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読書(フィクション)

2006年08月08日
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テーマ:本日の1冊(3011)
海の伽耶琴(下)
「海の伽耶琴」(下)講談社文庫 神坂次郎
秀吉の朝鮮出兵時、当初秀吉軍の中にいて、その後朝鮮側についた一群の武将がいた。彼らは鉄砲の技術を持ち、そのためそれまでの戦況を大きく覆すことに成功する。その武将の名前は「沙也可」と伝えられている。この小説はその武将を、紀州雑賀衆の大将鈴木孫市の若大将「小源太」として描いた歴史小説である。

と、上巻の段階で分かっていたのであるが、下巻を読んだ後ここに感想を書くのを忘れていた。「孤将」を書いた後に思い出したので、一言二言感想を記す。調べたら、単行本は徳間書店からの発行であったが、文庫版が出ていたようだ。文庫版のほうも絶版になっているようで、「沙也可」の話はあまり日本には知られていない。

何故小源太は寝返ったのか、秀吉に妻が殺されたのがきっかけとなっているのだが、そうだとすると、鉄砲集団である雑賀衆の行動原理としては弱い。しかも、一番肝になるべき朝鮮出兵の場面がほとんど描かれていない。この小説を書くにあたっての資料がほとんど日本の歴史書によっているのだから仕方ない。

題材自体は面白いので、ほかの小説家が取り上げることを切に期待したい。今までのパターンからすると、韓国側から傑作が出てくる可能性は充分にあるのであるが。(たとえば、力道山みたいに映画で描かれるとか。)






最終更新日  2006年08月08日 08時56分52秒
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2006年08月07日
以前コメント欄で在日さんより『あの豊臣秀吉軍と戦った朝鮮の英雄 李舜臣将軍をテーマにした小説ですが、戦争の無意味さを良く感じさせてくれます。訳者は、拉致され帰国された蓮池薫さんです。是非読んでみてください。』といって推薦された『孤将』をやっと読むことができました。
孤将
『孤将』新潮社 金薫(キム・フン) 蓮池薫訳
著者のはしがきはこのように始まっている。
「2000年秋、再び田舎に戻った。正義感に溢れる者たちの世界と別れを告げたのだ。この時代のいかなる価値をも肯定できなかった。私は思った。君たちは希望の力で生きているのか。君たちと共有すべき希望も信念も、私にはない。自らの誤謬を持ちかかえたまま、私は一人で生きていくだろう。」
著者は幾つかの小説も書いているジャーナリストであったが、ある時のインタビュー記事で批判されて、野に下ったのだという。この書は著者20年来の取材をもとに描いた秀吉の「朝鮮出兵」時の英雄・李舜臣(イ・スンシン)の小説である。しかしちょっと文章に触れて分かるように、英雄小説とは程遠い。この虚無主義、耽美主義的な世界観は、ちょっと日本に見出すことは難しい。何故かということはあとで述べる。しかしこれが、50万部を越えるベストセラーになっているのだから、やはり注目しておくべきなのだろう。

この小説が現代日本小説から著しく違うところは、虚無主義でも耽美主義でもなく、その肉食人種的描写による。例えば、王から贈られた牛肉をこのように描写する。「つぶしたばかりの牛の肉は、今なお筋肉がぷるぷるっと摩擦でも起こすかのように新鮮だった。切り口には切り分ける途中、包丁の歯が一度とまったような跡が残っていた。切り口の面には筋肉と毛細血管の複雑な模様が浮き出ている。赤い肉の筋がどことなくすべってつながっていた。包丁の刃が通りすぎていった生命体の内面にはまだこのような模様が残っていたのだ。私が敵の刃、もしくは王の刀にきられたときも、果たしてその断面はこうなるのだろうか。」
日常から祝いごとがあると牛をつぶし、食べてきた民族の描写だけではない。すぐ身近に朝鮮戦争で近親、同じ民族殺しあってきて、つい十数年前までは民主化弾圧の中でで拷問死に脅えなければならなかった人々の記憶が、このような描写を可能にしているのである。

英雄譚ではない。王によってと投獄され、王の敵(秀吉)によってその軍事技術の必要性から生かされ、敵によって死地に赴く。これは民主化闘争を闘った現代知識人の心情も代弁しているかもしない。確かに『戦うことの無意味さ』を自分の血肉によって表現している。

ここの登場人物は、王にしても、百姓にしても、主人公にしても、みんなよく泣く。泣くことで忠誠を誓わせ、泣くことで忠誠を表現し、泣くことで愛情を表現するのである。

日本に対する歴史理解には疑問符はつく。秀吉軍のことを一貫して『日本は』と表現したり、「阿部順一」という捕虜になった『下級武士』(足軽にそんな名前はありえない)を登場させたりする。瑕として残らないのは、その捕虜を殺すときにも、李舜臣はきりきりとした痛みを持っていたのである。






