4316372 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

再出発日記

PR

フリーページ

カテゴリ

お気に入りブログ

『村上春樹と私』2 New! Mドングリさん

北海道ドライブ旅行… New! 天地 はるなさん

「仙台七夕2019… New! マックス爺さん

長引く停電 New! 七詩さん

韓国旅行2019夏旅2… New! suzu1318さん

カレンダー

全32件 (32件中 1-10件目)

1 2 3 4 >

読書(ノンフィクション)

2007年10月07日
XML

この本は小林英夫氏による日中戦争における日本と中国の戦略比較、ひいては現代の日本の問題点を浮き彫りにした労作である。

1937年盧溝橋事件で、大日本帝国が中国と本格的な戦争に突入したとき、国民政府の蒋介石はあわてず騒がず、ソ連留学中の息子に「わしが必ず倭寇を制するから」と余裕の言葉を手紙で送ったという。実際、蒋介石の日本分析は見事であった。1938年「抗日戦の検討と必勝の要諦」という文章の中で、蒋介石はこのように日本と中国の長所短所を分析している。
▼日本側の長所
 小ざかしいことをしない
 研究心をたやさない
 命令を徹底的に実施する
 連絡を密にした共同作業が得意である
 忍耐強い
▼日本側の短所
 国際情勢に疎い
 持久戦で経済破綻を生じる
 なぜ中国と闘わなくてはならないかが理解できない
▼中国側の長所
 国土が広く人口が巨大である
 国際情勢に強い
 持久戦で闘う条件を持っている
▼中国側の短所
 研究不足
 攻撃精神の欠如
 共同作業の稚拙
 軍民のつながりの欠如
そしてさらに「日本軍の長所は兵士や下士官クラスにおいて発揮されやすいものであり、彼らはよく訓練されていて、優秀だが、士官以上の将校レベルになると、逆に視野の狭さや国際情勢の疎さといった短所が目立って稚拙な作戦を立案しがちであることを喝破していた。」
「一方で中国は対照的に指揮官レベルの人間は国際経験も豊かで視野も広いが、平野下士官は資質が低く、訓練が行き届いていないことを承知していた。」


思い至るところがあまりにも多すぎてこの蒋介石の分析にはあきれた。よって日本の短期集中型の殲滅戦略は中国の持久型の戦略に敗れることになる。
「敵を知り己を知らば百戦危うべからず」ですね。

さらに小林氏は日中戦争を「ハードパワーとソフトパワーの相克」という視点で捉えなおす。

「戦争におけるハードパワーとは、軍事力や産業力の事をさす。一方ソフトパワーとは、直接の武力によらない政治、経済、外交のほか、メディアによる宣伝力、国際世論の支持を集めうねるような文化的魅力など、広範な力が含まれる。」
「そしてここまで見てきた日中戦争とは、ハードパワーに物を言わせて戦線を拡大してきた日本が、その力を過信してさまざまなルール違反を犯し、その結果、さまざまな反動が起きて破綻するまでの過程でもっあった。」
「ここで重要なのは、そうした野蛮あるいは卑劣な行為を行うことは、短期の殲滅戦においてはさほど勝敗に影響を及ぼすことはないかもしれないが、長期の消耗戦になった場合は、確実に自殺行為となるということである。すぐに目に見えなくても、そうした行為が世界に喧伝されて国際社会から反感を買うことのダメージは計り知れないほどおおきい。」


この文章を読んだとき、まさに憲法九条を活かす道というのはソフトパワーの道であり、現在のアメリカあるいはそれに追随する日本という国は、つくづくハードパワーの道を行っていると思ったものである。

翻り現代、新たな日本の参謀たち(霞ヶ関の官僚や経団連)はそのような過去の失敗を学んでいるといえるだろうか。いや、彼らは、少しも学ぼうとせずに、新たなハードパワーの道を突き進もうとしている。

たとえば、自動車産業。
自動車産業は、現在日本企業は、世界の生産の約1/3(二千万台)を担うに至っている。なぜ日本車は人気があるのだろうか。燃費がよくて、環境にやさしく、よい車を安く作る基盤が整備されているからである。つまり強いハードパワーを持っているからだ。
「しかし、日本の産業基盤は強靭なのか、といえば決してそうではない。いま戦後の企業経営の問題点を挙げれば、まず中期はともかく長期的見通しを持ちにくい。よいものを作れば必ず売れるという信念にも似た思い込みから海外市場のニーズの検討が弱く、その嗜好を反映していないため、機能はともかく、デザインや好感度で実力相応の評価が得られにくい。また日本の伝統文化と産業力の結合がうまくいっておらず、ブランドがすでに確立した欧米ではともかく、これから日本製品のシェアの拡大せねばならないBRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)市場でのブランド確立に必ずしも成功していない。」「産業を支援すべき外交力でも、近年の経済外交の立ち遅れは目を覆うばかりである。2007年4月韓米FTA(自由貿易協定)を締結し、さらにEUとのFTA交渉を急速に進め、東アジアの物流、交易、投資のハブ足らんとする韓国の積極的な経済外交と比較すると、日本の経済外交の低迷を否定しようがない。」
(日本は)「速戦即決、すぐに効果が目に見えることばかりを重視する殲滅戦略的な考え方から、いまだ脱却できていないのではないだろうか。」


