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韓国旅行(09~)

2011年07月28日
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カテゴリ:韓国旅行(09~)
2101文会会館.JPG
ちょっと遠かったが、国立博物館まで歩いていった。やっぱり新しく文化会館なるものを併設中だった。この10年で扶余の地は建設ラッシュだ。一時この地方へ首都移転の構想があったからだろうか。

2105国立博物館.JPG
扶余国立博物館。私の訪れた初めての地方国立博物館である。日本で国立博物館というと、ものすごいりっぱなものを考えがちであるが、韓国には主要な都市にはたいていある。日本で言えばほとんど県立博物館と考えてもよい。そうとは知らずに、最初に来たときは感激してここの展示物で韓国の遺物のほとんどを見た気になったものだ。

2107扶余の佛石.JPG
これは博物館前に展示している天王寺出土の石佛。同体に比べ頭が大きい。柔和な表情をしている。高麗時代作。

2108松菊里遺跡.JPG
博物館の入り口にはやっぱり今も松菊里遺跡の模型が飾られている。この遺跡はおそらく日本では一番よく知られている遺跡で松菊里型といわれる丸い竪穴式住居は日本列島に数多く広がった。

2111三角包丁.JPG
しかし、そのままストレートに広がったわけではないことも今回気がついた。例えばこのような三角の石包丁は日本ではほとんど見つからない。

2114細がた青銅器.JPG
また校成里遺跡の有溝石斧も日本では珍しい。扶余の西を流れる金河流域では細形銅剣が広く採用されたようだが、日本では珍しい。

2120??.JPG
中国、韓国、日本の歴史年表をしばらく眺めながら、私はしばし妄想にふける。例えば、私の小説の主人公を西暦150年に韓半島に渡らせたとすると、金官伽耶国が成立して100年、百済は170年、楽浪郡は270年、高句麗は190年の歴史を持っている。ということを頭に入れながら話を作る必要があるな、などと思っていた。実際は伽耶国のキムスロは100歳以上生きていたことになっているから、彼が渡韓した時にはまだ生きていることにしてもいい。実際、国造りを始めたばかりだろう。しかし、その頃百済は国の体裁を充分持っていたと考えていいだろうし、中国を背景に楽浪郡は大都会だったろう。しかし、鉄を力に武力に依らなくても大国と充分渡り合える経験を彼は金海伽耶を通じて持つことになる。そして20年朝鮮半島に居て、日本列島に帰ると倭国大乱の真っ最中だった。……

2127大香炉.JPG
百済最盛期の最高傑作、百済金剛大香炉が展示されていた。以前来たときには他へ出張していて見ることの叶わなかった代物だ。複雑な装飾が全面を覆っていて素晴らしい。しっかり見ることができた。ただし、照明が暗く、やっぱり上手く撮れていなかった。申し訳ない。

2138埋蔵センター.JPG
隣になにやら新しい建物が出来ていたので、こっそり入ってみる。文化財保護センターみたいなものだった。気がついたのは、あまりにも発掘土器が少ないということ。もしかしたら、完品土器しか採取していないのではないか。まさか聞くわけにも行かず、こっそりと出る。

2141サトクッパブ食堂.JPG
足が痛くてずっとビッコを引いているのだけど、タクシーを拾うのが嫌で観光案内所の方向に我慢して歩いていると、以前昼食で入ったことのある食堂を見かけた。サトクッパブ食堂。

2142サトクッパブ.JPG
片言と手振りで注文したのが懐かしい。たぶんあの時と同じでサトクッパブを注文。やっぱり青とおがらしが出てきた。味噌はお店ごとで工夫があるのだろう。見慣れない小皿があったので聞くと「貝だ」という。やはり近くに河があるので採れるのだろう。貝の塩からである。この店は全体的に味付けは辛い。汁ご飯には牛のなにかの肉が入っている。あとで「サトは牛の肉だと思うけどどこの肉ですか」と聞くと、「牛の頭だ」という。牛の頭というと、ソモリクッパブだけかと思っていたら、こんな呼び方もあるのか。微妙な違いがあるのだろうか。さすが肉を食べる文化を持つところは奥が深い。弾力のある美味しい肉でした。

2143食堂の釜.JPG
この店は釜でじっくり汁を煮ているのが売りなのか、外に出るとこのような釜場があった。ともかくお店の人と(気楽に)話せるようになったのは、この7年間の私の大きな成長である。






最終更新日  2011年07月28日 20時20分06秒
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2011年07月27日
カテゴリ:韓国旅行(09~)
11月16日(火)晴れ 16日目
非常事態発生。昨夜から急に足の甲が痛み始めた。最初はこむら返りかと思った。しかし、朝になっても痛みは治まらない。かえって少し増したような気がする。じっとしているとなんでもないのだが、右足に体重をかけると痛くて歩くのが大変つらい。腫れてはいないみたいだ。考えられるのは昨日の大長今テーマパークで転んだときに足を挫いたのか。しかし、あの時は痛くなかったのだ。遅く来る筋肉痛だろうか。もしひびがはいっていたら……。歳を考えると急に不安になる。ここで撤退か?