最終更新日  2006年08月07日 08時26分38秒
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2006年08月06日
テーマ:本日の1冊(3011)
今日は広島に原爆が投下された日。ということで今日はこの一冊を紹介。
平和の芽
『平和の芽』講談社 横山秀夫
いまや出す作品全てが売れまくる横山秀夫であるが、彼が新聞記者を辞めて91年『ルパンの消息』でサントリーミステリー大賞をとった後、98年ごろの「陰の季節」まで長い潜伏期間があった事は一応知られている。『小年マガジン』などの原作も手がけていたそうだ。しかし95年に小年少女読み物で『語りつぐ原爆・沼田鈴子ものがたり平和の芽』という本を執筆していたことを知る人は少ないだろう。また、のちの警察小説を読む人には『平和読み物』と聞いてそのギャップに驚くだろう。おそらく自ら提案した企画ではなく、被爆50年を記念しての講談社からの依頼だったのに違いない。でも読んでみると、ここには実に真摯に当時の政治、世相を取材し、青春の真っ只中で被爆し片足を無くした沼田鈴子さんを聖人視することなく心のひだまでを描こうとする「小説家」横山秀夫の生まれようとする姿がある。

『黒い雨』や『鍋の中』など原爆のときやその後の一時を切り取った文芸作品は有るが、昭和初期からの一人の少女の日常を描き、原爆にあい、どのようなその後の人生を送ったかを描き、さらに80年代の10フィート運動で原爆の語りベとして目覚め、さらにはその後の語りベとしての成長までを描くというそんな小説は他には無い。原爆小説として他には無いタイプの秀作である。

近辺では「ガキ大将」だった鈴子。おてんばっぷりの描写は平和運動家が書く「平和よみもの」とは一味もふた味も違います。軍都広島の描写も私たちが今イメージするヒロシマとは180度違います。鈴子は兵隊さんを見れば「かっこいい~」とうっとりと見とれ、軍国少女になっていきますが、鈴子は図画の時間、アイロンの絵を描こうとして灰色や銀色ではなく真っ赤なアイロンを描いてしまう。「それは鈴子の生まれ持った能力でした。他の人がどう思おうと自分が感じたままを素直に信じる力です。やはり鈴子は見ぬいていたに違いありません。教えられた戦争と、本当の戦争でおこっている出来事との大きな隔たりを」そのように、一人の少女の気持ちの中まで入り込む。『よみもの』ではなく、私はやはりこれを『小説』と呼びたい。






最終更新日  2006年08月06日 12時48分50秒
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2006年08月03日
テーマ:本日の1冊(3011)
図書館でこれを借りるのに一年待ちました。
『となり町戦争』集英社 三崎亜紀
第17回小説すばる新人賞受賞作。
普通に暮らしていた会社員の僕の元に届いた町の広報。
町民税の納期や下水道フェアの告知とともに、
そこには、となり町との開戦のお知らせが書かれてあった
となり町戦争
一点どうしても不思議なところがあり、なかなかこの小説の世界に入っていけなかった。主人公はずーとこの異常な世界に住んでいるはずなのに、なぜか一人称でかたられる彼の言葉は現代の一般市民の感覚なのだ。
「ぼくたちの世代というのは、戦争というものの実体験もないまま、自己の中に戦争に対する主義主張を確立する必然もないまま、教わるままに戦争=絶対悪として思考停止に陥りがちだ。」と主人公はつぶやく。
この小説の設定は近未来ではない。戦争が一つの『公共事業』にまで発展したパラレルワールドなのである。少なくとも100年以上前には戦時立法が成立していて、隣国との戦争を記念して植えた木々が立派な森になってそこを訪れるのが学生の情操教育の一環として位置づけられているようなこの町で、主人公のような感覚はありえない。そんな教育をしていたら、戦争など出来るはずもない。

情報戦、あるいはスパイ活動の為に主人公はかなりやばい仕事をすることになるのであるが、それが『人海戦術』なのである。戦争はもっとも技術の発展を要請する『事業』なのであるが、あんな人海戦術などで話を進められたら、リアリティなど吹っ飛んでしまう。
言いたいことは良く分かる。現代一般市民は、いくら戦争の危機が近づいていても、その一歩手前まで来ても、決して気がつかないだろう。その雰囲気を出したいのだろう。市役所窓口に勤める『香西さん』は主人公とともに業務として『偵察活動』という名の夫婦生活を送る。彼女は『業務としての戦争の仕組み』をさすがに主人公以上に理解している。けれども諦めきっている。(弟が戦争に志願して戦死しても、政略結婚で隣町の町長の息子と結婚することになっても、それを受け入れている。)その雰囲気は出ている。けれども私には受け入れがたい。小説は映画とは文法は違う。ひとつの大きなウソをつくためにほかの部分を緊密にリアリティを持って描く必要はないのかもしれない。けれどもこんな人物像は受け入れ難い。