日本の参謀をそっくり入れ替えてほしい。小国民としては、切に願うところである。






最終更新日  2007年10月07日 20時00分41秒
コメント(12) | コメントを書く
2006年10月30日
2002年3月、地域雑誌編集者で、地域環境保全家、伝記作家で散文家の森まゆみが、韓国人2人と編集者と娘を連れて韓国を10日間で一周したときの記録である。韓国一周ということでは先だっての私の旅と重なる。じっさい彼女が旅の目的地として選んだ地の幾つかは私が行った所でもある。ソウルの安重根記念館(これは8年前行った所)、木浦の共生園、大邸の沙也可の地。しかし違うのは彼女には機動力があり、通訳という会話力があり、雑誌の取材という大義名分とコネがあり、いいたかないが文章力がある。だから読んでいて大変面白い。
海はあなたの道
「海はあなたの道」森まゆみPHP出版

圧巻は大正の皇太子への爆弾投与計画事件の被告人朴烈の伴侶、金子文子の墓を訪ねて聞慶にいき、少女時代をすごしたという芙江に行ったレポートである。日本人からも、韓国人からも忘れられつつある彼女である。
金子文子は夫とともに計画に加わったとして無期懲役を宣告された後、夫とともに死にたいといって刑務所で首をくくり自殺する。夫は実は生き残り、戦後は韓国で英雄として迎えられ、朝鮮戦争の折に北朝鮮に連行され音信不通になる。現在韓国には二度目の結婚をした婦人との間に生まれた子どもたちが住んでいる。
文子の獄中で書かれた自伝「何が私をかうさせたか」(1931)の中でこう書かれてある。「天皇は私ども平民と違った人間ではありません。目が二つ、口が一つ、歩くためには足があり、働くためには手がありながら、その足で歩かず、その手を持って働かないという社会的な違いがあるだけです。」「神の意思を行うところの天皇が地上に実在しておりながら、天皇の赤子は、飢えに泣き、貧乏に窒息し、機会に挟まれ惨めに死んでいくのはなぜでしょう。それは天皇が神でもなければ仏でもなく、結局天皇に人民を護る力が無いからです。」戦後の天皇の「人間宣言」の20年前にこう言い切った彼女の「何がこうさせたのか」森まゆみは旅人の視点でそれを考えてみる。
それは例えば、家族から徹底的に阻害された生い立ちであったり、成人してからは社会から受けた仕打ち、やむことの無い向学心であったりするだろう。

たとえば、このような旅もできうるだろう。
森まゆみの文章には無駄がない。私の好きな作家である。旅レポートの手本にもなる。







最終更新日  2006年10月30日 12時59分23秒
コメント(6) | コメントを書く
2006年10月02日
今日の朝日の「時流自論」に写真家藤原新也氏がちょっと耳に痛い事を「群れなす感情増幅の時代」と題し書いていた。

最近「王様のブランチ」で取材を受けて、氏は発見したという。「紙媒体とは異なる様々な増幅装置が機能している」インタビューのみではなく、映像やナレーション、音楽、言葉のテロップ、サブ画面での司会やタレントの反応「視聴者は音と文字によって増幅された情報を目と耳の両方から受け取りながら、サブ画面のタレントの表情を目に、自分の感情の在り方をその表情が指示する感情に同調させていく」インタビュアーのリアクションはさらにその増幅効果を高める。

情報や感情の増幅化現象はネット社会になり情報の重層化と倍速化したのが背景にあるのだろうと、藤原氏は言う。「世の中に流布される情報は人間が消化する量と速度を遥かに越えている。そして情報の飽食と氾濫の結果、大方の日本人の、外部情報と感情を融合させる大脳皮質の反応能力が非常に鈍くなっているように思える。赤子が集中力散漫なのは大脳皮質の反応能力が敏感すぎることによるわけだが、それとは逆の意味での赤子化が進んでいるということなのだろう。」

そういえば赤ちゃん、ボーとしている時間長いですね。では赤子化している日本人は情報に無関心になるかというと逆で、情報の飽食は情報を十分消化出来ていないため、情報への飢渇を生む。だからメディアはあらゆる方法を使って増幅信号を送り続ける。小泉前首相もそうやって人心をつかんだ時代の申し子だと藤原氏は言う。

「(このことによって)起こる現象は情報の炎上だろう」それはネットの中のみではなくマスメディアの中でも起こっている。「ある突出した情報にメディアスクラムが組まれて増幅報道されると、必然的に一つ一つの情報の訴求力が弱まるために、さらに情報に増幅がかけられ、なれのはてには発火、炎上する。その結果起きるのが情報の「燃え尽き」というべきものである。」「ここ数年、その突出情報の発火、炎上と燃え尽きのサイクルは倍速化しており、昨日までめらめらと炎上していた情報が、一夜にして灰と化すのを私たちは日常的に目のあたりにしている」それは9.11の影響もあるかもしれない、と藤原氏は結んでいる。

すくなくとも私にもこういう自負はあった。マスメディアや小泉劇場の増幅信号に踊らされてなるものか。確かに踊らされてはいない。でも私は情報過食の摂食障害者のように、外部情報の受信能力が低下しているのに情報に飢えて毎日ネットサーフィンを続けてはいまいか。そんな反省をした。

