長の墓だったのだろうか? 後円部に向かって、左側がちょうど真東になり、22日の冬至に近い日の朝日が遠くの島から登っていた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年12月25日 13時43分08秒
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