2074キンパブ.JPG
とりあえず一日様子を見ることにした。しかしこのモーテルには泊まりたくない。昨日泊まろうとしたら無理やり特別部屋の500w高い部屋を取ろうとしたのだ。昨日泊まったのは、30000wの適当に綺麗な部屋だったけど、今日は高くていいから快適な部屋に泊まりたい。脚は痛むけど、部屋を変えることにした。朝食を食べながら部屋探しをする。キンパブはなかなか温かくておいしかった。薬屋で貼り薬を買う。

2176ソンハクモーテル.JPG
ちょっと歩いてソンハクモーテルにする。値段を聞くと「三万w」という。まあいいや、その部屋で行こうとすると女将さんは「コンピューターしたいか?」と聞く。したい、というと素敵な部屋に案内してくれた。4万Wでもおかしくない部屋だ。まったくもって宿選びは博打である。

2075扶余の町.JPG
少し元気が出たので、昼前に足を引きずりながら観光に出る。扶余に来たのは2回目である。前回は三回目の韓国旅行のときに、2003年ごろ?、日帰りで来たのだ。初めて見る地方の町だった。大都市ソウルに慣れた眼に、中心街の店でも薄汚れた店があってショックを受けた覚えがある。ところが、今回見回してみると、潰れそうな店はほとんどないし、こざっぱりとしていて綺麗な町じゃないか。足が丈夫でありさえすれば、街中の観光は総て半日で済んでしまいそうな小ささなのである。私の目がどうやらいつの間にか韓国に慣れたようだ。埃だらけの道路や窓も、慣れてしまえば不快ではない。

2077チョンリンサ博物館.JPG
宿から歩いて直ぐのところに定林寺址(チョンリンサチ)博物館があった。

2078塔.JPG
博物館は最近出来たらしいけど、見覚えのある塔があった。昔は一面原っぱの中にぽつんとあの塔だけがあった。扶余に都があったとき(百済シビ時代)、残っている唯一の百済遺跡である(新羅統一の折に総て破壊されたらしい)。538年からある石塔だとすると、日本にもない古さだ。石塔の前まで歩く元気はない、ゆっくりと博物館を回る。

2096小学生の団体.JPG
小学生の団体見学が来ていた。

2088伽藍配置.JPG
定林寺の伽藍配置はこのようなもので、飛鳥寺や山田寺、また中国の寺とも比較していましたが、全然違う独特な配置だそうです。

2089穏やかな仏像の顔.JPG
この時代の仏像は、確かに奈良時代の仏像に似ている。






最終更新日  2011年07月27日 22時45分49秒
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2011年07月26日
カテゴリ:韓国旅行(09~)
2042それなりに楽しんだ.JPG
チャングムテーマパークはそれなりに楽しめました。

2044MBC.JPG
と、まあ一般観光をしたあとバス乗り場のほうに帰っているとMBC(韓国2大テレビ局のひとつ)の大きな建物があった。隣は明らかに撮影スタジオであった。誰かスターが歩いていないかなとか、中を覗き見できるところはないかな、とか探したけど無理だった。なるほど、こんな人里はなれたところに大きな車で移動しながら撮影しているわけだ。

2048前衛芸術.JPG
韓国ではいたるところにこのような前衛芸術のような像が置かれている。偉人のリアルな実物よりも大きめの銅像とこのような前衛芸術が韓国美術の二つの潮流である。

2050まつりソーメン.JPG
バス時間の調整のためにテーマパーク内の食堂で軽食を食べた。まつりソーメンとお品書きには書いている。普通の熱いソーメンなのであるが、お祭のときにこのようなソーメンが出るので名づけられたらしい。

2051かりんとう.JPG
揚州駅に戻り、チョンゴク駅に向かう。ところがソヨ山駅で電車は止まり、そのあとは一時間に一本の電車に乗り換えなければならないということが判明した。これで行ったら、悪くするとここで一泊しなければならない。迷った末、行こうとした遺跡は青銅器時代ではなく旧石器時代の遺跡で博物館もなさそうだということもあり行くのを諦めた。駅でジャガイモのかりんとうを買ったらこれがまた食べ応えがあった。

2052トイレ.JPG
ソヨ駅のトイレです。珍しく近代的。

2054登山入り口.JPG
ここは逍遥山登山の入り口で、入り口のほうまで行ってみるとものすごい数の食堂が並んでいた。

2053キムチを漬ける.JPG
韓国のハイキング熱は日本の比ではない。韓国人口の三分の一が集中するソウルの市民たちは、暇があると近くの山に登りたがる。それが自然に親しむことだと勘違い思っているようだ。お店の隣ではキムチを作るために白菜を漬けていた。ものすごい量である。