「発火、炎上、燃え尽き」この症状が進むとどうなるか。それはかえって世の中の動きを感じる能力の麻痺に繋がるだろう。

防ぐにはどうすればいいのか。一つには「繋がる」のがいい。同じ話題で「炎上」するのではなく、少しズレていく。政治から映画へ、映画から生活へ。或はその反対へ。一つは広がりを持つ。東西南北日本中へ。或は韓国へフランスへアメリカへ世界へ。一つは過去の文章を何度も使う。或は過去の賢人より智恵を借りる。全てはブログなら出来ることばかりだ。






最終更新日  2006年10月04日 01時48分45秒
コメント(8) | コメントを書く
2006年08月21日
テーマ:本日の1冊(3010)
みんなのなやみ
「みんなのなやみ」理論社よりみちパンセ! 重松清
小学校高学年から高校生くらいまでの悩みに、重松清が真剣に答える。ご存知のように、重松清の小説はもうそれだけで「悩み相談室」みたいなものなのだが、この本は悩みに直接答えているのだら、迫力が違う。

よりみちパンセ!シリーズは全部そうなのかもしれないけど、子供にも大人にも読んで欲しい内容が満載だ。子供に真剣に付き合うということは、世界の本質を理解するということだから当然なのかもね。

「お姉ちゃんが高校になって急に夜遅く帰るようになった。心配です。」
「大人はどうしてピアスに反対するんでしょうか。」
「私の大親友がいじめられています。」

重松さんは手を抜かない。なるほどこんな親だったり、先生だったりしたら、子供は何でも話すことが出来るだろうか。それともやはり反発して、自分で解決するようになるだろうか。重松さんは繰り返し、自分で解決するな、という。

さて、こんな悩みがありました。皆さんならどう答えますか。
「まじめに悪いことをせず、勉強しろとよく言われるけど、不安定なこの時代、ほんとうにそうしたからって幸せになれるんでしょうか?一生懸命頑張って意味はあるんですか?」(貴子さん14歳)

重松さんは言います。
とても大きな問いかけです。いまこの問いかけに対して、大人が「こうなんだ」と答を言い切ることが出来ない時代なんだ。とってもかなしくて残念なことなんだけど、でもそれが現実だから、せいいっぱい答えようとおもいます。
6pにかけて、重松さんは丁寧に答えるのだけど、そこまでは紹介出来ないので、結論部分のみ要約して書きます。
「一生懸命頑張って意味はあるんですか?」という問いはリアルだけど、この発想は止めたほうがいい。頑張った結果を凄くほしがっている、ということになってしまうんだ。このフレーズは、本当は「一生懸命頑張ることに意味はあるんですか?」にしなければならないんだ。それには、ぼくは「意味がある」と答えたい。
「負けを知る」ということがある。いざ大人になってはじめて負けちゃうと、ショックが大きいんだ。いろいろ経験することは、かならず君を人間として、丈夫な人にしてくれると思うんだ。

さらに「大人にいいたいことだし、子供に謝らなくてはいけないこと」として重松さんは言う。
こつこつやっている子供の居場所が、ちゃんとある。ぼくらは、そういう社会にしなくちゃならない。もちろん、大人だって居場所は欲しい。それはみんなで考えたいなって思うことなんだ。そのときに、貴子さんのような若い世代に「こんな社会だからもうがんばらないよ」っていわれちゃうと困る。でも、がんばろうよって、ぼくはいいます。ただし、ゆっくりでいい。ゆっくりがんばれ、あせらなくいいんだ、ということなんだ。






最終更新日  2006年08月21日 19時56分52秒
コメント(2) | コメントを書く
2006年08月18日
テーマ:本日の1冊(3010)
中学生が読むという「よりみちパンセ!」シリーズなるものを買ってみる。
日本という国
小熊英二『日本という国』理論社
この人は本来、長編の人だ。その人が中学生にも分かるように四苦八苦しながら明治から昭和にかけての日本の『問題』を提示するのは、たいへんだったに違いない。

結果みごとな問題提起が出来たと思う。

中学生の皆さんに提案があります。

夏休みが終わったら、文化祭の準備に入ると思いますが、社会研究サークル辺りがぜひともこの問題提起に取り組んだらどうだろう。この本をたたき台にして、集団討議して、わかったところ、わからなかったところを整理し、疑問を親や教師や大人にぶつけて、文化祭で発表したらどうだろう。きっといい発表が出来るはずだ。

福沢諭吉『学問のすすめ』は『人は平等だ』といったわけではないの?

学歴社会ってこんな風に出来たのか

憲法は『押し付け』なのか否か

日本はアメリカの<家来>になったのかなあ

韓国が今ごろ賠償請求するって、どうよ

自衛隊海外派遣は必要なの?


全部あと6~7年もすれば、中学生が責任もって判断しなくちゃいけないことばかり。おじさんは文化祭のテーマにふさわしいと思うけどなあ。新聞社に手紙を書けば、取材に来てくれるかもしれないよ。あっ、もちろん先生と相談してからだけどね。

もし『こんなの文化祭のテーマとしてはふさわしくない』という教師や親がいたら、コメントください。本気で相談にのります。

偶然薔薇豪城さんという方もこの本のことを昨日の日記に書いていました。その中で、巻末の『谷川俊太郎さんからの四つの質問』のこともかいています。小熊さんの答えはそこで見てもらうとして、おじさん、この四つの質問には唸りました。