既に現実の役所は戦争準備を進めている。国民はそのことを知っているのだろうか。去年の県段階の国民保護計画作成に従い、現在では、市町村レベルで作成が進められている。3/31に書いたことの一部を再掲してみる。
現在市町村は、野村、三菱総合研究所や外資系のコンサルタントに委託して策定作業を進めているという。政令指定都市では、京都・広島以外はそのための予算を計上している。ちなみに表があったので、この『再出発日記』を読んでくださている人に関係するような政令指定都市の18年度予算『国民保護計画策定費』を列挙する。札幌市3000万円。さいたま市843万円。千葉市1210万円。大阪市920万円。
きちんと読んでいけば『お役所仕事としての戦争』が見えてくるかもしれない。

コンサルタントに依頼して計画を進めているところとかは、この作品の中でも描かれている。さすが作者は長いこと公務員をやっていただけのことはある。作者は作者なりに『戦争の現実』を想像して、それが主人公たちにどう映るのかを書いているみたいだ。だから小説に書いてある部分以外のエピソードは相当あると思う。けれども、私の読む限りでは、それでも作者の想像する『戦争の現実』はまだまだ甘い、と思う。教育、情報戦の甘さについては既に述べたが、それ以外にももっともっとありそうだ。

作者は1970年生まれの36歳。『ガンダム』世代である。アニメの中に『戦争のリアリティ』があった世代だ。そのことも関係していないとはいえないだろう。

さて、この作品は映画化されることになり現在撮影が進められている。映画の場合は要求するぞ。「一つの大きなウソをつくために、それ以外はリアリティを持ってつくること。」
「となり町戦争」江口&知世が初共演
来春、渡辺謙作監督作品として公開される。
配給が角川なので、ものすごく不安。この前新作の『戦国自衛隊』をDVDで見たが、なんと言うか、金儲けのことしか考えていないのかな、と思った。






最終更新日  2006年08月03日 09時22分03秒
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2006年08月01日
『深追い』実業之日本社 横山秀夫
深追い
郊外にあるその警察署は五階建ての庁舎の裏に家族宿舎と独身寮まで建てている住職一体の「村」である。三つ鐘警察署を舞台とする連作短編集。交通課。鑑識課。盗犯一係。警務課。警察署次長。会計課。警察小説であるが、その登場人物は多様を極めている。ミステリの体裁を持ちながらそのなかの組織の中のさまざまな生き方を浮かび上がらせる。横山秀夫の短編にはほとんどはずれが無い。藤沢周平が出てきたときとよく似ている。彼も中年を過ぎて小説を書きだし、自らの鬱屈を吐き出していった。警察周りの新聞記者を辞めて、長い潜伏期間を経て、書き始められた横山秀夫の中にもきっと書かずにいられないことが有るのだろう。

例えば『訳あり』。警務課の滝沢は、気の進まない仕事を頼まれる。本部の二課課長によからぬ女ができたらしい。「お守り役」二課次長が所轄で同期の滝沢に調べてほしいという。一度左遷させられた滝沢にはかっこうの本部帰省のための材料だった。キャリア課長の失態を未然に防ぐための探偵のようなその仕事は、滝沢の思う警察官の仕事とは程遠いだろう。「席をたつなら今だろうと思った。」しかし引きうける。

単行本の奥付けは2002年12月15日初版。その一ヵ月後2003年1月15日には4刷を数えている。どんな人たちがこの本を買い求めたのだろう。年末も押し迫って残業を抱える仕事人間が駅地下の本屋でふと買い求める。読んでみて、妻にも言えない屈辱的な自分の仕事の一断面を思い出す。(滝沢は一体どうなってしまうのだろう‥)彼にとっては人ごとではない。結局小説は『筋を通した』結果に終わる。仕事人間はホッとする。(そうだよ、そうでなくちゃ。でも俺には妻も子供もいるし、第一この男のように機転も利かないし、かっこいい言葉も出ないし‥)(俺がもし失業したら、もう年間200万円くらいしか稼げるような仕事しか残っていないだろう。家族のためには、家族のためだけに、屈辱的な仕事もしていこう。)ほとんどのサラリーマンはそう思い、せめて横山秀夫の小説を読むことで憂さを晴らしていたのかもしれない。でも思うのだ。一年のうち一回ぐらいは、たいしたことで無ければやってみても良いかな、と。

他には『又聞き』の最後の一行にやられた。






最終更新日  2006年08月01日 23時32分05秒
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2006年07月19日
テーマ:本日の1冊(3011)
昨日の続きです。

