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韓国旅行(09~)

2011年01月18日
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カテゴリ:韓国旅行(09~)
2010.11.6(蔚山・釜山)
989コムタンリ.JPG
検丹里遺跡は谷あいにある盆地みたいな平野です。近くに小さな川が流れていていました。このあたりは沼地一歩手前の原っぱなので、そういうことが稲を作るのに適していたのかもしれません。

990コムタンリ.JPG
バスで来なくて本当によかった。たぶん住民もあまり場所を知らないだろうから、看板さえないのだから、たどり着けなかったかもしれない。

タクシーで行って返ってメーターは一万wと少しになっていました。普通ならば、2万w札を渡して感謝の印に「釣りは要らないよ」となるところかもしれませんが、貧乏旅の私は決してそんなことはしない。二万w札を準備していると、タクシーの運ちゃんが
「一万wでいい」
と言うではありませんか。タクシーではさんざん嫌な思いをしてきた私には忘れられない一瞬になりました。さきほど、「遺跡まで何分かかるか分からんよ」と言っていた同僚のタクシーの運ちゃんも車を降りたところにいて「やっぱり何もなかっただろう」とか言ってきていた(見たい)なので、
「とっても面白かったです!ありがとうございました!」
と礼を言うと、私を送ってくれた運ちゃんはにこっと笑ってくれました。

993昼食.JPG
昼食はせっかく来たのでウンチョンですることにしました。店は牛肉料理ばっかりです。産地なのでしょう。ちょうど昼飯時間でしたが、人が多いところを探して入りました。一人なので、焼肉は無理だといわれました。「味噌チゲか?キムチチゲか?」と聞くので、高いほうのキムチチゲ(キムチ鍋)にしました。なんと副食が9品も付いてきました。この地方は副食が多い地域なのかもしれません。しその葉の味噌漬けみたいなおかずをのぞけば、全部とっても美味しいおかずでした。しかもチゲの中にしっかり牛肉のモモ肉らしきものも入っており、肉は期待していなかっただけにとっても嬉しかった。これで6000wならば安い。昨日の咸安の田舎味の昼食が60点だとすれば、今回は100点です。

バスで釜山に戻り、一号線でトンネ駅まで戻り、福泉(ポクチョン)古墳群に行ってみる。二度目だが、以前は時間がなくて駆け足で回った。前回はタクシーを使ったが、今回は行きも帰りもバスを使ったのでたぶんタクシーより6000wくらいは節約できたと思う。(その分駅の事務員にバスの乗り方を聞いて、100m先にあるバス乗り場まで付いて来て貰ったり、帰りはバス待ちが20分もあったりはしたのだけれども)

1107福泉洞博物館.JPG
今回の旅は新しいカメラに買い換えた。前のカメラのバッテリーがすぐに切れるようになったためだ。前々回初めて買ったデジカメは3万円以上した。前回のデジカメは2万円近くした。今回のデジカメは12000円ほどである。ああ、それなのにそれなのに、性能はだんだんと良くなっているという不思議。……ということを言いたいのではなくて、前回のデジカメは1Gのカードを5000円も出して買ったのだが、今回は2GのSDカードがおまけで付いてきているのである。2005年の22日間の韓国旅行の時には旅の後半はカードの容量がなくなってきて、それまでの写真を幾つか消去しながら、撮りたい写真を極力抑えて1000枚以上を撮った。今回は2000枚以上の写真が撮り放題だということになる。それでもうまったくストレスなく、博物館の展示品は条件が許す限りは思いっきり撮っている。特にここの博物館の展示品には、すべて英語日本語中国語の解説が付いているのである。考古学博物館ではそれは少ない。……(ということでいよいよ本題)それで幾つかを選んで解説文と展示品とを交互に紹介します。私の2000枚の写真のうち六割くらいは展示品の写真だけど、それをそのままブログに載せても皆さんにはちんぷんかんぷんだと思うので(これでも)極力載せるのを抑えていたのです(^^;)。でももちろんここに載せたのは撮った写真のほんの一部です。
1003先史時代説明.JPG
1007青銅器時代遺物.JPG

1010三韓前期の墓説明.JPG
1011三韓前期遺物.JPG

1017新羅の墓説明.JPG
1018新羅の墓.JPG

1019伽耶の墓説明.JPG
1020伽耶の墓.JPG

1021高句麗墓説明.JPG
1022高句麗.JPG

1023百済説明.JPG
1024百済.JPG

1051異形土器説明.JPG
1052異形土器.JPG

この博物館の図録は見せてもらったのだけど、写真しかなくて解説がなかったので買わなかった。図書館では発掘報告書がずらりと並んでいたのだけど、これは時間がなくて読めなかった。いや、もともと読めないのだけど、時間があれば眺めるだけでいろいろと発見はあったはずなのではある(検丹里遺跡の報告書にあった地図はここで見つけました)。