『何がいちばん大切ですか?』
『誰がいちばん好きですか?』
『何がいちばんいやですか?』
『死んだらどこへ行きますか?』


このシリーズ、全ての作者にこの質問がぶつけられているらしいのですが、みんなそのときの気持を書いていて、決して将来への約束ではないというところが味噌です。でも、真剣に答えてみると、自分がこれからどんな人になって生きたいのか、見えてくるから不思議です。

研究発表の付録として、メンバーがこの質問に答えてみるというのも面白いですね。






最終更新日  2006年08月18日 08時44分10秒
コメント(8) | コメントを書く
2006年08月14日
テーマ:本日の1冊(3010)
「画家だったお父さんに絵を学び、兄弟そろって父に負けない画家を目指していた山之井龍郎、俊郎の合作「少女」を見てください。これは、24歳と21歳の若さで戦死した山之井兄弟が、出征する前に近所の少女をモデルにして二人で一緒に描いた作品です。
 おかっぱ頭の少女が、草色と黄色の混じった画面の中でいかにも元気そうに、でもちょっぴりべそをかきそうな顔で描かれています。少女の服装には、あの昭和の初めの頃の雰囲気が漂って、膝に置いた手に少女の緊張が現れています。
 (略)龍郎、俊郎さんの描いたこの絵からは、「お兄ちゃん!戦争に行かないで!戦争に行ったら死んじゃうよ!死んだら絵が書けなくなっちゃうよ!」そんな少女の声が聞こえてくるようです。」
ちくまプリマー新書 窪島誠一郎「無言館にいらっしゃい」より
「無言館」にいらっしゃい
6月に来た岡山の無言館の巡回展のポスターは、山之井兄弟の「少女」の絵だった。山之井龍郎「大正9年7月、神奈川県横浜に生まれ、幼いころから、映画の看板などを描いていた画家の父の仕事を手伝う。小学校を卒業後、昭和16年に出征し、シンガポール、サイゴンなどを転戦したのち、一時帰国するが、すぐに再び出征、20年5月フィリピンルソン島で24歳で戦死。」山之井俊郎「兄龍郎とともに画家の父の仕事を手伝う。小学校を卒業後、千葉県兵隊養成所に入り、昭和18年に出征、19年4月南方に向かう途中輸送船が攻撃を受けて21歳で戦死。」無言館に展示されている絵は、画学生の絵ばかりではなく、独学で絵をかいていた山之井兄弟のような絵もある。

兄は地獄をくぐって敗戦まであと一歩のところにいた。弟の戦死を知ることは出来たのだろうか。フィリピンルソン島ーー大岡昇平「野火」を読むと分かるが、兄は地獄の中で死ぬ。美しさとはなんだろうか。兄弟にとっては、間違いなく、二人で書いたこの絵はそうであろう。

暑さが日本中を覆っている。この気候はまるで亜熱帯地方のそれじゃあないか。うだる様な暑さ。時々スコールが予測もつかずにやってくる。この暑さの中、兵隊たちは地獄をさまよっていたのだろう。

地獄といえば、キム・ギドク監督の「コースト・ガード」(2002)をDVDで見た。「ブラザーフッド」のチャン・ドンゴン主演、といいながら、派手な戦闘シーンはない。南北軍事境界線に近い海岸に送られた若き兵士の悲劇を描く。ひとりの兵士の狂気が次第次第と全体に移って行く。非常にリアルで、しかも下手なホラー映画よりは怖い。戦争は人間を地獄に落とす。

また一度、無言館に行きたいと思う。

人間が見ることのできる美しさをみたいと思う。








最終更新日  2006年08月15日 00時36分21秒
コメント(2) | コメントを書く
2006年08月03日
つくづく朝日の論説委員はクズだ。
8月3日の社説「社会保障 これ以上削れるのか 」を読んで、いくらなんでも「一組織としての朝日新聞社にジャーナリズム精神はもはやない」としか思えなくなった。朝日が31日に偽装請負を一面トップで報道し、そのあと3日続けて一面トップで報道し続けている姿勢は評価している。それはこの新聞社の社会部の片隅に生き残るわずかな『良心』なのかもしれない。

だから少しは見直して今日は久しぶりに社説でも読んでみようかという気になったのだが、結局「一組織としての朝日新聞社」はつねに顔は政府と大企業に向いているのであって、回りまわって自分の保身のことのみ考えているのだ、としか思えなくなった。社説を読んでみる。

「年金や医療、介護などの社会保障は頼りにできるのか。政府が決めた「骨太の方針」を読んで心配になった。」
この問題意識は真っ当だろう。中学生レベルであるが。

「例えば、年金だ。政府・与党は04年の改革で負担を増やし給付を切り下げることを決め、「100年は安心」と胸を張った。しかし、出生率の低下は予想を超え、現役世代の年収の5割の年金を保証する想定が早くも危うくなっている。
 医療では、医師不足が深刻になってきた。医療費を抑える政策が続いた結果、病院の医師の勤務が厳しくなり、開業医に流れることが、一因になっている。
 介護では、療養病床の廃止が不安を呼んでいる。引き取り手がいない高齢者の最後の受け皿をなくせば、「介護難民」が出るのではないかというのだ。
 いずれも必要な改革ではあるが、年金や医療、介護を受ける側からすれば、厳しいものだ。削り方が足りない、もっと削れとなると、公的な給付やサービスはいっそう縮む。民間の保険などに頼らざるをえなくなる。それでは、だれもが安心して暮らせる社会とは言えまい。 」