2058平和がぢかう.JPG
入り口辺りに「フリーダムピースミュージアム」というのがあったので、博物館フェチの私としては期待していったのであるが、今日は月曜日、やっぱり休み。やっぱり軍人教育のための戦争博物館の雰囲気だった。どうやらFREEDAM PROTECT PEACEという意味らしい。漢字で言うと「自由守護平和博物館」となる。韓国の軍隊がどれだけアメリカナイズされているのか見たかったのであるが、残念である。しかしこの門、「平和」の文字を間違っている。彼らの主張がどれだけ「いいかげん」かこれを見ただけでも良く分かる。

2062軍用車両.JPG
近くに基地があるためか、迷彩服や軍隊の車が目立った。

2064いわゆるゲテモノくい.JPG
これが、まあ韓国屋台フードのカルチャーショックの代表選手、ポンテギである。カイコのさなぎを煮ている。今回は釜山に帰ったときに食べたけど、味の癖はない。でもそれほど美味しいものでもない。栄養食だと思えば食べれます。

2067電車のおじさん.JPG
ソヨ駅からソウル南部バスターミナルまでなんと約2時間かかった。けれども電車賃は充分昨日チャージした分で賄えた。(約2000W-150円)地下鉄がソウル市民の足だということが良く分かる。一号線の最初のほうは地上線である。おじいさんが自転車に乗って入ってきた。もちろん堂々と老人専用座椅子に座る。自転車で乗り入れてもOKなの?彼は二駅ぐらいで直ぐ降りたけど。

2068旅のお供.JPG
バスセンターで扶余(プヨ)行きの切符を買う。旅のお供にコーヒーと野菜トーストを買った。その場で温めて作ってくれる。

2070金河.JPG
扶余まで2時間の旅、今日は移動だけで午後は総て潰れた。けれどもこれでソウルとは完全におさらばである。扶余に近づいた。バスの車窓から川辺の夕暮れが美しい。

2073キムチ鍋.JPG
宿は近くでとり、夕食は歩いて迷った末にもやしキムチ鍋で軽食にしてその後焼酎を飲んだ。もしかしてこの酒がいけなかったのか……。

バス1,000 大長今テーマパーク5,000 ソーメン5,000 お菓子2,000 コーヒートースト3,000 ソウル→扶余11,000 宿30,000 夕食とおつまみ8,000
合計 65,000W






最終更新日  2011年07月26日 22時57分21秒
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2011年07月25日
カテゴリ:韓国旅行(09~)
11月15日(月)晴れ 15日目
モアモーテルは綺麗なモーテルでした。宿運は続いている。現金が少しになったので銀行で四万円のみ換金した。1360W/100円になっていた。少しレートが上がっている。

2009ちゃんグム・テーマパーク.JPG
議政府駅からさらに北の揚州(ヤンジュ)にむかう。そこに「大長今(チャングムの誓い)テーマパーク」があるのだ。このとき、私もいまさらにチャングムを見ていて、11月に行ったころには済州島に島流しされた辺りであった。

さすがに観光スポットだけあって、駅にパンフや案内所はあるわ、バスの運転手はテーマパークというだけで分かってくれるわ、とっても楽である。この京畿道パンフを見ていると他の地域に先史時代の遺跡がある。ちょっと遠いけれどついでに行き方を教えてもらう。

2006居間.JPG
大長今テーマパークはバスで15分ぐらいのところにある。セットを見てみると、ほとんどのシーンはここで撮っていたということがわかる。

2008厨房1.JPG
水刺間(スラッカン)らしき台所は場面に応じて幾つかの場所が使われていたことが分かった。どこもそうだったが、撮影用の場所なので実際に見てみると、ゴミゴミしていて綺麗ではない。しかし、テレビで見るとそれがライトマジックで本物に見えるのである。

2011中国人.JPG
中国の観光客が多く来ていた。あちらでも放送されて有名なのだろう。

2007書庫.JPG
チャングムとミン・ジョンホが時々出会っていた書庫である。

2023印象的な場所.JPG
一番印象的なのは、チャングムが母の形見の書物を隠した処です。隠したのは建物の下ですが、そのそばの松ノ木の根元には母と韓尚宮が一緒に作った柿の酢を壺に入れて隠した場所があります。

2024壷の中.JPG
これをめぐってすれ違いドラマの醍醐味を見せてくれたわけですが、ちゃんとそこには壺が埋められていて、何故か「龍の彫り物」が入れられていました。どういう意味なんでしょ?