今年3~5月にかけて、共謀罪が国会にかけられそうになり、実際にかけられ、審議され、一般的な観測ではそのまま強行採決されそうになっていたとき、東京新聞等一部を除くほとんどの新聞は「沈黙」を守っていた。特に、朝日新聞は教育基本法や国民投票法は国会に上程される何ヶ月も前から系統的に報道しており、共謀罪報道との差異にわたしは驚きと憤りと、諦めを感じていた。何故なのか、ということがいまだに疑問なのであるが、私はこの本を読んで、「そうか私はまだまだ朝日はそれでも反権力を守っている、と思っていたのだが、間違いだった」ということに思い至ったのではある。

斉藤貴男は「NHK番組改変事件」を巡る朝日新聞の対応は「21世紀の「白虹事件」ではないのか」といっている。

白虹事件によって、ほかの新聞も雪崩をうって翼賛新聞に変わっていくのではある。ちなみに、白虹事件により、当時の朝日社長、長谷川如是閑、大山郁夫等の論説委員の辞任とともに、「編集綱領」を発表し、戦争に協力することを誓うのであるが、このとき史上初めて「不偏不党」の文言が新聞の編集方針に登場する。ということもあって、私は「不偏不党」を言うジャーナリストを信じない。

2005年5月9日、朝日の秋山社長が謝罪をした。しかし、これはあくまでも内部資料が他社のジャーナリストにすっぱ抜かれたことに対してではあった。しかし、斉藤は「朝日は土下座したとのみ、世間は受け止めた。いや、朝日新聞社として、あえてそう受け止められるように仕向けたのではないか、という疑念がわたしにはどうしても払拭できない」という。

さて、秋山社長は謝罪の後、さらに2006年3月、35歳になる長男が大麻の所持で逮捕された事件で、よりいっそうの窮地に陥った。(これが朝日が共謀罪報道に不熱心だった真相ではないかと私は考えている。時期も一致する。もしそうだったとしたら、社長からデスクまでの一組織としての朝日新聞社にジャーナリズム精神はもはやない。)一方、安倍、中川両氏がNHK番組に介入した事実をスクープした社会部の記者は四月の人事で「アスパラクラブ」に異動している。彼に近しい記者たちも編集局を外れ、或いは全国に散っていったそうだ。NHKもまた、事件を契機に自らを立て直す好機にはせず、自民党との心中を選んでいるのは周知のこと。

この新書には、読売新聞の朝倉敏夫論説委員長と朝日新聞の若宮啓文論説主幹のインタビューが載っている。

朝倉氏の話は予想の範囲内である。「(自民党憲法草案について、読売との考え方とは)ほとんど変わらない。」そうでしょうね。ただ、憲法は国家権力を制限するものだという考え方については「憲法学者というのは、伝統的に現行憲法のファンであってね。逆に言えば、ある時期まで、そうでなければあの世界で生きていけなかった。ギルド社会の話ですよ。そこもわが社が変えたと自負するものです。」……ここまでいうか!と思いました。

若宮主幹のインタビューについては、少しは期待していた分、よけいに落胆したかもしれない。「憲法ですが、非軍事を主体にし、平和主義を貫こうとする我々の基本的な考え方については変わりはありません。(略)(この10年の間に)9条に自衛隊を明確に位置づける考え方も一つの選択肢に入れたほうが良いのでは、と。社説にはそこまでピシッと書いていませんが、そういう趣旨に読めるよう、少し膨らみを持たせて軌道修正している。」「健全な保守層とも一緒に戦列を組んでいかないと、狭い護憲論だけで闘っていくと、危険な右傾化路線を利するだけではないだろうか。何も朝日新聞が売れるとか、売れないとかいうことではなくてね。」……なくてね、とは言うけれども、それ以外の何が軌道修正の原因だったのかは書いていない。というか、読者の支持のことしか書いていない。同じような理由で、「自衛隊が働くためのルールをつくっておく必要」を求めて、有事法制には賛成している。では自民党の憲法草案については、「いや、少なくともダメだとは考えています。(略)「軍」と謳ってしまえば、戦前の軍との違いに無頓着になるでしょう。ましてÅ級戦犯の何が悪いのか、といった風潮がある中で、それは良くない。またアメリカとの同盟関係は一気に深まりますね。集団的自衛権に歯止めがなくなると、アメリカが自衛の名の下に行うかもしれない先制攻撃まで付き合わされる可能性さえもある。」……前半部分と後半部分の論理の整合性が、このインタビューを読む限りではぜんぜんわからない。論説主幹でさえ、こうなのだから、朝日はその時々の勢いで社説はどうにでも変わるだろう。







最終更新日  2006年07月19日 17時34分54秒
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2006年07月17日
テーマ:本日の1冊(3011)
文庫版のためのあとがきで、重松清はこんなことを書いている。