998昔の下駄.JPG
企画展示では「靴」の歴史をしていた。こちらは日本語解説はなかった。これは3-4世紀の木の靴(下駄?)だそうです。

1000藤ノ木古墳みたいな靴.JPG
日本でもおなじみの藤木古墳から出てきた靴とそっくりの百済の王様の靴(公州)とかあって、楽しいものであった。






最終更新日  2011年01月18日 14時15分33秒
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2011年01月17日
カテゴリ:韓国旅行(09~)
11月6日(土)晴れ
沙上駅に荷物を置いて、釜山の北のバスターミナル・ノポドンへ。そこで今日の目的のひとつである検丹里(コムタンリ)遺跡の行き方を聞きました。釜山大学の研究者から大体の位置は聞いていたのだが、彼女たちは車で移動するので旅人の行き方までは分からなかったのである。観光案内所に行って聞きます。例によって観光案内所のアガシは聞いたことも無い地名だという。インターネットでも検索できない。どうやらウンチョンというミョン(面=町)にあるということぐらいしか分からない。私は遺跡の場所は分からないだろうとしても、検丹里という村への行き方ぐらいは直ぐ分かるだろうと期待していたのだが、甘かった。しばらくして役場に電話してくれたらしく「1127番か1137番のバスに乗って蔚山(ウルサン)のウンチョンミョンサムソユッキョ(ウンチョン面事務所陸橋)まで行って、そこから反対方向のコヨンコンタンかチュネ大学方面のバスに乗ってチュネ大学の次の停留所で降りたら10分くらい歩けば検丹里遺跡に行けるそうです」という情報を貰った。すぐに場所がわからなくて不満そうな顔をしてすみませんでした。後で考えると、出来うる限りの一番的確な情報をもらったと思う。普州でも感じたが、中核都市の観光案内所には必ず日本語が出来るアガシがいるし、彼女たちはとても優秀だと思う。(と、言う感想はその後少し修正されるのであるが、それはまた別の話)

976ウンチョン.JPG
さて、陸橋でバスを降りて反対方向から来るバス乗り場に行ってみたが、そこの待ち客は「この停留所ではそんなバスは来ない」という。さては違う市内バスの系統があるのだと思い、しばらくウロウロしたが、写真にあるとおり、完全に田舎町の道で両側とも路上駐車し放題、停留所なんてどこにもない。仕方ないので、タクシーに聞いてみる。「検丹里遺跡は知っている」と最初言うので何分かかるのかと聞くと、「そんなことは分からない」と言う。(ぼったくるつもりか……)不安に思ったのでこのタクシーはやめて通りがかりのタクシーに聞いてみる。GPSや電話で聞いてくれたが、「分からない」という。もう一度、最初のタクシーの運ちゃんが車を洗っていた地元のタクシー待合所らしき所に行って、あの運ちゃんが居なくなるのをじっと待って他のタクシーの人に聞いてみる。
「知っているよ。5,000wくらいかかる。」とあっさり言う。
決めた!!でもそのあと、いろいろと言い出した。やっぱり行っても何もないということを言っているのだと思う。掘ってどこかに持っていったという。
「知っています、知っています。大学へもって行きました」
この何も無いところを見に行く、という感覚は、日本でも理解されないのだから当然なのだ。

978コムタンリ.JPG
10分ぐらい走って「さあ、ここだ」と示されたのは、本当に何も無い、掲示板も無い原っぱだった。私は騙されたのであろうか。そうではなかった。そうではないことは私の第六感が教えてくれていたが、後で確かめることが出来た。

1085コムタンリ地図.JPG
その後、この日の午後、福泉古墳博物館の図書室で発掘報告書を見て知ったのであるが、運転手が連れて行ってくれたのはこの写真の6番の場所だったようだ。彼は正しかったが、本当は9箇所にわたって発掘されていたのである。(今度行くときは行きだけタクシーで行って、この地図を元に遺跡探索して地元の人にバスの時間を聞いて帰るという方法がある)

985コムタンリ.JPG
検丹里遺跡は日本では非常に良く知られた遺跡で、弥生時代の早期に対応する。日本に稲作技術が渡ったころの標準的な遺跡なのである。つい最近まではプヨの松菊里遺跡とこの検丹里遺跡ぐらいしか弥生時代に対応する遺跡としては知られていなかった。この遺跡の原風景を確かめるということの意義はこの辺りにある。

原っぱにはこんな花が咲いていた。日本では見たことのない花です。
981コムタンリの花.JPG






最終更新日  2011年01月17日 08時32分40秒
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2011年01月16日
カテゴリ:韓国旅行(09~)
2010.11.5(咸安・釜山)

959映画館.JPG
その後ぶらぶらと歩きながら地下鉄の駅まで戻り、西面(ソミョン)のロッテデパートまで行って、この旅最初の映画を見ることにしました。ここの映画館は病院のように番号で呼んで注文をとるようになっています。並ばなくてもいいけど、不効率のような気がします。

961ロッテリア.JPG
今年の一月とは打って変わって同時に6本もの韓国映画が同時上映されています。一月の時には一本しかありませんでした。なにか法律が変わったのでしょうか。女優のコンヒョンジンとイケメン俳優キムヨンピルの「ソワハムケヨヘガヌンポブ」という映画にしました。しっとりとした感じの作品はこれしかなかったので。その前に一階下のロッテリアでワッフルコンビセットを頼んで時間待ちです。

962映画一.JPG
964映画に.JPG
966映画さん.JPG
967映画よん.JPG
他の上映作品は上記5作品(一作品だけは次回に説明)でした。果たして日本にくるのはこのうち何作品あるでしょうか。たぶん2作品がいいところなのではないかと思います。映画の買い付けをしている人に聞くと、「韓国映画は非常に高い」のだそうです。