「民間の保険などに頼らざるをえなくなる」ようにさせるためにこそ、『骨太の方針』の趣旨があるのであるが、そこには気がついていないフリをする。或いは本当に気がついていない。ありえることだ。

「高齢化に伴って財源が確保できないのなら、給付やサービスをカットするのではなく、まず公共事業や行政のムダを省くことでまかなうべきだ。それでもむずかしいのなら、保険料を引き上げたり、福祉目的で消費税率を引き上げたりするのもやむをえまい。」
一般常識のあるものなら、この一文は前半こそに力点があるのだろうと勘違いするだろう。タイトルは『これ以上削るのか』なのだからなおさらだ。私もそう思った。ところがこの一文に続けて社説はこういう。

「小泉首相は国民の負担を増やすことには踏み込まなかった。しかし、次の首相を担おうという人は、負担増を含めて社会保障の全体像を語るべきだ。」
私は誤植なのかと思った。しかし書き間違いでは当然ない。この論説委員は「国民よ、保険料と消費税の値上げを認めよ」と言っているのである。

なにが「小泉首相は国民の負担を増やすことには踏み込まなかった」だ。最新の『国民生活基礎調査』(厚生労働省06年6月28日)によれば、56%の世帯がいまの生活を『苦しい』と回答していて、86年調査以来最高値を記録している。一世帯あたり平均所得額はこの10年間で12%も減っている。それで税金の支出をもっと増やせ、というのか。

「次の首相を担おうという人」は『アメリカへ』もとい『美しい国へ』という書の中で、朝日の社説に呼応するかのように、こう書いている。少し長いが、この人がいかに「やわらかい言い方」で「冷酷なことを言う」のかを実感してもらいたいので大幅に引用する。

「国は、そのときの豊かさに応じた社会保障の仕組みをつくる。血のかよったあたたかい福祉をおこなうのが、行政サービスの基本であることはいうまでもないが、身の丈に遇わない大盤振る舞いはできないし、また、してはならない。なぜなら、給付の財源は、国民から徴収した税金と保険料だからである。」(P.167)

「年金というのは、ざっくりいってしまうと、集めたお金を貯めて配るというシステムだ。だから加入しているみんなが「破綻させない」という意思さえ持てば、年金は破綻しないのだ。」(P.186)

「社会保障とは、端的にいえば、人生のリスクに対してセーフティネットがはられているかどうか、ということにつきる。
 リスクの一つは病気である。もう一つは、年を取って引退した後の生活。それから介護が必要になったとき。これは、自分が介護してもらう場合もあるし、しなければいけない場合もある。
 また、障害をもつこともあるし、最初からハンディキャップをもって生まれてくる場合もあるだろう。
 セーフティネットはこういう人たちのためにしっかりと張られていることが大切だ。
 この仕組みは国家の責任においてつくらなければならない。それは国への信頼となり、全ての国民がチャレンジすることを可能にする。その財源が税金と保険料である。
 保険料を払うのも国民、給付を受けるのも国民だから、負担と給付は、決して法外な水準にはならない。たとえば国民年金の場合は、月額にして6万6000円程度の給付だから、生活費に当てようとすると、たしかにささやかな金額である。そこで成り立っている合意は、最低限、生活に困らないための額である。
 政府が保証する「最低限度の生活」はそこまでで、それにあと何をプラスするかは個人の選択に任されている。サラリーマンの場合は、その上に二階部分、つまり厚生年金が乗っている。企業によってはさらに三階部分として厚生年金基金が乗っている。また確定給付年金や確定拠出年金が乗っている場合もあるだろうし、あるいは民間の保険会社の保険や、他の金融商品で老後の備えをする人もいるだろう。」
(P.195)

税金と保険は身の丈にあわせて負担の値上げもするし、給付の抑制もするといっているのである。6,6000円は果たして「最低限、生活に困らないための」額だろうか。一度でいいから、半月だけでも最低賃金で生活してみてほしい。(私はやった)なんて空想的なことを言っているのか、身に沁みて分かるだろう。こんな生活観で「全ての国民がチャレンジすることを可能にする」社会になるというのか。

国内に「難民」があふれ出ることだろう。

難民から逃れようと、多くの国民は望むと望まざるとにかかわらず、「民間の保険会社の保険」や「他の金融商品」で「老後の備え」をするだろう。このレポートを読んで美国の指導者は「この男は一時期ナショナリストなので反米なのではないだろうか、という噂が立ったことがあるが、きちんと我々のポチになるじゃあないか」と闇の哄笑をしていることだろう。






最終更新日  2006年08月04日 00時20分45秒
コメント(9) | コメントを書く
2006年07月23日
一昨日私は44年前の文章を拾い出して、
ミサイル問題等、現代の課題に答えているような気がしたので、
少し長い紹介をした。
竹内好「自衛と平和」問題の核心とは何か(前編)
竹内好「自衛と平和」問題の核心とは何か(後編
しかし、書いた後、なんか意を書ききれていなかったような気がするので少し補則する。
お玉さんのところの「北朝鮮問題を平和的恒久的に解決する方策について
で説得力ある防衛論=平和論を展開している
Looperさんさんからコメントをいただいた。

いやー、凄く先見の明のある方がいらっしゃったんですね。私は、今の中国の変化を見て、北朝鮮もそういう方向に向かわせることに平和的解決の糸口があるんじゃないかという持論を某所で述べましたが、そういった事例がない時代から、そこまで見通せるのは凄いとしか言いようがありません。