「小学一年生のときに、アポロが月に行った。翌年には大阪で万博が開かれた。ぼくたちのー少なくともぼくの「未来」に対する希望は、その二つにの出来事に象徴される。21世紀には月面ステーションが出来上がっていて、ロボットが街を歩いているはずだと信じている少年だったのだ、ぼくは。一方で、ノストラダムスの予言が当たれば、1999年7月に人類は滅亡し、オイルショックのころの言説を信じるなら石油はあと数十年で枯渇してしまい、そんな先を待つまでもなく、アメリカやソ連が核戦争を始めたらボタン一つで地球は滅んでしまう。それをどこまでリアルな危機として実感していたかはともかく「未来」には確かに影もあった。」

少し年代はずれるが、私の「未来」もみごとに同じようなものだった。小学館の学習雑誌にはばら色の未来が特集されていた。働くのは週三日だけ。きれいな家。食事は全自動でできるし、買い物をしなくても専用箱から飛び出てくる。テレビ電話は標準装備だ。絶望的な「未来」もあった。当時私の家から見える水島の工業地帯の煙突の煙は、公害問題の象徴だった。やがてここには住めなくなると本気で心配した。核戦争が勃発して家族と一緒に死を待つ自分もよく想像した。

未来である現代はどうなっているのか。リストラされている人々たち。精神を病んでいる人々たち。レトルトという全自動食品を食べ、アマゾンで本を買い、携帯電話を持つ現代。煤煙公害はなくなったが、石綿被害という戦後最大の公害が始まろうとしている。そして、真綿で締め付けられるように、戦争の時代がやってこようとしている。

トワイライト
内容(「BOOK」データベースより)
小学校の卒業記念に埋めたタイムカプセルを開封するために、26年ぶりに母校で再会した同級生たち。夢と希望に満ちていたあのころ、未来が未来として輝いていたあの時代―しかし、大人になった彼らにとって、夢はしょせん夢に終わり、厳しい現実が立ちはだかる。人生の黄昏に生きる彼らの幸せへの問いかけとは。( 以上引用終わり)

このタイムカプセルを提案した白石先生はその後不倫相手に殺される。タイムカプセルには白石先生の手紙が入っており、自らの未来の悲劇を予測した後、40歳を目前にした同窓生たちに呼びかける。

「みなさんの40歳はどうですか?あなたたちはいま、幸せですか?」

リストラされた克也、仕事が上手くいかなくなりDVを繰り返す徹夫とその度に子供をほっといて家出を繰り返す真理子、もと「マドンナ」として一世を風靡したが今は売れなくなった独身塾講師の淳子、四人を中心に物語がつづられる。

「あなたたちはいま、幸せですか?」

なかなかズルイ問いかけである。死にゆく人間が、遺言のようにそんな問いかけをする。大人なのに大人として自信がない四人は、いやほとんどの大人はその問いの前に佇んでしまう。

いま子供の雑誌で未来論は特集されているのだろうか。

悲劇は先送りされているかのように思える。ばら色の未来機器は、実現してみると当然のことながら汚れは着くし、副作用もある。どうすればいいのだろう。自信のない大人としては「分からない」。








最終更新日  2006年07月17日 10時07分17秒
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2006年07月15日
テーマ:本日の1冊(3011)
重松清の家族小説短編集。とはいっても重松清は基本的に家族小説しか書かない。私は彼によって、いじめやリストラ、離婚や、「負け続けること」や、一般家庭におきるさまざまなことを学んだような気になっている。文庫が出たら無条件に買う作家のひとりである。今回の文庫、最後にドキリとする文章がある。やはりそうだよね、彼にも書けない家族小説というものはある。(一番後で述べます)
小さき者へ
冒頭の「海まで」
同じように頑固な老人を抱えているものにとって、ちょっと身につまされる短編。
夏休み。主人公は一人息子。いなかに帰る。父親も死に、一人で暮らしている母。母親はまるで子供に帰ったように、主人公の二人の息子(つまり母にとっては孫)のうち、次男をひいきにし、長男に「姑いびり」のように接する。むかしは優しい母だったのに、主人公が東京に行くのを一人親族からかばってくれたのに。周りの人が死んでいき、身体にガタが来ている。主人公は思いつき、四時間かけて10年ぶりに母親の実家に墓参りに行こうとする。しかし、母親は途中でへばってしまう。
主人公は慰める。「今度はもっと大きな車を借りるから、墓参りはまたにしよう。」
母は膝をさすりながら呟く。「クーラーの効いているところにおったなら、すく痛うなる。」「今度いうて、いつになるんなら。」母は泣き出す。「なあ、いつ連れてってくれるんな。いつ帰ってくれるんな」「痛い痛い痛い、ほんま痛い、痛い痛い痛い」張り詰めていたものが切れる。裸の感情と向き合う、つらさ。最後は少しだけ目頭が熱くなるエピソードがある。けれども解決は無い。