960牛と一緒に旅するポブ.JPG
この映画の題名をあえて訳すると「牛と一緒に旅する掟」とでもなるのだろうが、映画を見て、ポブを掟と訳するのは良くないと思いました。辞書にはほかには仏教用語で《物心善悪のあらゆる事象》=仏法僧の法を表すのだとあった。この映画では、しきりに仏教のテーマが出てくるので、おそらく後者を意味しているのだろう。

ロードムービーである。田舎道がふんだんに出てきて、場所は良く分からないけど露天温泉まで出てきて私的には楽しめました。田舎の農家の長男が仕事に嫌気がさして家の大事な牛を売りに出す。市場では思った値が付かないので他の市場を目指す。そこで昔の
恋人や住職やいろんな人と出会い、なにやら「何か」を掴むという話である。ラブシーンもあるが、最近の韓国映画にありがちな激しいものは無い。それどころかものすごく微妙な恋愛関係を描いている(ようだ)。最終的に主人公が意外な行動を取るのであるが、仏教的にあれでOKなの?と言いたくなる。どうも恋愛映画というよりは哲学映画に入る作品である。地味な作品なのか、金曜の7時20分の上映なのに、たった6人しか見ていなかった。日本ならまだしも、韓国の映画館でこんなに少ない観客数は初めての経験です。

968外.JPG
映画が跳ねて西面の繁華街に出て食べれるところを物色しました。

969焼肉.JPG
安い食堂でサムギョプサルを頼みました。ともかく韓国に来た以上は一度は焼肉を食べたかったのです。ところが、韓国ではヤクニクの値段は一人前の値段しか書いていないが、ほとんどは2-3人前からしか頼むことが出来ない。そこで、ここの一番安い豚肉が2,000Wということに目をつけて頼んだわけです。

972焼肉.JPG
思ったとおり、「三人前からだよ」とのお達し。いいですよ。それでも6,000wです。肉を焼きだしてから写真を撮ったので、本当は写真の肉の倍の量です。軟骨が混じっている最低ランクの豚肉ですが、野菜や味噌と一緒に食べるこの焼肉がとっても美味しい。味を確かめた上で、焼酎も頼みました。

975酔っ払い.JPG
向こうの席では、良く韓国ドラマで出てくる「女性が焼酎を何本も開けてくだを巻いている」という場面に。店中に響き渡る大きな声でなにやら男性に悩みを打ち明けているようです。女性がトイレに立ったとき、男性は私のほうを振り向いて「うるさくてごめん」と言った(ようです)。私は、ぶるぶるっと首を振りました。

サンドイッチ1,500w チンジュ→ハマン3,600w タクシー3,600w 博物館500w 昼食6,000w 国花プルパン600w ハマン→釜山4,600w 宿泊35,000w 映画8,000w ロッテリア3,000w 夕食9,000w 地下鉄カードチャージ5,000w
合計80,400w
歩数27,607歩 






最終更新日  2011年01月16日 08時41分59秒
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2011年01月15日
カテゴリ:韓国旅行(09~)
2010.11.5(咸安・釜山)
933国花プルパン.JPG
咸安バスセンターの前で「昔懐かしい国花プルパン」というのを作っていた。作り方がたこ焼きと似ているが、それよりも餡の入った小さな今川焼きでしかも油菓子であるとという感じである。七個600wというので初めて買ってみた。美味しかった。

936政府と民間は.JPG
バスで釜山に戻りました。沙上駅前の同じビチモーテルに泊まることにしました。三時にチェックインして急いで四日分の下着を洗います。明日の朝までに乾かさないといけないので、早くチェックインしたときがチャンスなのです。地下鉄に乗りました。地下鉄の中の広告にこういうのがありました。医者や看護婦や患者が笑顔で写っていて、「政府と民間は助け合います」と書いています。官民一体で医療を行なおうという宣伝のようです。李明博大統領の方針なのでしょう。

938美術.JPG
海雲台方面に行き、観光地図に説明も無くぽつんと載っていた「釜山映画スタジオ」というところを目指そうという試みです。詳しい地図ではないので、駅の地図が頼りだったのですが、見当たらない。とりあえずは外に出て、うろうろしていたら、市立美術館の周りではこんなオブジェがありました。

940美術.JPG
こんなのもありました。韓国の彫刻は、肖像以外はいちようにこのような極めて抽象的なものになっています。

941記念塔.JPG
街の片隅に「ソウルオリンピック記念南北平和統一祈願詩塔」というものがありました。現在は隣は何か工事中です。広い場所なので、オリンピック会場だったのでしょう。ソウルオリンピックに対して、南北統一への願いがあったことが分かります。詩は漢文でしたが、ところどころ読めない漢字があるので写すことが出来ません。「祖国の平和と統一を江山南北城で祈る、世界万民このオリンピック大会に雲のごとく集まり、歓声を挙げる」という意味でしょうか。あまり上手い詩とは思えません。漢字で書いているだけで有難がるようなところが韓国にはあるように思えます。

944チング.JPG
迷いに迷った末にたどり着いたら、週一度(金曜日午後2時)、予約したものだけが見学できるというシステムになっていました。だから観光案内の看板に載っていないんですね。

947スタジアム.JPG
映画スタジオはこんな感じです。転んでもただでは起きない私、しっかりと「観光」をします。スタジオの壁にはおそらくこの映画会社の歴代ヒット作品がずらりと並んでいるようです。