過去に戻って未来を見据えた人の意見を聞き、
そこから現代の課題を探ろうとした私の意図を
分かりにくい文章の中から、汲んでいただいた
ありがたいコメントであった。

米中国交、日中国交が成立している現代では、到底考えられないけど、
50~60年代にかけて、米中戦争の危機は確実に存在していたのだと思う。
少なくとも現代の北朝鮮の脅威以上にはあった。
それ以前に、冷戦の時代、第三次世界大戦に近い戦争が起こる危機感は
いまよりはるかに大きく存在していた。
その中で憲法を変え、日米軍事同盟を強化して、
自衛隊を強化する方向をめざすのではなく、
「中国との国交回復を急」ぎ、「朝鮮の平和統一を援助」し、
「国内からは軍事基地をなるべく速やかに除け」ることを目指した
竹内好の願いは果たして現代、果たされたのか、有効なのか、
もう一度考える必要があるのではないか。

私のエントリーの意図はその辺りにあった。

もしベトナム戦争でアメリカが勝っていたなら、どうなっていただろうか。
アメリカと中国は決定的な対立をしていたかも知れない。
日本もとっくの昔に憲法を変えて自衛軍を持ち、対中戦争に備えていたかもしれない。

もし竹内好の言うように、国民が自主的に日中国交回復を成し遂げていたなら
東アジア経済圏はEUよりも先に非同盟中立の緩やかな経済同盟を持ち、
世界で一番豊かな経済圏を確立していたかもしれない。

もちろん歴史に「もし」なんてナンセンスだ。
わたしの「もし」に10も50も綻びはたぶんあるだろう。
けれどもそうやって歴史の可能性を探ることで
見えてくるものは何だろうか。

その時々の軍事力がどうだかとか、政治力学がどうだかとか、
細かいところにはまり込むと見えなくなるものがある。

結局日本は、自分の力で日中国交回復は出来なかった。
だから、アメリカに巻き込まれて戦争を起こす可能性は先送りされたままだ。
「危機」はいつも外からやってきて、外で解決される。
いいかげん、この構造から離れるべきだ。

「しかしわれわれ日本国民は、どうあろうとその対立に巻き込まれるいわれはないし、巻き込まれてはならない。それは「政府の行為によって再び戦争の戦禍が起こることのないように決意」した「主権者たる国民」のとるべき道ではない。」

国民の形成的要件は法律で決まっているが、これは実質とは関係ない。国民の国民たるゆえんは、主権者たる自覚にあると私は思う。したがって国民は、一回的に形成されるのではなく、反復して再形成されるべきものだと思う。

竹内好の言うことは実に単純だ。
二度と戦争を起こすまいと決意した
その国民に、さらにがんばれ、といっているのである。
昭和天皇も、結局そういう単純な思いで、靖国参拝を拒否していたのだろう。

簡単に補足しようと思ったら、繰り返しが多くて長くなってしまった。
申し訳ない。
私に文章力はないけれども、知識はないけれども、
国家と比べると情報収集力は決定的に劣るけれども、
以下のことはいえると思う。
ベトナム戦争、イラク戦争、見通しを誤ったのは、国家であり、
正しい見通しを立てていたのは民衆、戦う民衆であった。
それは20世紀以降の歴史の教訓である。







最終更新日  2006年07月23日 12時34分21秒
コメント(6) | コメントを書く
2006年07月21日
テーマ:本日の1冊(3010)
前回の続きです

当時ベトナム戦争(1960年 - 1975年)が起きていた。竹内が、米中関係が「緊迫している」といった理由はここにあった。「この局地戦争は、実はアメリカの対中国戦争の一部であり、その前哨戦なのだ。そしてこの戦争では、日本の自衛隊は、直接出兵すると否とにかかわらず、共同作戦の一翼を担っている。」
そうだった。すっかり忘れていた。もし圧倒的な物量を持つアメリカが、ベトナムのゲリラ戦略に負けていなかったとしたら、アメリカが勝っていたらどうなっていただろう。(竹内も「前哨戦」といってベトナムの勝ちは予測していなかったようだ)次は米中戦争が始まっていた可能性は十分にあったのかもしれない。

「しかしわれわれ日本国民は、どうあろうとその対立に巻き込まれるいわれはないし、巻き込まれてはならない。それは「政府の行為によって再び戦争の戦禍が起こることのないように決意」した「主権者たる国民」のとるべき道ではない。」

44年前に戻って「未来」を見ると、いろんな未来が見えてくるだろう。
当時は連年の不作による中国経済の困難さが報道されていた。中国はまるで現在の北朝鮮のように見られていたのである。(もちろん程度の差はある)しかし竹内は「UPI記者と違って中国の内部崩壊を予想しない。」このあたりは中国専門家としての竹内の見通しの確かさがある。中国はみごとに経済を立て直したのは44年後の今だからこそ言えるのだろう。中国革命史に習って、ベトナムのゲリラ作戦も正確に評価していた。「一方アメリカ内部の戦争抑止力も、そう見捨てたものではあるまい。よほどのことがなければ、無謀な軍事投機には踏み切るまい。」この見通しは甘かった。アメリカは65年に北爆を開始する。「したがって私は、米中戦争が起こるとは考えない。しかし、起こらぬという保証もないわけだ。偶発核戦争と同じく、米中戦争も、可能性としてはありうる。」
このことはまるで、北朝鮮のミサイルが、偶発的に日本の国土にしかも原発に落ちることと同じであるように思える。そして、竹内好は以上の認識を示した上で、「だから自衛隊を合憲にして、軍備増強せよ」とは言わなかった。