2027転んだ場所.JPG
実はこのあと、ふと躓いて転んでしまった私でした。足捌きがオカシイのか良く転ぶ私ですが、むかし柔道をしていたおかげでいまだかって転んだときに打ち所が悪くて怪我をしたことがないのが自慢です(時々自分から一回転して受身をします)。ところが、このとき大きな失敗をふたつしました。ひとつはどうやらこのときに日本から持ってきていた万歩計を落としたらしいのです。今まで韓国旅行で一回万歩計を落としています。今回は気をつけていたのですが……。この日から毎日二万歩近く歩いていた記録が途切れることになりました。そして、さらにもうひとつ。幸い、このあとすぐに歩けるようになったので、まったく問題ないと思っていたし、事実ずーと全然痛くなかったのですが、この夜大変なことが起きてしまうのです。それはまた明日の話。

2039あまどころ.JPG
お茶の試飲所があって、日本人に対して熱心な商売をしていました。それぞれのお茶の効用がここではきちんと実物を添えて書かれていたので、私的にはとっても勉強になりました。もちろん買いませんでした。旅の最終日に釜山の市場でこれの約1/4ぐらいの値段で、五味子茶とあまどころと棗茶を買ったわけです。その後四ヶ月ぐらいかけてお茶でいただいたわけですが、効果のほどは分かりませんでした。でもたぶんその他の要因だと思いますが、体調は好転したのでまた市場で買いたいと思います。






最終更新日  2011年07月25日 19時22分41秒
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2011年07月22日
カテゴリ:韓国旅行(09~)
タサン遺跡を目指してバスは漢江の水の調整所みたいなダムを通り過ぎる。

1970地図.JPG
遺跡の前で下ろしてくれたのはいいけど、そこからさらに1キロぐらい歩かないといけないらしい。まあ、それはいい。どうも雰囲気が古代遺跡ではないみたいだ。地図の絵を見ると、真ん中当り、昔の貴族の家みたいなところに茶山(タサン)遺跡地(ユジョクチ)と書いてある。行ってみてわかったのだが、どうも朝鮮時代の超有名な人のお墓があるところらしい。私しゃ、来る前に観光案内所の人に聞きました。そうすると彼は「1000年以上前の遺跡らしい」とか「青銅器時代の遺跡らしい」とかいっていた訳です。真っ赤な嘘でした。みなさん、安国駅前の観光案内所で少し日本語が出来るイケメンの男の言うことは絶対信用しないでください!!と、一応言って置こう。

韓国の場合、「遺跡」というとまさに「のこっている跡」ぐらいの意味で、日本のように「古代の跡」という意味ではないということを肝に銘じた。そういえば、韓国で「古墳」といえば、単に「古い墳墓」ぐらいの意味だった。

1983茶山の墓.JPG
そんなこんなで、一応タサンさんのお墓も参ってみました。

1985タサンの家.JPG
彼の住居もきちんと保存されています。

1988実学博物館.JPG
博物館ありました。実学博物館です。タサンさんは天文、物理、地理に貢献した偉い学者さんのようです。

1986実学展示.JPG
初期の朝鮮通信使にも二回参加しているらしい。

1989どじょう食堂.JPG
やっぱり地元の食堂の味を確かめたくて、目に付いた「チュオタン(どじょう汁)8000w」という看板に惹かれて入ってみました。

1990チュオタン.JPG
そしたら(客は私一人しかいなくて閑だったのか)ご主人がしばらく付き合ってくれました。ここのご主人は54歳。根っからここの住人らしいのですが、高校で少し日本語を学んだらしく、片言の日本語と片言の韓国語で少し話をしました。
「ここに観光できたのですが、ここの遺跡を青銅器時代とか三韓時代の遺跡かと間違ってきてしまいました」
「そうです。ここは400年前くらいの遺跡です」
「今分かりました(^^;)」

1991ご主人.JPG
等々話をしている間に料理が来ます。
私には少しから辛かったようです。おかずも珍しく1/3ぐらい残してしまいました。
「この鰌はこのあたりで獲れたものですか?」
「そうですよ」
「このおかずの牡蠣もここで獲れたものですか?」
「そうですよ。このおかずの総て、私が畑で作ったり、獲ってきたものです」
所謂、パンチャン(おかず)は地元の食材が使われていることには気づいてはいたが、彼の食堂のようにあんまり人が来ないような食堂では本当に材料も自給自足なのかもしれません。これは今日の最大の「収穫」でした。写真のテレビを見ているのがご主人です。

1992護岸.JPG
この遺跡はソウルの中を流れる大河漢江の上流にあります。あまり開発されていない漢江をみるという目的もあったのですが、遺跡の護岸はちょうど工事中であまり見ることはできませんでした。

1996ハイキングの人たち.JPG
元来た道を帰って中央線に乗りました。今日は日曜日、にわかハイキングたちの集団に囲まれてしまいました。泊まりは地下鉄一号線を北に走って議政府(ウィジョンブ)駅にしました。ここにプデチゲ(部隊鍋)通りがあると、かの安国駅前観光案内所でもらったパンフに載っていたからです。

1999おでん食堂.JPG
プデチゲ(部隊鍋)はずっと軍隊の兵士が食べていたものだと思っていた。しかし、発生はそうではなく、朝鮮戦争で食べるものに困った庶民が空腹を満たすため、議政府では在韓米軍の横流しのハムや肉などを炒め、「プデ炒め」として売ったのが始めだといわれています。この「おでん食堂」はそれを一番最初に作った店だということで行ってみた。