945タイフーン.JPG
なぜか、日本の「着信アリ」と「HERO」が「チング」「グルエム」や「シークレットサンシャイン」と並んで飾られているのには、びっくりするやら、苦笑するやら。たぶんこの会社の配給作品なんでしょうが、こんな作品が韓国でヒットしたことに一抹の寂しさを覚えるのは私だけではないでしょう。

952ロケ車.JPG
ここの駐車場にあった車を次々と写したのです。もしかしたら、スターが来るかもしれないという期待もあったのですが、映画関係者の車に興味があったということもあります。いい車もありましたが、普通の車もありました。特筆することも無いので、このロケハン用の車だけ紹介します。






最終更新日  2011年01月15日 08時50分37秒
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2011年01月14日
カテゴリ:韓国旅行(09~)
2010.11.5(咸安・釜山)
911古墳と中学生.JPG
咸安博物館の隣には、八号墳に登っている中学生がいました。先生に怒られないのかな。

900武具.JPG
この博物館では武具がそのまま出たということで、馬に乗った武士の復元が目立っていました。鉄をあれだけ着せて馬も重かっただろうと思います。対象の武具でしょうか。

896石槨墓.JPG
墓は高句麗式の竪穴式木槨墓から石槨墓に移ります。ここの円墳はこのように墓を作ります。日本の前方後円墳で竪穴式の場合、ほとんどは墳丘の上の辺りに葬られているということでは、そういう意味でも朝鮮の王と日本の王は系統が違うのだということが分ります。

1259車輪型土器.JPG
ここの古墳の出土品で有名なのは、四号墳から出土した車輪型土器(5世紀)です。土器としては確かに精巧な造りです。また、ほかに例を見ない造りでもあります。でも驚くほどではありません。

912支石墓.JPG
青銅器時代の支石墓もここの博物館の庭に移築されていました。ここの地方の支石墓はわりと背が高い。

930昼食.JPG
今度は歩いてバスセンターまで帰りました。昼食はカルビタンにしました。田舎っぽい味でした。

927ハマンキリストミニ集会.JPG
この店で、キリスト教会の人がミニ集会(?)を開いていました。男の人が牧師で、まずみんなで賛美歌を歌います。そしてそのあと牧師が(おそらく)聖書を読み上げるのです。そして賛美歌を歌って終わりです。終わった頃に次々と常連が昼食に来るように時間設定に気配りをしているようでした。集会が終われば、この店の名物料理らしきものが次々と並べられます。

928集会のハルモニ.JPG
韓国はキリスト教人口が多いので、このようなことは日常的にあるのでしょうが、初めて見ました。びっくりしたのは、会員たちがみんなお年を召した女性ばっかりだったということ。日本でも、新興宗教でこのような集まりは多いと思うが、みんな会員は若い。この年齢構成に私は韓国の信仰の歴史を感じたのでした。

932末伊亭.JPG
実は時間を間違えて釜山行きのバスに乗り損ねました。次のバスまで一時間ほど時間があったので、近くの伊末亭で日記を書いたのでした。






最終更新日  2011年01月14日 12時42分54秒
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2011年01月13日
カテゴリ:韓国旅行(09~)
11月5日(金)晴れ
モーテルは快適だった。ムビモーテルという名前かと思ったら、movie motel とロゴを打ってあった。この国では外来語を輸入するとき、伸びる音は表現しない(できない)。ハングルの特徴なのであろか。部屋にチョン・ドヨンが主演した「ユアマイサンシャイン」のポスターを貼ってあったぐらいしかモーテルの由来の意味は分からなかった。

863サンドイッチ.JPG
朝7時のバスに間に合うように、6時40分に出る。コンビニでサンドイッチを買い、飲み物はモーテルに備えてあった栄養ドリンクを二本貰ってきてバスセンターに入る。モーテルには大抵、冷蔵庫の中にサービスのジュースかドリンクが入っている。二人で泊まるのが通常だから大抵二本入っている。出費が高めに推移しているので、これから朝は基本的にこれらのジュースとコンビニのパンかおにぎりで済ませて決して店には入らないようにしようと決める。

864?.JPG
咸安(ハマン)行きの時間を見ると、18:45と書いてある。あれおかしいぞ、と思ったが、窓口に言うとちゃんと7:00出発のがあった。1日に2本しかない貴重なバスである。霧の中を一時間のバスの旅。やはり内陸部は冷えるのかもしれない。日中は14度くらいにはなるのであるが。

咸安のバスセンターに着いたが、観光地図は道路が書き込まれていないので行きたい古墳群がどのくらい離れているか見当が付かない。恐る恐るタクシーに「末山里(マルサンニ)古墳群までいくらくらいかかりますか」と聞いてみる。3000wとの答だったのですぐに乗った。実際は3600wだったが、もう私は約束が違う、と怒ったりしない。交渉ごとでは「ふっかける」のがこの国の常識なのだ。

868古墳群全体図.JPG
タクシーで10分も行かないところで古墳群はあった。ここは伽耶時代の後期に栄えた安羅国一族の墓である。山の上にびっしりと円墳が作られている。

865独立等.JPG
韓国らしく四号墳の隣に3.1独立運動の記念碑があった。大きい墳墓には全部登ってみた。遺跡は展示品や写真を見てもわからない事は多い。その場に行く、出来たら登るということが大切だ(と、私は信じている)。見た順番は違うが、一号墳から見えてきたことを言う。

