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07読書(ノンフィクション)

2007年12月22日
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今年の大仏次郎論壇賞には朴裕河(パク・ユハ)世宗大副教授の「和解のために」に決まった。

「和解のために」(平凡社 朴裕河著 佐藤久訳
今日の朝日に彼女の受賞記念論文「日韓の平和共有のために」が載っている。

この本において、彼女は敢えて火中の栗を拾い、慰安婦問題をはじめ、教科書問題、靖国問題、独島(竹島)問題について考察したという。なぜなら「日韓の間において最も難しい問題であるだけでなく、それらが別々の問題に見えて実は近代国家が生んだ問題として緊密に連携しているという認識」があったからだそうだ。

たとえは慰安婦問題では、日本をこのように批判する。
「「新しい教科書を作る会」が慰安婦問題をなお否定しているのは、それが次世代に日本人の「誇り」を傷つける問題だという認識からである。しかし、「誇り」を単に国家の偉大さにおいてのみ見出そうとする限り、その誇りは他者も共有しうる普遍的なものにはならないだろう。たとえば、責任を取ることからも私たちは誇りを見出すことが出来る。慰安婦問題では、たとえ一部の人たちが「自発的」に行なったとしてもそれは植民地構造が引き起こしたことである以上、日本がその責任を免れることはできない。」

「現代の若者にも戦争責任はある」と加藤周一は言います。戦争責任を取らない政府を選び続けている以上、私たちにも責任はあるのです。と、私も言い切ることが私の(かすかな)「ほこり」でもあるのです。一方、バク氏は韓国国民への批判的視点も鋭いものがあります。

「しかし一方、現代韓国はいわゆる「右派」的思考が「敗戦」をめぐる複合的文脈から生まれたものであることを見ようとせず、彼らと絶えず対峙してきた戦後日本のいわゆる「良心的」動きも十分に評価することはなかった。日本による植民地構造の構築を無力に許し、たとえ「自発的」でないにしても加担してきた韓国民もまた、痛みを負うことになった人々に対する責任から全く自由でありえるわけではない」

この視点‥‥‥特に「日本による植民地構造の構築を無力に許し、たとえ「自発的」でないにしても加担してきた」と言うところは新鮮だった。独裁政権の下、間接的に日本の保守政権の存続をアジアの政治力学の元、許してきたのは確かではあろう。

そんなこんなの詳しい歴史的検証をこの本でして居るようだ。大仏次郎賞受賞の「民主と愛国」(小熊英二)もまだ読書中なのだが、この本も一応積んどくことにしようと思う。

「平和共存」とは言わずに「平和共有」と言ったところに、朴氏の想いがよく出ている。






最終更新日  2007年12月22日 23時26分38秒
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2007年12月14日

「ゲバラ日記」(角川文庫)はなかなか前に進めなかった。有名な本なので、これを読めば晩年のゲバラの思想は分るのかと思っていた。しかし、書いているのは延々とボリビアのジャングルをゲリラとして進むゲバラたちの日常なのだ。巻末の高橋正による「ゲバラ小伝」によって、ヤットこの日記の位置が分ってくる。

チェ・ゲバラ。1928年、アルゼンチンの中産階級の家庭に生まれる。医師を志すが、南米諸国を旅するなかで革命の必要性を痛感。メキシコで出会ったカストロとともにキューバ革命を牽引し、成功に導く。その後、ラテン・アメリカ全体の革命のためにキューバを去り、ボリビアでの活動を続けたが、1967年10月9日、政府軍に捕らえられて殺害される。

この本は、1966年11月から67年にかけてほぼ一年間毎日つけたゲバラの日記の全文である。タダひたすらジャングルを進む。時に戦闘がある。どうやら、そのようなゲリラ活動を進める中で、ボリビア住民の支持を勝ち取り、都市部ではなく、地方から革命勢力を育てようとしたらしい。けれども、ボリビアの革命勢力との齟齬、仲間の脱落、或いは戦死、ジャングルでの過酷な活動による病気、飢え、裏切り等により、ついにボリビア軍隊によりゲバラを捕らえられたらしい。日記は政府軍の陽動作戦を疑う記述、「標高2000メートル。」と10月7日に書いて終わる。このゲリラの活動方針が正しかったのかどうかは私には判断できない。いや、間違っていたとしても、キューバでの大臣の地位をかなぐり捨て、あくまでも初心のラテンアメリカ全体の革命のために身を投げたチェのことを悪く言う人間はほとんどいないようだ。

月末に必ず行動の「月間分析」を書いている。時々父親や娘の誕生日の一言のみが書かれている。ジャングルでの活動は本当に苦しかったようだ。ゲバラ自身も喘息でくるんでいたが、隊員たちもさまざまな病気を患った。飢えでついに子馬を潰したりした。