2000プデチゲ.JPG
プデチゲは安い料理だという印象だったけど、ラーメンを入れると一食8,000w。焼酎もつけたので私的には高い夕食になった。味は単にいろんな具が入っているラーメン鍋です。

2001食堂の客.JPG
場所は泊まりのモアモーテルのおばさんに聞いて行ったのだが、帰ってプデチゲ通りのどこに行ったか聞かれたのでおでん食堂だというと、明らかに不満顔。「みんな猫も杓子もあの店に行って本当は旨い店はほかにあるのに」という顔だった。地元の反応は古今東西同じである。ちなみに入る前に通りの値段だけはチェックしたが、値段協定があるのか総て同じ値段だった。

2004バッティングセンター.JPG
通りの近くで、バッティングセンターがあったので少し運動。

キョトンカード15,000 バス2,000 コーヒー1,000 キムパブ1,500 昼食8,000 夕食11,000 宿30,000 バッティングセンター2,000
合計 70,500W
歩数 17,720歩






最終更新日  2011年07月23日 04時09分26秒
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2011年07月21日
カテゴリ:韓国旅行(09~)
11月14日(日)晴れ 14日目
今日は昨日買った地図で見つけた茶山(タサン)遺跡へ行くことにした。9時過ぎにモーテルを出て、安国の観光案内所で行き方を聞くという手順。男の案内員が「チョンチャンリ駅で降りて2003-1から3のバスに乗ってください」と教えてくれた。その通りに待った。二回もバスに乗り過ごしてしまい、一時間以上も待ってしまった。

1961ロッテデパート屋上.JPG
ずーとひたすら待っていればそんなことはなかったかもしれないが、20-30分ずーと待つのが勿体無くて、目の前のロッテデパートに登ってしまったのが悪かったのだと思う。ここはデパートの屋上。閑散としています。でも日曜のデパートです。昼からダーツ投げのアトラクションでもあるのかもしれない。

1962屋上のカレー.JPG
観光地ではない処のロッテデパートは、地下が食品売り場、1-2階婦人、3階紳士、4階食堂のオーソドックスなデパートだった。こういう食堂のカレーは6,000w-7,500wのそれなりに高価なカレーです。

1960キンパブ.JPG
待ちに待った。昼近くになって小腹が空いたのでデパート前の小店でオモニからキンパブを買った。1,500w(120円)、最近少し相場が値上がりしている。2003番バスがやっと来た。「タサン遺跡に行きたいのですが」「わしはそんなの知らんよ」とバスの運転手さん。思いもかけない返事である。このまま諦めるか迷ったが、それも悔しい。確か電話の1330番は日本語ガイドの電話だったよな、と思いかけて見ることにした。果たしてそうだった。調べるというのでしばらくしてかけ直すとあの案内書の兄ちゃんのいったのと似ても似つかない行き方。「電車に乗り換えてトクサ駅という処から2001-2番のバスに乗ってください」とのこと。今まで観光案内所の「若い人」は優秀である、という認識をしていた私ですが、改めました。「若い男はその限りではない」

1964徳沼駅.JPG
地下鉄から中央線に乗り換えて電車に揺られながら地図を見ていると、可愛いアガシ(お嬢さん)が
「どこかお探しですか」
と綺麗な日本語で声をかけてくれた。
「この遺跡に行こうと思っているんです」
「昔お父さんに連れて行ってもらったことがあります」
「なにか博物館みたいなものはありましたか」
「昔でしたから……」
「ところで日本の方ですか」
「いいえ、母親のほうが日本人なんです」

なるほど、韓国なまりのほとんどない完璧な発音である。
「その荷物、荷台に上げたほうがいいですよ」
と彼女は親切に私のリュックサックに気を使ってくれた。
「うん、ただ少し重たいので……。持ってみます?」
女性には重たいだろうとは思っていたけど、果たして彼女は一センチも持ち上げることが出来なかった。
「だから上に上げたくないんです。今回遺跡を見るために韓国をいろいろ回っているんですが、そこで買った本でちょっと重たくなって……」
ということで、なぜ韓国の遺跡を回るか説明。歴史の話に移っていった。
「いま、朝鮮半島の歴史では中国が古朝鮮を建国したということを主張していて、朝鮮の国土がなくなってしまうという問題が起きています」
という話題を持ち出してきた。韓国にとっては領土問題は竹島だけではないようである。彼女によると、中国側の根拠はたった一人の中国人(名前失念)が当時建国したということらしい。
「そうだとすると、おかしいですね。朝鮮民族がどのくらい住んでいたか、というほうが問題です」
ことの当否はどうであれ、私は断然彼女の肩を持つのであった(^^;)。
ひとつ驚くことがあった。私は話しぶりから大学生だろうと思い、彼女に
「どこの大学ですか」
と聞いた。
「高校生です」
時々感じることだけど、このときほど韓国の若者の成熟度を感じたことはなかった。日本の若者とは違って、明確に自分の意見を持っているのが韓国なのである。