881一号分.JPG
一号墳の墳墓はこの古墳群がある小高い山の北の突端に位置する。山の頂上部ではないが、この突端からは当時の中心町が一望に見えていたに違いない。

883一号分景色.JPG
墓の上に上ると人が立てるのは多くて二人くらいだ。この上に登ったものがいたとしてもせいぜい神官と王ぐらいな者だったろう。この墓は人を崇めるものとしては当時としては最大のものが作られたに違いない。

884菊.JPG
道沿いに小菊が沢山咲いていた。日本のそれと似ているけれども、花がとっても小さく、茎が伸びないで藪状に咲く。日本には無い品種のように思えた。

876二号分からの風景.JPG
二号墳からみえた風景である。二号墳は山の墳丘、北の一番頂上に作られた。一号墳の隣が空いていたにも拘らず、ここに作ったということは、親子の仲が悪かったか、国を大きくしたのは自分だ、というような自負があったのかもしれない。

878三号分.JPG
三号墳は二号墳のすぐ隣にある。少し下側にあって二号墳を立てた感じになっている。夫婦か弟か、それとも父を慕う子供か。

875四号分.JPG
そして四号墳はこの古墳群最大の大きさを誇る(直径39.3m 高さ9.7m)。おそらく安羅国が一番栄えた頃だったのだろう。ここは二号墳よりも一段低い丘陵にあるのであるが、ここに上ったとき、一番高い墳墓のように思えた。反対に言うと、二号墳より高く感じさせるまで墓を大きくしたのかもしれない。

873四号分からの風景.JPG
この王墓の山では二番目にいい立地なのだろう、二号墳では主に北から西にかけての景色がよく見えたのに対して、ここからは、現在の咸安の中心地が一望に見える。

888十号分から風景.JPG
写真は十号墳から見える風景。四号墳から5-9号墳までは下側の尾根に作られる。そうせざるを得なかったのかもしれない。それだけ四号墳の力は絶対だったのだ。四号墳から五世代たってやっと墳墓は山の稜線に戻る。十、十一号墳は南側の稜線に陣取る。もしかしたらその間に領地が南のほうまで広がったのかもしれない。しかし、そのあとは墓はそれほどの規模にはならずにしかも下側に作られていく。やがて安羅国は六世紀末に新羅に滅ぼされるのである。

910博物館.JPG
というようなことを、何の根拠も無く、私の想像だけで考えて見ました。西の麓には咸安博物館がありました。昔ながらの博物館であります。中学生の団体が来ていました。






最終更新日  2011年01月13日 08時51分05秒
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2011年01月12日
カテゴリ:韓国旅行(09~)
2010.11.4(普州)
ちょっと時間はおしたけど、高麗古墳群というところも予定とおり行って見ました。バスの運転手にここで下ろしてと言ったときに彼が何かを言った気がするのですが、その後何も言わないのでそのまま乗っていると、終点についてしまいました。仕方ないので、そこからユーターンして昨日の案内所で教えてくれたところで降りました。「龍華寺石仏」と「高麗古墳群」の二つの看板がいちおうありました。そこからさらに迷うことになるのです。昨日の観光案内所のアガシの話では、「龍華寺石仏」はそこからすぐだが、高麗古墳群はだいぶ離れているということでした。

841石仏.JPG
「龍華寺石仏」はすぐに見つかりました。これも古い石仏が祀られているのです。けれども私の関心領域と違うのでサラッと見て、帰ろうとした。。

842お手洗い.JPG
けれどもふと目に止まったこの手洗い用の石のデザインは飛鳥の石遺物を思い出す。手塚治虫の写楽くんはあの遺物で複雑な薬を作ろうとしたけれども、本当はそんな深い意味は無くて単なる模様だったのかもしれない。

844かまど.JPG
寺では薪を割って自炊しているのだろうか、門の横にこんなかまどもあった。

843焼却炉.JPG
それと、このような趣のある焼却炉もありました。寺にはたいていこの二つがセットとしてあります。寺のお坊さんが竈で飯を炊き、庭を掃いてゴミは原則外に出さないで、自前で処理する生活というのが思い浮かびます。

862ノート.JPG
さて、私の関心はあくまで古墳群。小学生に聞いたり、地元の住人らしき人に聞いてみたりしても「知らない」という。古墳は形があるから知っている人は多いけど、普通の人はやはりそういうものには興味は無いのです。スーパーの若い主婦は「住所が書いていないから分からないわ」と五分くらい考えた末に言ってくれました。30分くらい歩き回って、最後に試しに聞いたくたびれたような叔父さんは「知っている」と言って書いてくれた地図が私の思っていたのとまるきり反対方向。「何か勘違いしているな……」と思い、まあいいや、と思い行ってみると、一キロぐらい歩いた先になんと看板が!!あのさえない叔父さん、思えばちゃら書きだったけど、非常に的確な地図を描いてくれていたのです。人は見かけによらないものです。

851高麗古墳群.JPG
この高麗古墳群、てっきり5-6世紀のものかと思ったら、11-13世紀のものでした。日本は古墳は7世紀で打ち切りなので、つい勘違いしていました。古墳というべきではなく、「墓所」というべき遺跡です。現代の韓国の墓と形も大きさもほとんど変わりません。山からの景色もよくなく、まるで人里から隠れるように作られています。墓を作る目的は、もう既に威信を見せるというものではなく、完全に追慕の対象として作られていたのでしょう。