ゲバラの死後、南米は約30年間、富むものはますます富み、貧しきものはますます貧しくなった。そしてやっと最近になって、ラテンアメリカのアメリカからの独立が現実的なものになってきた。反米政権が次々と実現し、ボリビアさえも、06年に親キューバの左派モラリス政権が誕生する。大統領が、日本の憲法を真似て戦争放棄を盛り込もうとしているということは既に述べた。

最近、ラテンアメリカの輝ける星チャベス大統領の初の黒星の報道があった。、
チャベス改憲案、小差で否決 「終身大統領」阻まれ打撃
この報道を読んで、ラテンアメリカの革命は着実に進んでいるという印象を受けた。この報道では、まるで今回の改憲案の中心は「終身大統領制」にあるかのような書き方であるが、本質は違う。と思う。改憲案の中心的課題は、国の制度を「社会主義国にする」と言うことだった。それはまだ時期早々である、と国民がきちんと意思を表明できたのである。民主主義の着実な進歩だろう。それに終身大統領制を目指したのではない。多選を認めようとしただけで、チャベスが大統領に不適だとすれば落選させればすむことなのである。

映画「モーターサイクルダイアリーズ」で若きチェ・ゲバラはハンセン病患者の前で宣言する。「はっきりしない見せかけの国籍によってアメリカ(ラテンアメリカ諸国)が分けられているのは、全くうわべだけのことだと、この旅のあとでは前よりももっとはっきりと、考えています。」ラテンアメリカの統一を夢見、その没後40年たった今年、中南米はその夢に向かって確実に進んでいる。






最終更新日  2007年12月15日 01時05分46秒
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2007年12月06日
米原万里先生は、たとえ革命が成功して、あらゆる人間が社会的にも法的にも経済的にも平等な社会が到来しようとも、なぜかやたら持てる男女「フルジョワジー」となぜかもてない男女「フラレタリアート」の不平等は残ると予言する。

「フラレタリアート」たる私ですが、「人類のサンプル」としてすでに失格の烙印を押されている(かもしれない)私ですが、いつかやってくる(かもしれない)「革命」(奇跡ともいう)のために日々頑張りたいと思います。

それはそれとして、

「米原万里の「愛の法則」」(集英社新書)をやっと読みました。

「愛は勘違いで成立する」とはどなたかが言ったかもしれませんが、
私も最近つくづくそう思います。
「あの娘はもしかしたら俺に気があるのだろうか」
という幸せな勘違いをする能力を持った男が結局愛を手に入れるわけです。

「国際化も勘違いで成立する」と私はこの本を読んでそうおもいました。
「日本人が言っている国際化は、国際的な基準に自分たちが合わせていくという意味です。アメリカ人が言うグローバリゼーションは、自分たちの基準を世界に普遍させるということです。自分たちは変わらないということです。自分たちは正当であり、正義であり、自分たちが憲法である。これを世界各国に強要していくことがグローバリゼーションなのです。」日本とアメリカの見事な勘違いは、じつに60年近い幸せな結婚生活を実現しました。

さらに言えば、「愛は盲目である」「国際化も盲目である」。
「これは日本人の伝統的な習性で、その時々の最強の国が、イコール世界になってしまう傾向があります。」「基本的に軍事力と経済力だけを見て、文化を見ません。」むかしは中国。今はアメリカ。

愛は盲目だから、ずーと「日本は英語経由のフィルターをかけて交流してきたのに、それを何とも思わなかった。これはかなり異常なことなんですけど、この異常事態を異常と思わなかったということこそが、異常だと私は思います。」イスラエル語もドイツ語も、フランス語も中国語も、ハングルも、全て英語を通じて聞いてしまう、映画「ミッドナイトイーグル」で、日本に核兵器を持ち込み、決定的な危機に陥れても、日本の首相はアメリカの悪口の「わ」も言わないのは、そもそも「アメリカの悪口」と言う「言葉」自体が無かったためでしょう。

わが同志フラレタリアートの寅さんが甥の満男の恋愛を温かく見守り、やがて結局ゴクミと結婚できたように、日本という国の成長を見守っていき、やがて真の幸せを得るようなるのを見たい私なのでした。






最終更新日  2007年12月08日 00時41分27秒
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2007年12月05日
Ribonさんより雑誌「世界」10月号に小田実の遺稿が載っている、と教えられていたのだけど、店にいったときには既に次の号が出ていて、見ることが出来なかった。今回やっと図書館に行くことが出来て、この重要な遺稿に目を通すことが出来た。

この9ページに満たない小論は、小田実が岩波新書に書き下ろそうとしていた「世直し・再考」の序章に当たる部分である。1972年の岩波新書「世直しの倫理と論理」の増補改訂を計画していたのだが、その計画の途中から全面書き下ろしに変わったのだという。この部分はまだ胃ガンが発見される前の文章、自分としては当然「世直し」の最前線に立つ意欲満々だっただろう。この序章だけでも、それはよく伝わる。