「われわれ日本国民は、全力をあげてこの戦争を阻止するべきである。それが最大の平和への貢献である。したがってまた、憲法を生かす道である。」「それにはどうすべきか。中国との国交回復を目標とし、その実現に向かって全力をかたむけるべきである。」「国際緊張は相互的であり、不安と恐怖の連鎖反応によって進行する。戦後の米中関係がそうであり、日中関係もまたそうである。」「不安と恐怖は、避けられぬものではあるが、除くべく努力しなければならない。それが「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」することであり、「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」のもそのためである。アメリカだけを「信頼」して中国を「無視」してはならない。安保体制を弱めることは、一時的にはアメリカの利益および使命感に不利を与えようが、究極的にはアメリカの利益にもなる。一方、中国の不安と恐怖はそれによって相当緩和される。しかも、そのためにアメリカが武力に訴えることはまずない。これに反して、安保体制を強化する方向は、緊張を激化させて、それだけ戦争の危険を濃くする。」

歴史は44年間の間、皮肉な進路をたどった。中国との国交回復は成った。しかし、それは日本国民の努力の賜物ではない。予想に反してベトナム人民は勝利する。アメリカは米中接近を図り、その直後に日中国交回復がなるのである。
「極東の局面で最大の平和の保障である日中の国交回復が、なぜできないか。理由はいろいろ考えられる。しかし、根本はなんといっても、それが力のバランスを崩すという恐怖があるからだろう。」「確かに、日本が少しでも中立または非同盟の方向に傾くことは、現状の変更になる。アメリカは喜ばないかもしれない。しかし、現在の臨戦態勢に等しい緊張を解く方法がほかにあるだろうか。」「問題は、これが飽くまで日本の国民的利益の立場で選択されたものであることを自他に納得させる配慮が肝心なことである。それさえ守れば、無用の摩擦は避けられること、一昨年のいわゆる安保反対闘争の例に微してもあきらかである。」
そうだった。国民的な運動がいかに大きな力を持つかは、安保闘争が証明していた。この運動で批准を阻止することはできなかったけど、それ以降約20数年にわたり、新ガイドラインまで、アメリカから軍備増強のあからさまな要求を阻止させてきたのである。

以下長いが結びの言葉まで一挙に紹介する。
竹内好の文章を読んで私は幾つかのことを思った。この44年間、世界の枠組みは変わった。けれども、日本の「平和と自衛」に関する問題は驚くほど変わっていない。経済問題を置いといて、アジアとどのように付き合っていくか、それが日本の問題に関しては「核心」なのだろう。以下最後のセンテンスの「中国」は「北朝鮮」に。「朝鮮」は「北東アジア同盟」に、切り替えることを私は提案したい。少し大雑把過ぎるが、そのような大雑把な眼で世界を見ることのほうが今は大切だと思う。でも竹内好と同じく、「目標」は明快で単純だ。
「これ(日中国交回復)によって自衛と平和がイコールで結ばれ、憲法9条は実質的に生かされる。
これは大事業であるから、政党に頼っているだけでは実現はおぼつかない。国民的な奮起がなくてはならない。
憲法は「主権が国民に存していることを宣言し」ているが、これは選挙の日だけ国民が主権者だという意味ではないだろう。「国政は国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来」するから、最終の政策決定権は国民にあると解するべきだろう。
国民が決意すれば、中国との国交回復は出来る。
それでは国民とは何か。
国民の形成的要件は法律で決まっているが、これは実質とは関係ない。国民の国民たるゆえんは、主権者たる自覚にあると私は思う。したがって国民は、一回的に形成されるのではなく、反復して再形成されるべきものだと思う。
そのような国民は、憲法解釈においても最終決定権を持つ。私の信じる国民の憲法9条の解釈はこうであるー中国との国交回復を急げ。朝鮮の平和統一を援助せよ。台湾の処理は中国国民の自治にゆだねよ。そして国内からは軍事基地をなるべく速やかに除け ! 」









最終更新日  2006年07月21日 22時21分17秒
コメント(2) | コメントを書く
テーマ:本日の1冊(3010)
七夕の日、私は古本屋で二冊の岩波新書に出会った。七夕が出会いをプロデュースしてくれたのだと思っている。憲法問題研究会編集の「憲法を生かすもの」(1961年刊)「憲法と私たち」(1963年刊)である。二冊で210円だった。南原繁、中野好夫、丸山真男、大内兵衛、矢内原忠雄、谷川徹三、辻清明、久野収、竹内好、都留重人、松田道雄、家永三郎……そうそうたるメンバーの壮年期の肉声がここにつまっている。少しづつ元気をもらっている。

憲法問題研究会は、1957年政府が憲法問題調査会を立ち上げたことに危機感を抱いた研究者たちが、1958年につくった研究会である。1950年、朝鮮戦争、保安隊の発足、1952年警察予備隊を経て1954年の自衛隊が設立した。その中で、憲法解釈も変わっていく。「一切の戦力の不保持、自衛戦争を含むあらゆる戦争の放棄」から「自衛権は否認していない」という解釈へ。その中で自民党に一挙に9条を変えようという改憲勢力が相当の力で台頭してくる。この岩波新書がこの時期、立て続けに出された背景にはそのようなことがあったのであろう。