858松畑.JPG
857松畑一.JPG
帰り道に気がついたのですが、韓国ではこのような畑が一般的にあります。松を栽培しているのです。この隣には少し小さい松がびっしり植えられています。少しはなれたところには、たぶん植え替えるのでしょう、大人になった「松畑」があるのです。畑になるほど、韓国では松の需要はダントツだということなのでしょう。

859ソルロンタン.JPG
夕食は、トイレに行きたくなったのでその場のお店に決めてしまいました。ソルロンタンです。食事の値がどこにも書いていなくて、あとで6,000Wもしました。味はよかったです。

861モーテル.JPG
宿は次の日の朝のことを考え、市街バスターミナルの前のモーテルにしました。40,000Wと少し高かったけど、探すのも面倒だし、ここに決めました。やっぱりそれなりの設備がありました。きれいなお風呂と大画面テレビ、しかもインターネットまで付いています。十分ビジネスクラスです。楽天ブログにアクセスして、日本語モードに出来なかったけど、ローマ字でコメントしました

朝食3,000 バス1,000×5回 昼食4,000 夕食6,000 夜食3,700 宿泊40,000
合計 61,700
歩数 21,754歩






最終更新日  2011年01月12日 12時15分03秒
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2011年01月11日
カテゴリ:韓国旅行(09~)
地図ではバスから降りてしばらく歩くことになっていたけど、実際はすぐ目の前に慶尚大学はあった。
]
808慶尚大学.JPG
六階建ての立派な図書館が大学の敷地の真ん中にある。インフォメーションのお兄さんに博物館図録は売ってないかと聞いてみる。(この時まで、私は既に釜山、ソウル、蔚山、東亜と四つの大学博物館に行ったことがあったにも拘らず、総ての博物館に考古学博物館が整備されていることを知らなかったのである。だから純粋に図録だけを手に入れるつもりでここに来たのだ。)六階の博物館事務所に行けというので、迷いながら行ってみると小さな事務所があって誰もいない。博物館の入り口らしきものには鍵が掛かっている。一階に降りていって「誰もいない」と言うと、「ランチにいったんでしょう。(今12時45分なので)20分待ってみて」と言うので、1時10分に行ってみる。やっぱり人がいない。どうしたものかと、途方に暮れたが、もう一回インフォメーションにいってみると、昼食休憩で今度はお姉さんに変わっていた。もう一回聞くと、事務所に連絡してくれて「もう一回行け」という。それで行こうとすると、そちらじゃないという。なんとエレベーターは二種類あったのだ。六階直通のエレベーターで行くと、きちんと博物館が開館していた。管理人はいるが、もちろん入場無料。
810慶尚大学博物館.JPG

大坪里遺跡やその他慶尚南道の遺跡、古墳がきちんと展示されていた。特に侠川の玉田古墳群の遺物が充実していた。日本の古墳時代の遺跡ではあるが、みごとな鉄の文化なのだ。少し行きたくなった。(結局行かなかった)

836テピョにユジョク.JPG
これは、大坪里遺跡の前景模型である。無料のわりと充実したパンフもあったのであるが、(ふつうならばそれで満足するところだが)何しろ美人のアガシとの「約束」がある。「博物館図録がほしい」と言うと、管理人は事務室へ連れて行ってくれた。

831玉田古墳群.JPG
そこでは大学の関係者(?)三人が図面を見ながらミーティング中だった。日本から来た、というと「どうぞ中へ入ってください」という。釜山でも感じたが、韓国の考古学者は日本に大きな関心があるのである。私の想像ではあるが、韓国の考古学の歴史は浅い。戦前までは日本の考古学者だけが韓国の遺跡を発掘していたのが実情だ。(そこから派生する問題もあるが)だから、韓国の考古学者は今急速に日本から学んでいる途中なのではないだろうか。

私はたどたどしく「博物館の本がほしいんです」というと、思いもかけず日本語で「それは難しいです。あれは売り物ではないのです」という答え。諦めかけると、「まあ、ここにお座りください」というので、彼らの好奇心に付き合うことにした。
メンバーは初老の教授らしき男の人と若い眼鏡の男性ともっと若い女性の三人。眼鏡の人はほとんど日本語は出来ないが、教授は普通会話ならば出来る。女性は日本語ぺらぺらのようだった。
私が、全くの趣味で遺跡を回っているけれども、勒島遺跡などに行ったということも言うと、驚いていました。

私が岡山から来たというと、教授は「岡山には偉い先生がいました。近藤義郎教授」と言い出した。
ああ、この人は日本の考古学、特に私の興味を持っている弥生から古墳時代にかけての考古学を知っている、と直感した私は「ええ、昨年お亡くなりました。けれども、しばらくは死んだことを伏せていて……」と少しは考古学を齧っていることを匂わせておいて、またと無いいい機会なので、今回の旅で気がついたことや、今回の旅の「テーマ」をぶつける事にしました