表題作の「小さき者へ」
登校拒否におちいり、家族に暴力を振るうようになった一人息子に対して、リストラ危機にいる父親が、夜遅く、渡すあてのない息子宛の手紙を書く。自分が14歳だったころを思い出しながら。
「親は、どんなときもベスト盤を子供のために、良かれと思って選んでしまうものなんだな。そして子供の本当に聴きたい曲に限ってベスト盤には入っていないんだな。」
終わり近くのその一言が、作者の意図を超えて、私の心に響く。

どの短編も涙ぐんだ。重松清の小説にはたいてい「弱くてぐずぐずしている男の子」「惨めな姿をさらす父親」「女の子はいつも強くてがんばっている」という構図がある。例えば反対に同じ世代の宮部みゆきは「少年もの」というパターンがある。少年が主人公になると、たいてい勇気があって賢い男の子が出てくる。男と女の「差」なのかもしれない。この文庫の一番最後に「作文家」という肩書きで、中学三年生(今現在はたぶん高1)の華恵さんが「解説」を書いている。読書感想文ではない。れっきとした解説である。彼女はそういう重松清の小説の構造を当然のことながら見破っている。そうして「重松さんに願うこと」を書く。
「女の子は最後に颯爽と歩いていく姿が多い。だからこそ、読んでいると元気が出るし、がんばるぞ、と思える。でも……もし、それが出来なかったら?トモのような女の子が中・高生になって、強がりもできなくなって、力尽きてがんばれなくなってしまったら?「小さき者へ」の主人公の息子ように、一歩も踏み出せなくなってしまったら?ぐしゃっと押しつぶされて、壊れて……出口が見えないような惨めな姿になった娘を、見てくれますか。それでも応援し続けますか。徹底的に壊れた女の子の姿を、いつか描いて欲しい。」
重松清なら必ず応援し続けるだろう。理想的な父親としてではなく、でもボロボロになりながらもそういう物語は書くことが出来るだろう。と私は思う。けれども重松清に「徹底的に壊れた女の子の姿」を書く勇気があるだろうか。と、ついつい彼の気持ちになってしまう。ホント、女の子というのは怖いことを言うものだ。






最終更新日  2006年07月15日 09時01分10秒
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2006年07月07日
気がつけば、今日は七夕。
ミサイルの話もいいが、こっちのお空のお話をしておかないと一日が終わったような気がしないので一言。
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「銀河鉄道の夜」の冒頭場面である

ではみなさんは、そういうふうに川だと言われたり、乳の流れたあとだと言われたりしていた、このぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか」先生は、黒板につるした大きな黒い星座の図の、上から下へ白くけぶった銀河帯のようなところを指しながら、みんなに問いをかけました。
 カムパネルラが手をあげました。それから四、五人手をあげました。ジョバンニも手をあげようとして、急いでそのままやめました。たしかにあれがみんな星だと、いつか雑誌で読んだのでしたが、このごろはジョバンニはまるで毎日教室でもねむく、本を読むひまも読む本もないので、なんだかどんなこともよくわからないという気持ちがするのでした。
 ところが先生は早くもそれを見つけたのでした。
「ジョバンニさん。あなたはわかっているのでしょう」
 ジョバンニは勢いよく立ちあがりましたが、立ってみるともうはっきりとそれを答えることができないのでした。ザネリが前の席からふりかえって、ジョバンニを見てくすっとわらいました。ジョバンニはもうどぎまぎしてまっ赤になってしまいました。先生がまた言いました。
「大きな望遠鏡で銀河をよっく調べると銀河はだいたい何でしょう」
 やっぱり星だとジョバンニは思いましたが、こんどもすぐに答えることができませんでした。
 先生はしばらく困ったようすでしたが、眼をカムパネルラの方へ向けて、
「ではカムパネルラさん」と名指しました。
 するとあんなに元気に手をあげたカムパネルラが、やはりもじもじ立ち上がったままやはり答えができませんでした。


むかしは、普通に読んでいたこの冒頭場面、今は涙で文字が霞んでしまう。お父さんの仕送りはとっくの昔に途切れている。ジョバンニは思いつめた様にアルバイトしている。だから眠くて、うっかりしていて、本当は答えることができるのにできなかったのだ。これはつらい。よくある経験だけど、本人はつらい。生活も苦しいけど、「本当はお父さんは監獄に入っているのではないか……」こっちの心配のほうが実は大きかったりする。未来が見えないジョバンニが可哀そうでならない。そして、カムパネルラの優しさ。