1965川沿いの道.JPG
彼女は途中の駅で降りていった。トクサ駅(一つ前の写真)で降りて、バスに乗った。ソウル市内から続く漢江(ハンガン)に沿って東に40分くらい走ったのであった。






最終更新日  2011年07月21日 23時15分13秒
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2011年07月20日
カテゴリ:韓国旅行(09~)
1916弓道場.JPG
昔の弓道場だったと言う黄鶴亭といのがあった。

1921運動場.JPG
その上に登る道がついている。馬鹿となんとかは登りたがるので登っていくと、やっぱり頂上には運動公園があった。ハラボジがやっぱり運動している。

1927遠くソウルタワーが.JPG
見晴らしはやっぱりそんなにいい訳ではない。これは防衛上か大統領府の青瓦台は枝が邪魔をして良く見えない。向かいの山が山城で、南側にソウルタワーが良く見えた。写真は南側。かすかにソウルタワーが建っているのが見えるだろうか。

1931遠く青瓦台.JPG
今日の午後の目的は近くの光化門文化ホールで行われている伝統演技常設公演「PAN」を観ることにあった。写真は文化ホールから青瓦台方面を眺める。山の麓が大統領府である。

1933panの会場.JPG
チャンゴや銅鑼、鐘、太鼓の打楽器音楽を間奏としてパンソリやユンノリ、仮面ノリの触りで構成された「韓国芸能を見た気にさせる」公演である。それぞれに字幕がついていて、韓国芸能の入門篇にはいいと思う。

パンソリはやっぱり「感情のうた」だった。今日の触りは「清沈歌」。庶民の孝行娘が王妃になる夢物語と突然父親の目が治るという奇跡物語である。あらすじは荒唐無稽なのであるが、「父親の目から涙がぽたり、ぽたり、ぽたり、」と落ちるさまを謡うその間が素晴らしい。感情が揺さぶられる。

仮面ノリも本来の風刺性が薄まっている気もするが、アドリブなどは理解できたので楽しく見れた。

1936公演が終わって.JPG
総勢13人ほどの小さな楽団だか、客は200席ほどの部屋に80人ほどしか入っていない。一日の日当10万W(7千5百円)も貰っていないだろうなあ、と思いながら見ていた。終ったあと、出口のところで銅鑼や太鼓を叩いて送ってくれたので写真を撮ることができた。若い女性はみんな美人です。みんな一つか二つの一芸を持っている。

1940記念写真.JPG
おばちゃんたちは記念写真を撮っていたが、私はそんな度胸はありませんでした。


1946市長広場.JPG
そのあと観光案内所に行って明日の行き方を聞くつもりだったが、ミョンドンで見つけることが出来なかった。諦めて市庁広場に行った。

1949イベント.JPG
G20サミットの記念行事がまだ行われていた。

1951ホットック.JPG
南大門市場まで行った。ホットクを買って小腹を満たす。ここの観光案内所は両替もしていたのを思い出したからだ。しかし行ってみると、銀行より高い気がしたので取りやめる。

1954地下鉄.JPG
ソウルの地下鉄はふと気がつくと、東京と同じように乗降が自動ガラスで仕切られていた。変なところで日本に追いついている。

1952弾き語り.JPG
乗り換えの忠武路駅では無名か有名かは知らないが、歌手の弾き語りをしていた。観客は日本と違い、中高年男女を中心に20名ほど。韓国の中高年は演歌と言っていい歌謡曲を真面目に聞く。歌謡曲がまだ生活に根付いているのではないか。この駅は映画のレリーフをはめ込んでいている。ソウルの駅はこのように駅ごとにコンセプトがある。そのあと景福宮のコインロッカーから荷物を元に戻す。

1958モッサム.JPG
景福宮西側の通りにある多福モーテルに宿を決める。写真を撮るのを忘れたが、木造の部屋で古いから30000Wと安いのだが、わりと綺麗な所だった。当りである。夕食はその近くのモッサム屋で一人分のモッサムを了承してくれた。モッサムとは豚肉をキムチで包んで食べる料理。此処のも美味しかった。

コインロッカー1,000、故宮博物館の解説器1,000、昼食8000、「PAN」30,000、キョトンカード5,000、ホットク1000、宿30,000、夕食10,000、ティー2,800
合計 78,800W
歩数 22,556歩






最終更新日  2011年07月21日 00時40分02秒
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2011年07月19日
カテゴリ:韓国旅行(09~)
昨年11月1日から22日にかけて決行した韓国旅行の記録をまた始めます。どこまでいけるか分りませんが、早く終わらせないと次の旅が待っています。今までの旅行記は左のカテゴリーの韓国旅行(09~)を参照ください。

11月13日(土)晴れ

三泊したので大元旅館を辞することにした。
1878大元旅館.JPG
以前と違ってここで宿泊者の交流はなくなった。シャワー室が各部屋についたのが原因だろう。今度ソウルに泊まる時は違うところに泊まれる様に準備しておこう。けれども一泊35000wが上限だ。

