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テーマ:本日の1冊(3685)
カテゴリ:読書(ノンフィクション12~)
「少年の名はジルベール」竹宮恵子 小学館文庫(電子版) 本書を読む理由はひとつだけ。萩尾望都が今年4月『一度きりの大泉の話』を刊行したからだ。70年の始め、少女マンガが急速に変化した時代。伝説の「大泉サロン」で何があったのか?竹宮恵子と萩尾望都の言い分が大きく違うという噂が、現在駆け巡っている。そのことを確かめたかった。 今、萩尾望都の本は手元にあるが、1頁も開いてはいない。五年前に竹宮恵子が本書を書いたのだから、おそらくそれが今回の「事件」のキッカケなのだから、こちらから先に読まなくてはならないと思ったから。ただ70年代の萩尾望都作品は、おそらく(全集で)全部読んでいるけど、竹宮恵子作品は1割も読んでいなかった。私は基本、萩尾望都ファンである。それでも私は感情に囚われず、書いている事によって「事件」を判するだろう。その判断自体は次回になる。今回は、それ以外に発見したことをつらつらと書きたい。 本書の電子版限定参考作品集を見て改めてビックリした。竹宮恵子と萩尾望都の絵柄は、72年ごろまでは双子のように似ている。特に目や鼻の描き方はそっくりだ。萩尾望都が始めたと認識しているコマ枠を外して時の流れを描く手法も、竹宮恵子は『ファラオの墓』(74)で早々と使っていた。竹宮恵子も書いているが、「マンガ(技術)はオープンソース」なのである。萩尾望都の画には、それでも誰も追随出来ない個性があった。竹宮恵子には何があったか?しっかり読んでいないので言い難いが、本書で語られている所で類推すると物語の構成力と、(盟友増山法恵の影響もあるだろうが)プロデュース力にあるだろう。尊敬する漫画家が石ノ森章太郎というのも宜なるかな(反対に、萩尾望都の尊敬する漫画家は手塚治虫だった)。 そして、私は実は今回初めて知ったのが「大泉サロン」である。大泉のボロ屋に実質住んでいたのは竹宮恵子と萩尾望都の2人だけで、その意味ではトキワ荘とは全然違うのであるが、一階が若手の少女漫画家の溜まり場になっていたのである。坂田靖子、花郁悠紀子、ささやななえ、山田ミネコ、たらさわみち、城章子、伊東愛子、佐藤史生、高橋亮子、山岸涼子、もりたじゅん、などキラ星の如く名前が挙がっている。ささやの様に半年居候する者もいれば、手伝ってくれる漫画家卵、あるいはダベリに来る者。正にサロンである。なるほど、此処を膨らませば映画にも出来る。たった2年間だったが客観的に大泉サロンの少女マンガ世界へ与えた影響は大きかっただろう。 竹宮恵子と増山法恵は明確に「マンガで革命を起こす」という目標のために動いていた。この本には異常なほどに萩尾望都の台詞がない。いつもニコニコ笑っている、とある。70年代始め、少女マンガに何が起きていたのか。私は73年から83年にかけて、リアルタイムでそれらマンガ群を読んでいたが、本書には70年から76年ぐらいのことが、かなり詳しく語られている。その時々の会話を、テープに記録していたかの如く再現している。その記憶力は、驚嘆に値するだろう。幾つかのすり合わせは必要だろうけど、間違いなく、時代の証言だろうと思える。彼女は末尾にあの時代を一言で現している。やはり頭がいい。「駆け足で通り抜けた季節の熱い風であり、咲き誇る花であり、光る刃だ」 ひとつ、竹宮恵子のために特筆しなければならないことがある。現代は良い意味でも悪い意味でも、BL(ボーイズラブ)マンガの最盛期だろう。その少年愛マンガの嚆矢となった「風と木の詩」は、76年に連載開始ではあるが、その冒頭50pのラフ原稿は71年に完成していたのである。かなりの産みの苦しみを経て、少女マンガにおける少年愛マンガが出来上がったのだ。私の興味はともかくとして、その功績は計り知れないだろう。 2021年6月4日読了 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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