角川文庫版では、最終近くに「ブルカニロ博士編」が載っている。賢治は後の推敲でこの挿話を削ってしまう。説教臭いと感じたのだろうか。それとも削ることが賢治の「決意」の表れだったのだろうか。

ジョバンニは、はっと思って涙をはらってそっちをふり向きました、さっきまでカムパネルラのすわっていた席に黒い大きな帽子をかぶった青白い顔のやせた大人が、やさしくわらって大きな一冊の本をもっていました。
「おまえのともだちがどこかへ行ったのだろう。あのひとはね、ほんとうにこんや遠くへ行ったのだ。おまえはもうカムパネルラをさがしてもむだだ」
「ああ、どうしてなんですか。ぼくはカムパネルラといっしょにまっすぐに行こうと言ったんです」
「ああ、そうだ。みんながそう考える。けれどもいっしょに行けない。そしてみんながカムパネルラだ。おまえがあうどんなひとでも、みんな何べんもおまえといっしょに苹果をたべたり汽車に乗ったりしたのだ。だからやっぱりおまえはさっき考えたように、あらゆるひとのいちばんの幸福をさがし、みんなといっしょに早くそこに行くがいい、そこでばかりおまえはほんとうにカムパネルラといつまでもいっしょに行けるのだ」
「ああぼくはきっとそうします。ぼくはどうしてそれをもとめたらいいでしょう」
「ああわたくしもそれをもとめている。おまえはおまえの切符をしっかりもっておいで。そして一しんに勉強しなけぁいけない。おまえは化学をならったろう、水は酸素と水素からできているということを知っている。いまはたれだってそれを疑やしない。実験してみるとほんとうにそうなんだから。けれども昔はそれを水銀と塩でできていると言ったり、水銀と硫黄でできていると言ったりいろいろ議論したのだ。みんながめいめいじぶんの神さまがほんとうの神さまだというだろう、けれどもお互いほかの神さまを信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだろう。それからぼくたちの心がいいとかわるいとか議論するだろう。そして勝負がつかないだろう。けれども、もしおまえがほんとうに勉強して実験でちゃんとほんとうの考えと、うその考えとを分けてしまえば、その実験の方法さえきまれば、もう信仰も化学と同じようになる。
(略)
「さあいいか。だからおまえの実験は、このきれぎれの考えのはじめから終わりすべてにわたるようでなければいけない。それがむずかしいことなのだ。けれども、もちろんそのときだけのでもいいのだ。ああごらん、あすこにプレシオスが見える。おまえはあのプレシオスの鎖を解かなければならない」
 そのときまっくらな地平線の向こうから青じろいのろしが、まるでひるまのようにうちあげられ、汽車の中はすっかり明るくなりました。そしてのろしは高くそらにかかって光りつづけました。
「ああマジェランの星雲だ。さあもうきっと僕は僕のために、僕のお母さんのために、カムパネルラのために、みんなのために、ほんとうのほんとうの幸福をさがすぞ」
 ジョバンニは唇を噛んで、そのマジェランの星雲をのぞんで立ちました。そのいちばん幸福なそのひとのために!
「さあ、切符をしっかり持っておいで。お前はもう夢の鉄道の中でなしにほんとうの世界の火やはげしい波の中を大股にまっすぐに歩いて行かなければいけない。天の川のなかでたった一つの、ほんとうのその切符を決しておまえはなくしてはいけない」
 あのセロのような声がしたと思うとジョバンニは、あの天の川がもうまるで遠く遠くなって風が吹き自分はまっすぐに草の丘に立っているのを見、また遠くからあのブルカニロ博士の足おとのしずかに近づいて来るのをききました。
「ありがとう。私はたいへんいい実験をした。私はこんなしずかな場所で遠くから私の考えを人に伝える実験をしたいとさっき考えていた。お前の言った語はみんな私の手帳にとってある。さあ帰っておやすみ。お前は夢の中で決心したとおりまっすぐに進んで行くがいい。そしてこれからなんでもいつでも私のとこへ相談においでなさい」
「僕きっとまっすぐに進みます。きっとほんとうの幸福を求めます」ジョバンニは力強く言いました。


今よく読めば、この「セロのような声」をした人の言い分は、なんだかあらかじめ結論をもっている説教臭い大人のようにみえる。ジョバンニの旅も結局ブルカニロ博士の「実験」だったのかよ、と言うような批判も聞こえてきそうだ。賢治が削った理由も分かるような気がする。けれども、それでも私はこの挿話が好きなのだ。小学校のとき、一番最初に読んだ本にこの挿話が載っていたから、だけではないような気がする。夢から醒める前、心配事を抱えていた場合、全て夢の中では分かったような気になることが無いだろうか。素晴らしいことを発見した、何もかもこれで解決した、そう思って眼をが醒めて、もう一回思い返そうとするのだけど、どうしても思い出せない。そんな経験は無いだろうか。プレシオスの鎖を解くために、マゼェラン星雲に立ち向かっている自分をかっこいいーと思った瞬間に目が醒めたりしないだろうか。私にはある。