1882閲覧式.JPG
景福宮にいくと閲覧式をしていた。

1884お真.JPG
故宮博物館に行ってみる。大幅な展示替をしていた。御真(オシン)は当代隋一の画家が選ばれ描いている王の肖像画らしいが、それほど芸術的価値があるとは思えない。

1886水字護符.JPG
建物を建てるときに火災から守るための護符である。「龍」の字で「水」という字を書いている。<水字符籍>という。

1888鍼の教科書.JPG
歴史ドラマでは王宮の医者はみんな鍼治療に長けていた。このような教科書があったようだ。

189王妃のかんざし1.JPG
これは王妃用のかんざし。そういえば、チャングムでも王妃様がまったく同じものを挿してた。

1895皇帝勅封.JPG
このとき、ベトナム阮朝(1802-1945)の宝物の企画展をしていた。これは皇帝勅封である。改めてベトナムも漢字文化圏なのだと感じた。

1899コンドンパン.JPG
この前と同じようにここの食堂で故宮料理を一品だけ頼んだ。コルドンバン(骨菫飯)である。19世紀末料理本「是議全書」に載っていたという。味の薄いビビンバというかんじだった。

1903韓屋のあるとおり.JPG
景福宮を西に歩く。ここには観光地化されてていない昔ながらの韓屋が並んでいる。

1902旅館のある通り.JPG
旅館があったので入ってみたけど部屋は空いていなかった。

1904反対運動?.JPG
良く分からないけど「瓦葺きだけが韓屋だと!保存するなら、全部購入しろ!」と書いているのではないか?日本と主張する部分がちょっと違う。

1906バリケード?.JPG
なぜかいざというときにバリケードに使うものがあった。なんに使うのだろうか。誰か教えて!

1909社稜.JPG
社稷のほうに歩く。

1911紅葉.JPG
ソウルはいま紅葉真っ盛りであることに気がついた。






最終更新日  2011年07月19日 20時22分24秒
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2011年05月13日
カテゴリ:韓国旅行(09~)
1848総合順位.JPG
ソウル市内の永豊文庫でソウルの地図を買いました。本の売り上げ総合ベストを見ると、第二位に「サンデル教授の今正義の話をしよう」が入っていて、第十位に「1Q84」が入っていました。

1849ドンとこい貧困.JPG
湯浅誠さんの「ドンと来い貧困」(中央のヘタウマの少年が描かれている本)が平積みされていました。

1850反貧困.JPG
湯浅さんの本は岩波新書の「反貧困」も翻訳されていて、探してもらいました。荷物になるので帰国直前に買おうと心に決めていたのに、つい忘れてしまった私でした。

1866店の中.JPG
チョンノのマッコリ通りを歩く。一人だけどダメ元でどうしてもチャレンジしたい居酒屋があったのです。大元旅館で知り合った人に連れて行ってもらったことが一回あります。今まで一番美味しいマッコリでした。その後、一人でこわごわ入ったときには、アルバイトの女性と言葉が通じなくて結局すごすごと帰ったことが一度あります。今回は会話力が向上したのか、度胸がついたのか、女将さんと思しきオモニに「一人だけど、いいですか」と聞くと快く入れてくれました。

1860最高のマッコリとホッケ.JPG
洗面器になみなみとマッコリが入ってきました。唯一といっていいツマミは巨大なホッケです。本当にうまい。ホッケも改めて食べると、どうしてこんなに旨いのか分からない。このホッケの厚みと絶妙の焼具合、そしてマッコリとの相性、そして何よりマッコリの濃厚な味とあっさりとした酸味。

1861落書き拡大.JPG
お店の壁には一面にこのような落書きがあります。いうなれば、この落書きがこの店の目印みたいなもので、お店の名前は結局分かりません。
 
本来二人分の分量(これだけ飲んで食べて13000w)ですが、全部食べて呑みました。女将さんに「ほんとうにうまかったです。一番旨い」といって出て行きました。この店で飲むことがてきたので、ソウルに来た目的のほとんどは達成した気分になってしまいました。 

1868警察署前.JPG
外に出ると、G20のせいなのか、大仰な警備振りです。少し迷ってしまいました。ちょっと大きな交番がありました。こんなことを聞いてもいいのかな、とおもいながら道を聞きました。
「(地図を見せながら)此処はどこですか」
すると上司と思しき男が(どういうことや)というような顔をして
「オイ、日本語が出来るヤツ!」
と大声で言います。
(なに言ってやがんでぇ。俺の韓国語は完璧なはずや)すっかり酔っています。もう一度、
「此処はどこですか」
すると、若い女性警官が私の側にやってきて、
「此処はココです」
とボールペンで指し示してくれました。
頭が固くて威張り散らす上司と、優秀な若い女性、良くありがちな場面に接して私は嬉しくなって礼を言って出ました。
上司としてはG20でぴりぴりしているところに変な奴が来て頭にきたのかもしれません。