「憲法と私たち」の中に竹内好(魯迅研究者)が1962年憲法記念日に講演した「自衛と平和」という文章が残っている。以下出来るだけ要点だけ紹介していくが、それでも長い文章になる。要旨は述べたくない。原文を出来るだけ紹介したい。時代の空気を吸いながら、是非「現代の問題」を考えて欲しいと願っているからだ。出来ることなら古本屋で探して、この原文全部を読んでもらいたい。本当は一挙に文章を載せたかったのであるが、字数制限に引っかかってしまった。前編後編に分かれたことを許してもらいたい。

9条に自衛隊を明記すべきだ、という意見にたいして竹内はこのように言っている。

「このような改憲論が、ナンセンスだと私は思わない。それなりに論理の筋は通っている。自衛隊の現状は、どう見ても「戦力なき軍隊」という言い逃れが自他共に通用しない段階まで来てしまった。(この時自衛隊は15万人。05年現在現役官だけで24万人。くま注)既成事実と成文憲法の間には、どんなに解釈の幅を広げても埋らないほどのズレが生じている。既成事実にあわせるために憲法のほうを改正しようという主張は、ある意味では、憲法を改正しないでズルズルベッタリに既成事実を作ってしまった改憲消極論者より誠実だとさえいえよう。」現代の改憲論者よ、かの愛国者、竹内好から褒められちゃったよ。

改憲と護憲の争いは、政治問題以上だ、政党の対立以上の問題だと竹内はいう。「日本国民の存在そのものに関わる大問題である。」といい、見せかけの対立で眼がくらんではいけない、と竹内は言う。
「問題の核心とは、何か。日本国民が自己の存立の基礎として自主的に選択した平和主義が、危殆に瀕し、ほとんど失われかけているということだ。憲法を改正するとしないとにかかわらず、げんに失われかけているということだ。この問題の大きさに比べたら、改憲の是非は二義的なものになる。」
我々は軍事力の分析の話をしているのではない。政治の話をしているのではない。「どうしたら、二度と戦争をしないですむのか」「平和」の話をしてるのである。と竹内は言っている。私はその言葉を断固支持する。

「個人と等しく国にも自衛権がある。この命題はほとんど自明であろう。しかし、自衛のためにとる手段は多様でありうる。武装するのが自衛に役立つか、これすら問題である。かりに自衛のために武装が不可欠だとして、そこではじめて武装の程度が問題になる。少なくとも論理的にはそうである。そして生活者にとっては何度でも原理に立ち返ることが大切なのだ。ところが、現状はそうなっていない。武装の可否の段階を飛び越えて、武装の程度が問題にされている。自衛隊は合憲か違憲かの議論がそうだ。わたしは、どちらも成立すると思う。そしてその論争は決着がつくまいと思う。理屈はなんとでもなるものだ。」結局竹内の予想とおりになった。いくつかの憲法裁判はされたが、政治的な判断だといって逃げられてしまった。「問題は、自衛隊が合憲か違法かにあるのではなく、そもそも自衛隊の存在が自衛に役立っているか、言い換えると、平和に役立っているか否かにある。」「成立過程もそうだが、今日でも自衛隊は、事実としてアメリカ極東軍の一部である。そしてアメリカの極東軍は、中国を主要な仮想敵国としており、その両者の関係は緊迫している。その最大の軍事基地は、日本の領土である沖縄にある。もしアメリカが中国に向って戦火を開けば、自衛隊は自動的に中国侵攻作戦の一翼を担うことになるだろう。」自衛隊法や、安保の憲法制限規定や協議規定はなんとでも言い逃れが出来る、と竹内は言う。自衛隊の防御的な性格はアメリカの「後方任務分担」としてはぴったりであるからだ。「憲法によってチェックされているのは、海外派兵ぐらいではないだろうか。それすら将来はどうなるか分からない。」有事法制が成立し、「海外派遣」が実現しているいま、竹内の警告の鋭さに驚かずにはいられない。
続く







最終更新日  2006年07月21日 22時08分32秒
コメント(2) | コメントを書く
このブログでよく読まれている記事

全32件 (32件中 1-10件目)

1 2 3 4 >

キーワードサーチ

▼キーワード検索

コメント新着

KUMA0504@ Re:北斎のたくらみ 富嶽三十六景(09/02) 令和皇太子さんへ。 貴方がどんなコメント…
KUMA0504@ Re[1]:北斎のたくらみ 富嶽三十六景(09/02) ももたろうサブライさんへ ありがとござい…
KUMA0504@ Re[1]:100分de名著 小松左京(09/01) ももたろうサブライさんへ そうかもしれな…
ももたろうサブライ@ Re:100分de名著 小松左京(09/01) コンピューター付きブルドーザーと言えば…
KUMA0504@ Re[1]:「タッチ」の続編?「MIX」(05/25) ガラケーさんへ わざわざ心配ご指摘ありが…
ガラケー@ Re:「タッチ」の続編?「MIX」(05/25) 貼ってあるMIXの画像は… きちんと、あだち…
KUMA0504@ Re[1]:「おにぎりの文化史」古代の食卓(08/23) はんらさんへ 「家で作ることはほとんどな…

バックナンバー


Copyright (c) 1997-2019 Rakuten, Inc. All Rights Reserved.