そして、最愛の妹としこが死んだ後、そんなふうにして花巻の旧屋で目覚めたあとにしばらくぼおっとしている賢治の姿が、私には見える。(「ぼくはとし子といっしょにまっすぐに行こうと言ったんです」「ああ、そうだ。みんながそう考える。けれどもいっしょに行けない。そしてみんながとし子だ。」)「きっと本当の幸福を求めます」と決心したその自分の声の響きだけを追い求めて、やがて家を出て「野原ノ林ノ影ノ小サナカヤブキ小屋ニ」住む様になる賢治の姿が見える。そんなきれい事を言って、親の金で家を建て清貧生活を送る、弱くて強い賢治が見える。そして、限りなく愛しい。

銀河鉄道の夜は「星祭」の夜の出来事であった。織姫、彦星だけではなくて、ジョバンニとカムパネルラの最後の旅が、今夜の厚い雲の上で再現されているのかもしれない。






最終更新日  2006年07月07日 21時09分10秒
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2006年06月15日
今年の春、桜の咲きかけのころ、「狐の嫁入り」という記事のところで、「そのあと漫画喫茶なみに漫画をそろえているカレー屋で、山本おさむ「聖」を読んで感銘を受けるのであるが、これはまた別の機会に。」と書いてそのまますっかり忘れていました。

今日ドラエモンのポケットみたいな私の財布の中を整理していたら、そのときのメモが入っていました。またどこかに行ってしまわないうちに書いておきます。

村山聖。「手をのばせば届くところにある」ところまで名人位に切迫しながら、小さい頃から患っていた腎ネフローゼその他の難病の為に29歳で急逝した将棋の棋士です。その生涯を漫画化した作品に山本おさむ著「聖」があります。今回はその漫画について、ではない。第六巻のあとがきで、聖のお母さん、村山トミ子さんが寄稿しています。その内容についてです。

知人から聖書を貰った聖は、大阪の前田アパートで大切に読み込みます。ある日、体調を崩して寝込み、広島からトミ子さんが上阪してきたとき、聖は言うのです。
「お母さん、あのね、淀川で人が溺れ死んだのに誰も助けに行かなかった。ぼくならすぐ助けて飛び込んだのに。」と涙ながらに言ったそうです。
「でもあなたでは泳げないでしょう。命を捨てることになってそれは駄目よ。」とお母さんは答える。
「キリスト教はそんな教えは説いていないはずだ。協会ではっきり聞いてきてくれ。」
お母さんは大阪・福島区のキリスト教会を訪ね、いろいろ牧師さんに聞き、それを聖に伝える。「聖は黙って聞いていましたが、納得していないようでした。」(どういう内容かは書いていないのでわからないが、文章の流れからはやはり飛び込んでは駄目だということだったのだろう)17歳の夏のことだったという。
聖はプロになって言う。「プロになって勝っても、嬉しくない。相手を殺さねば、自分が生きていけない世界に自分は耐えられない。」けれども皮肉にも聖の唯一の生きる支えは将棋だった。知っている方もおられると思いますが、将棋の世界はほんの数人だけが勝ちあがる弱肉強食、本当に厳しい世界です。その世界で、聖は将棋の頂点一歩手前まで行く。ものすごい才能、ものすごい修羅の道だったに違いない。
プロで得た給料の余分はすべてアフリカの子供たちへのフォスタープラン協会への寄付になっていったという。小説でも、漫画にも書かれていなかったエピソードです。わたしはうーむ、とうなされました。

まるで宮沢賢治「よだかの星」です。

私は、よだかの様に自分が生きるためにほかのものを犠牲にしていくことに気がつく度に泣く事はできません。でもやはり私も「星にはなれない」よだかの一人なのです。

まるでとってつけた様に署名のお願いです。
でも今、自分が淀川に飛び込んで濡れなくても出来る事です。
昨日の記事で、hekomiimoさんから「リハビリテーション医療の打ち切りに反対する署名」のお願いがありました。6月24日署名集約打ち切りだそうです。詳しいことはまだよく学習していないのでわからない。けれども確実に何人かは溺れかかっている。私は臆病なので、人の助けを呼ぶことにした。

リハビリテーション医療の打ち切りに反対する署名←このサイトでネット署名ができます

と、ここまで書いた後、ネットにつなげると、既にUTSが署名の呼びかけをしていた。まあ、なんという素晴らしく速い情報の、人の、繋がり方だろう。私はこんな回りくどい言い方でしか、呼びかけは出来ませんでした。まあ、これも私の個性だと思って許してください。









最終更新日  2006年06月15日 20時18分51秒
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