「韓国で鉄を作り出して(BC1C)、日本で初めて製鉄が始まる(6C初め)まで約500-600年かかっています。もちろん、製鉄は技術的にいろんな秘密(精練の概念、高温、触媒)があることは承知しています。それでも鉄を制するものは国を制す、製鉄はどんなことをしてでも実現しなくてはならない一番のことだった。どうして、そんなに長い年月が掛かったのか」
「技術だけが問題ではない。鉄鉱石が必要です」教授が答えます。
「日本にもあります」だからこそ、吉備で製鉄が始まったのです。
「けれども、土を掘らないといけないでしょ。韓国には地表に鉄鉱石がのぞいている場所があった。それが金海と梁山の間にある勿禁(ムルグム)というところで、露頭鉱山と呼ばれています。これがあるから金海が鉄の生産地になった。」
「それでも500年伝わらなかったのは不思議だ」などと私は口ごたえをしたのではあるが、この事実は衝撃だった。後で考えれば考えるほど、「鉄鋼石を探すのに時間がかかった」この事実は決定的だったかもしれない、と考えるようになった。大きな「啓示」だった。

ついでに私は他の質問もしてみた。
昨日、勒島に行ったのですが、どうしてあんな小さな島に遺跡があるのでしょうか」
「あそこは海上交通の要所なのです。大きい島(巨済島)には水が出ないのです。それにあそこは潮が韓国で二番目に速いところです。スピードを上げて浜に乗り上げるにはちょうどいい所だったのかもしれません」
うーむ、良く分からないけど、さすが発掘した当人しか答えられない答だと感心した。
ついでに、土器が沢山残っていて勿体無いということも言ってみた。
「我々が掘ったのは、舗装道路の部分だけで畑などはそのままにしているのです。それに、絵や文字が土器に残っていたら大変だ、というけれども、韓国では絵や文字土器は一切出土しません。」
それは大変失礼しました。「杜撰だ」と書いてしまってごめんなさい。絵・文字土器が出土しないというのはその事実だけでも日本と大きく違うところであり、大変な発見である。(その後、文字土器を博物館で見つけるのではあるが、要検討事項になった)

プレゼントとしてここでもカップヌードルを二個置いて帰ったのであるが、教授は苦笑い、女性は(どうやら日本に留学していたらしく)「大好きです」ということだった。(これで日本から持ってきたプレゼントは無くなりました)

あ、博物館図録はここでも無料でくれました。大学では、所謂販売活動は禁じられているから売ることは出来ないのであるが、アマチュアだということは伝わっているのだが、「好意」で貰ってしまいました。こんなところで趣味で来る日本人は流石に居ないからでしょう。

838焼き飯.JPG
大学前の食堂で鶏野菜鉄板焼き飯(タルヤチェポックンパ)を食べながら、ここで初めて今さっきの会話を思い出して冷や汗をかいたのでした。あの教授は、もしかして相当偉い先生だったのかもしれない。ミーティング中だったのに、一時間以上も邪魔をして、しかも発掘の文句を言ったり、本のお礼も十分しなかったような気がするし、随分とずけずけものを言って相当失礼なことをいったような気がするのである。






最終更新日  2011年01月11日 09時02分24秒
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2011年01月10日
カテゴリ:韓国旅行(09~)
受付の美人のアガシに
「大坪里の遺跡を見たいのですが……」
と聞くと、やはり「今は無い」という。場所に行ってみたいと主張するが、外の野外展示場にを指し示すばかりでどうも行く手立てはないようである。帰りのバスの時間を聞くと、まだ一時間以上あるので
「時間があるのでどうしようか……」
と、呟いていたら、しきりに野外展示場に行けという。私は日本によくある建物だけの展示だと思い、それだと既に二階の展示で概要は分かったので行きたくなかったのだが、躊躇していると、そばにいたアジェンマ(おばさん)が業を煮やしたのか「こっち、こっち」と連れて行ってくれた。

771展示一.JPG
すると、なかなかいい展示だった。建物だけでなく、中にちゃんと生活用具まで再現してくれていて、非常に分かりやすい。このように魚を干している展示は日本では見たことがない。

767住居長方形.JPG
ここの建物の中には、長方形の住居がある。それも日本にはないのであるが、なんと入り口が二つあるのもあるのである。

770蚊帳.JPG
寝床は蚊帳を吊っているのであるが、根拠は何なのか。聞いてみたいが、そこまでの会話力はない。

803カホドン遺跡.JPG
野外展示場には同時に普州市街化のなかで壊されたカホドン遺跡の墓がそのまま保存されていた。支石墓や竪穴式古墳とも違う。非常に特異な形をした墓だ。面白い。

805遺跡遠景.JPG
結局大坪里の遺跡のほとんどはこの博物館の敷地になったようだ。ただ、これだけ大きい村だから目の前にあるビニールハウスの下にはまだ遺跡が眠っている可能性は十二分にあると思う。