1872キョンボックン.JPG
帰りに景福宮を見ると、夜の八時前だというのにすごい人だかりです。どうやら今日が光化門のお披露目だったようです。

1876ライトアップ.JPG
日帝がここに政府を持って来ていたときにとうとう取り潰した景福宮の門です。前回は雪の景福宮のときに来たし、どうもここには節目節目のときに来ているようです。

さて、本当はまだ22日目まで旅は続くのですが、日記や写真の整理がまだですので、続きはまた次の機会にさせてもらいます。

キョトンカード5,000 宿代29,000 昼飯4,500 お握り1,200 本代5,000 夕食13,000
合計 57,700w
歩数 30,109歩






最終更新日  2011年05月13日 21時30分37秒
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2011年05月12日
カテゴリ:韓国旅行(09~)
1820駅前.JPG
そのあと、映画「息もできない」のロケ地を探してソウル大学入り口駅を降りて、町を歩いていきました。冠岳区(カンアクク)という処がロケ地なのですが、いざ入ってみると駅四つ分はあるとても広いところなのでした。

1821お寺.JPG
駅から西側に歩くと、貧しい家並みが続く。至る所に、まるで長屋そのものの寺がある。

1825坂を行く.JPG
少し方向を変えて坂を目指して歩く。商店街を横切り、さらに上に登っていくと、ほとんどの家は二階三階建て構造で、総てその上に借家を設けている。借家の証拠に階段が着いています。韓国ドラマでは六割がたの確立で出てくる屋上の借家です(呼び名があったのですが忘れました)。

1824屋上貸家.JPG
一体なぜこういう形式が広がったのか。親のために二世帯住宅を作るつもりが、こずかい稼ぎのために借家にしたのが広がったのでしょうか。

1826屋上貸家.JPG
あとで気がつくのですが、ここら一帯はこの形式の家ばかりなのですが、ない地域にはまったくないのです。これはなぜなのでしょうか。

1827お寺.JPG
坂の一番上まで行ったけど、映画ほどは寂れていないので違う場所だったようです。一番上の建物はちょっと小奇麗なお寺(ウンチョン寺)がありました。さらに上に行く遊歩道が整備されいたので、○○ほど高いところに登る私は登ってみることに。

1832水晶.JPG
この山にはなぜか水晶になる石がごろごろしていました。

1828可愛い花.JPG
こんな可愛い花も咲いています。

1833頂上.JPG
やっと頂上に着きました。ちょっとした登山気分です。ところが、此処にいたってやっと鈍い私も気がつき始めたのですが、ソウルの山はほとんど例外なく頂上付近にアスレチック施設が作られています。

1835眺めは最低.JPG
日本だと見晴らしのいい場所がどこか設けられているところですが、そんなものは全然ありません。おそらく東には韓国一のソウル大学が見えるはずだし、西には市街地、北には漢江とソウルタワーが見えるいい立地のはずなのに、立ち木で何も見えません。この価値観の違いは何なのでしょうか。長い間独裁政権だったことが影響しているのでしょうか。

1834運動する人.JPG
たいていはおじいさん、おばあさんが健康のために熱心に運動しています。この日もなんと四人も来ていました。

1836平行棒.JPG
これは平行棒ですね。一旦設置すれば、電気代はかからないし、安上がりです。日本でも気軽に運動できるこういう施設を作って欲しいものです。

2009031018485088784_1.jpg
山を降りて坂道を下ります。その時はまだ「息もできない」のロケ地を諦め半分で探していました。韓国の映画には坂道のある作品が多いのです。ここでへばりつくように生きている人々の、恨みや悲しみや喜びが傑作を生むのかもしれません。チンピラで借金取立てを糧としているサンフンと高校生のヨニの、たぶん恋愛映画といっていい物語です。二人を結びつけた要素は、この町のどうしようもない貧困であり、暴力です。ひとつの暴力は、もうひとつの暴力を生む。サンフンの父親の暴力はサンフンの暴力を生み、サンフンの暴力はヨニの兄の暴力を生む。ちいさな町の片隅の関係ではあるが、宿命的な「暴力の連鎖」が描かれます。そしてまるでギリシャ悲劇を思わせるかのような神話的結末を迎えるのです。しかし、貧困が生む単なる悲劇物語にしていないというところが、凄いのです。暴力の連鎖を止めるものも示している。暴力の前に小さな花は無力ですが、暴力を止める力も小さな花の中にこそあるのです。

1843親子.JPG
そのときです、知能障害のある男の子とお母さんが坂道を登ってきて私とすれ違ったのです。お母さんはずっと子供を叱りながら歩いてきました。そのあと私は坂の下のバス停まで歩いたのですが、なんと30分もかかってしまいました。あの親子はいったいどのくらい歩いて家にたどり着いたのでしょうか。






最終更新日  2011年05月12日 18時56分33秒
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