『午前10時からの映画館』★「明日に向かって撃て!」
「本当はお前も知りたかったんだろう?……次はオーストリアだ」「どこでも一緒だ……」「今度は、英語が通じるぞ、海もある……」「俺は泳げないんだ……」泳げない早撃ち名人のキッドが二度目の弱音を吐く場面である。全く覚えていなかった。彼らはボリビアの軍隊が周りを囲んでいることを全く気がついていなかった。だから最後の有名な時が止まる場面まで、まだこの事態をすり抜けることが出来ると信じていたのである。出演: ポール・ニューマン, ロバート・レッドフォード, キャサリン・ロス 監督: ジョージ・ロイ・ヒル中学生のとき、今は無き水島プラザで観た映画だ(おそらく夏の名画映画二本立て)。いくつかはまったく覚えていなかったし、いくつかはまざまざと思い出した。そのときの気分まで。13歳の私は、二人乗り自転車の有名な場面と最後の場面を見るためだけに映画館に足を運び、「かっこよかったねえ」「キャサリン・ロスはかわいかった」というようなことだけを感想として持って帰ったような気がする。あの時、私はこんなにも幼かったのだし、世の中のことを知らなかったのだということを(この30数年間いちどもこの映画を見直さなかったこともあいまって)見せ付けられた気分である。ボリビアの田舎町で軍隊の一斉射撃で蜂の巣になる直前までの「ブッチキャシィディとサンダス・キッド」(原題)は決して邦題の「明日に向かって撃て!」というようなかっこいい生き方をしていなかった。作品の80%の彼らは、ひたすら追手の影におびえて、本当に無様に、無様に逃げ回る映画だったのである。(その意味では6人のプロの追ってたちが最後まで姿をみせない演出は素晴らしい。終盤ボリビアに姿をみせたという白い麦藁帽子の保安官は果たして本当にアメリカから追ってきたかは、全く怪しいものだと思う)この作品が作られたのは1970年、ヒッピーが全盛で、若者は消費社会の中で自由を謳歌していた。中には、不良もいたのだろう。「本当の自由は違うのだ」ということをアメリカの良識が示した作品であり、よく似た作品である「俺たちに明日は無い」とは全くテイストが違う作品である。(体制批判は全く無い)本当に二人がすきで、犯罪の片棒を担ぐまで協力していたキャサリン・ロスがなぜ急に「アメリカに帰る」と言い出したのか。かたぎの仕事に戻ろうとして「他にも仕事はあるわ……」と慰める彼女に、キッドは「畑仕事は、俺は耕せない」と断り、ブッチは「牧場の仕事はしたことがある。あれはきつい仕事だ。俺には出来ない」と弱音を吐く。その言葉を聞いて呆然とする彼女のショット。生涯彼らにはかたぎの仕事が出来ない、と悟った瞬間である。彼女に去られたあと二人の姿は観かけも無様になっていた。客観的に観れば、全く無様な彼らが、こんなにも「かっこよくみえる」ということも、やはりこの映画は狙っていたとは思う。「自由」「かっこよさ」「責任」それらはその後もアメリカの映画の中で何度も何度も現れる。