再出発日記

2021/01/18(月)12:49

中間報告「鬼滅の刃 13-16巻」

読書フィクション(12~)(656)

「鬼滅の刃13-16」吾峠呼世晴 集英社コミックス 「刀鍛冶の里」「柱稽古」編を経て、一挙に柱たちと無惨たちとの戦いに突入した今巻。誰も死んでほしくないけど、そんなことは言ってられないんだろうな。 最終巻の後にレビュー書こうとしたけど、長くなりそうなので、中間報告。因みにまだこれ以降の巻を読めてません。時間切れでした。来月ぐらいになるかな。この段階で、幾つかこのマンガの世界観が小出しにされました。その他気がついたことがあります。その感想です。 単行本では、一冊に一つではなく、全ての話の扉絵の裏の空いた頁にサービスショットをつけています。ここまでサービスしている作家は珍しい。例えば、アニメ化決定で喜ぶ扉絵の後ろに「悲惨な回の話に(雑誌ならば説明ついているけど)意味わからない楽しそうな扉絵載せてごめんなさい」という絵さえ載せて謝罪しています。ここらあたりの正直さ、誠実さが、ほとんどそのまま竈門炭治郎です!また、そのサービスショットを見ていてわかるのですが、吾峠さんの絵は、出来上がりこそは書き込みが凄くて個性的ですが、ラフデッサンからペン入れ仕上げまでが、昔ながらの描き方で、全く奇をてらった所がありません。吾峠さんは努力の人です。ともかく、竈門炭治郎と同様、きつい修行をしながら身についた「考える」「最後まで諦めない」「画」なのです。はっきり言って、よくまぁ週刊誌ペースで描けたものだと感心します。その分、キャラクターが荒削りで、大まかな構成は出来ていたとしても、キャラ立ちは幾分かは多分後付けです。後々少年たちは「吾峠先生はここまで努力して僕たちに物語を残してくれた」「努力はしなくちゃいけない」と思うのではないでしょうか?「手塚治虫は生命を削りながら膨大な作品を残してくれた」と私たちが感謝するように。 さて、小出しにされている作品の世界観です。そのまま紹介するのはネタバレになるので出来ません。でも、ここで描かれている「鬼」は、決して歴史的に支配者階級から「鬼」とされたモノではないし(例えば桃太郎伝説における温羅伝説)、妖怪一族の亜流でもないことはわかりました。いま「鬼」に対する世の中の関心が高まっていますが、「鬼滅」を以って「鬼」のイメージを持たないことを祈るばかりです。また、鬼殺隊当主が無惨に指摘する言葉は、重要です。「君は(永遠を)思い違いしている。永遠というのは人の想いだ」意味がわからなかった少年・少女たちには、是非人生の課題として噛み締めて欲しいですよね。

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