受付の美人のアガシに話す。
「とても素晴らしい展示でした。ところで、解説本は無いですか」
子供用の解説本があった。
「ほかに無いですか」
すると、慶尚大学博物館の図録を見せてくれた。とてもいい本だったので、買えますか?と尋ねたところ、
「これは私の本です。けれどもあなたにあげます」
びっくり。彼女は無理な注文をするへんな日本人につい言ってしまったのかもしれない。
「アンデ! アンデ!!とんでもないです!慶尚大学は何処ですか」
地図を見ると、市街地のはずれにある。
「そこに博物館はあるのですか?」
「図書館にあります」
「じゃあ其処に行って買います」
「バスはちょうど普州に向う11番バスがそのまま大学まで行きます」
それはちょうどいい。美人のアガシの言うことだから、急遽今日の予定に入れることにした。
「じゃあ、子供用のこの解説本をください」
「これはプレゼントします」
「いや、とんでもない!!」
「いえ、この青銅器博物館はまだ準備中なので入場料は取らないし、先生方にはこういう資料も渡しているのです」
……あえて先生ではないとは言わなかった。(美人の前でいいかっこをしたかったわけです^^;)
「本当ですか。ありがとうございます!」
結局この博物館では一円もお金を使わずに、本まで貰うことになってしまった。(実はこの日のラッキーはそれだけでは終わらなかったのではある)
彼女に教えてもらったとおり、11時30分のバスを、イチゴの看板のあたりでぼやっと待っていると、
「○×△ !」
なにか声が掛かった。
「そこで待つんだよ」
さきほどのアジェンマがバス乗り場はこっちだと指し示しいる。
「そこで?」
「そこ、そこ!」
そういいながら自転車で村の方向に帰っていった。昼食休憩か。
「ありがとう」追いかけるように大声でお礼を言う。
韓国のバスは乗り場から離れていてもOKだとはいえ、万が一乗れなかったら大変なことになる。バス乗り場の看板があるのに気がついていなかった。私はこういう時に韓国の人の「情」を感じる。

私は慶尚大学に向かうバスに乗った。






最終更新日  2011年01月10日 10時18分16秒
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2011年01月09日
カテゴリ:韓国旅行(09~)
11月4日(木)晴れ
687側道の花.JPG
朝、日本には見かけない植物がが街路樹にあったので写して見る。

690シラク飯.JPG
朝食は軽く済ませたかったが、つい食堂に入ってしまった。シラク(実学?)汁飯を食べる。どうやらTVでも紹介された名物朝食らしく、なっぱ汁に大豆が入っていて全然辛くない汁でした。

691しらく食堂の説明版.JPG
店に解説文があって辞書を見ながら少し訳したところ、料理の解説ではなくてほとんど自分の料理の自慢話のようでした。日本だとせめて「シラク」の由来ぐらいは書いているだろうに。でも美味しかった。

692横断歩道.JPG
普州には無信号の横断歩道が多い。これも国民性だろうか。

694バス掲示板.JPG
大坪里博物館が今日の午前の目的地です。バス停留所には地方都市には珍しく電光で「~バスは~分後」というふうに掲示される。けっこう分単位で変化している。バスから信号が出て、掲示されるのだろう。(その後中核都市のバス停留所には大抵この類の掲示板があることに気がついた。ほかでも述べるが、韓国はデジタル機器は非常に普及が速い)ただし、一方では時刻表は一切置いていない。日本のように停留所ごとに時刻表があって、できるだけそれに間に合うようにバスが走るという習慣がないのである。バスは10-30分は待つものである。そう思い至れば、あまりストレスは感じなくなる。このとき、待っていたバスは最初26分後にくるということだったが、実際来たのはそれより3分早かった。

696湖の道.JPG
バスはやがて湖らしきところを走るようになる。

807イチゴがお出迎え.JPG
バスで30分ほど走る。大坪里(テピョニ)遺跡の入り口では「大坪里イチゴの特産地」という模型が迎えてくれた。

700湖.JPG
ここは有名な景勝地らしく、おそらくダムの開発とかで発掘されたのだろう。

709シメジオン.JPG
韓国にもシメジオンっぽい花が咲いていました。

711博物館.JPG
なぜか入場料を取られないで中に入れた。

712子ども施設.JPG
この青銅器文化大坪里博物館は、このように徹底的に子供教育のために作られている博物館である。しかし、子供にも分かるように作るということはそれだけ「難しいことを噛み砕いてわかりやすく展示している」ということで、展示内容は本当に素晴らしかった。大阪の弥生文化博物館よりもわかりやすさという点で優れていると思う。

735ジオラマ全体.JPG
今まで韓国の先史時代の再現模型はことごとく原始人の格好をしていた。しかし、ここは大坪里人の生活を映像と大規模なミニチュアを作って再現しているのだが、ほとんど弥生社会の生活と変わらない様に変わっている。韓国の先史時代の認識がこの数年で劇的に変わったということを示している。

728ブタの飼育.JPG
しかし、良く見ると、豚の飼育、甑の使用、祭祀の仕方、支石墓の採用等々で日本の弥生社会にないものも見えている。

757仮面.JPG
こんな仮面もあった。祭祀の道具だろうか。

780支石墓の前に立つテピョンにとチンジュ.JPG
階下では、なんと一時間ごとに10分ほどの3Dアニメをしていた。テピョニ少年が中国の貿易船に攫われて、青銅器の破片を手に入れるが、やがて大坪里に帰って里の王様になるという筋である。(写真は主人公のテピョニ少年とチンジュ少女。外の野外展示場にいました)観客は私一人しかいないので受付の美人のアガシに無理を言って映してもらったのである。
「面白かったです」
3Dめがねを返しながら感想を言って見た。にこりとする。アガシはすらりとして、目鼻立ちの整った美人です。いい気になって少し質問をした。
「上の展示物の中に青銅器がなかったのですが……」青銅器文化博物館と言いながら無いのだ。アニメのように破片くらいは無かったのだろうか。
少し説明してくれたが、どうやら青銅器は見つからなかったらしい。しかし、出土した遺物はまごう事なき青銅器時代のものである。私もそのことに疑問の余地はない。3D映像を見て気がついたのであるが、王の系統はどうも血筋を大切にしているところはある。しかし、王になるためには人からの尊敬も必要みたいだ。






最終更新日  2011年01月09日 10時56分42秒
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