文章そのものは、図書館で読むか、やがて出版されるであろう遺稿集で読んでいただくとして、私の印象に残った部分を紹介したい。

小田実は市民を「小さな人間」だと位置づける。その「小さな人間」が「大きな人間」に対して反逆、勝利する瞬間を幾つか想起する。そのひとつが「1945年のイギリス国政選挙で、大半が「小さな人間」のイギリス市民が、それまでイギリスを強力、強引に引きずって世界大戦での勝利に導いたチャーチル首相の保守党を斥けて労働党を政権の座につけたことです。」と言う。世界史に疎い私は知らなかったのだが、ポツダム宣言の主役の一人であるチャーチルは実は1945年の段階で歴史の表舞台から身を引いていたのである。映画の「シッコ」を見た方なら、思い出すと思う。アメリカの現在とイギリスの現在を大きく分けているのは、国民皆保険の制度である。イギリスはそれを大戦後の皆飢えに苦しんでいたときに実現していて、出てきたイギリス国民はそれを非常に誇りに思っていたのだ。「小さな人間」の勝利の前例はそのように幾つかある。

しかし、小さな人間はなかなか立ち上がらない。それはこのブログを読んでいる多くの人が感じていることなのではないか、と思う。小田実はそれに対して、このような重要なことを書いていた。

彼のべ平連の経験では、「日本の運動も、アメリカの運動も、決して当初から派手に大きく盛り上がったものではありませんでしたし、中だるみの時期もあって、わずか十数人ほどしかデモ行進に来なかったこともよくありました。」「その1966年2月と言う時点では、彼らのベトナム戦争を「いくらなんでもひどすぎる」事態だとする認識は、まだアメリカ社会全体に広がっていなくて、彼らはまだまだ少数者、その意味では「前衛」でした。しかし彼らの「いくらなんでもひどすぎる」認識は、ついに社会全体に広がり、わずか3年後の1969年11月15日には全米各地で参加者の数万人、数十万人規模の集会、デモ行進が行われるほどのものになっていました。」

「ひどすぎる」から「いくらなんでもひどすぎる」に社会全体が移ったときに、小さな人間」は勝利する。と、小田実は言うのだ。

もちろん、ベトナム戦争の条件とイラク戦争の条件は違う。現代の日本の政治はさらに違う。だから方程式のように、ここまでの状態になれば、「小さな人間」は勝利する、とはいえないかもしれない。けれども、文学者として小田実は「いくらなんでもひどすぎる」という言い方で、ひとつの未来を見せてくれた。

今現在、いろんなところで、働く現場で、ネットカフェで、米軍基地建設予定地で、薬害現場で、「小さな人間」が「いくらなんでもひどすぎる」と呟いている。呟く現実は確実にある。その声をいかに大きくするか、ほんの少しでもブログが役に立てばいいと思う。






最終更新日  2007年12月06日 00時06分10秒
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2007年12月02日
合宿で一晩留守にしていた間に、岩国の一万人集会一万一千人で見事成功したようです。よかった。これで、岩国は住民の意思を三度も示したことになる。国とアメリカの言いなりになる議会または政府はこのことを本当に真摯に受け止めて欲しい。

司馬遼の「街道をゆく」を初めて読みました。


「韓のくに紀行」朝日新聞社
古本屋で買ったのです。実は「街道をゆく」シリーズはおろか、司馬遼太郎の本を文庫本以外で買ったのはこれが初めて。読んだのは、「国盗り物語」「空海の風景」以来だろうか。中学生のとき、図書館で借りて読み、その「天才史観」に辟易し、長じて加藤周一が批判し、藤沢周平が避けているのを知って、さらに読む気がしなくなった。

しかし司馬遼太郎亡き後、街道シリーズはますます隆盛を極め、NHKテレビは番組を編成し、関連本は世に広まった。その中で、韓国紀行のことは、韓国旅行記を書いている間にチョコチョコと聞こえてきた。そして今回買ってみて、ページをめくっているうちに驚いた。ここに書かれているのは、現在でも決して観光地ばかりではない。それでも、偶然にも私が行ってきたところばかりなのである。釜山の倭館、金海、慶州、友鹿村、扶余。慶州、扶余は観光地なので、比較的初期の頃に行き、金海友鹿村は去年の韓国旅行のときに行った。決してこの本を読んだからではない。けれどもこの本の影響はいろんな所に浸透していて、卑しくも韓国の歴史に興味あるものは、この本を避けて通れないのだということが今回よくわかった。良くも悪くも彼の博識ぶりは尊敬以外の何者でもない。釜山の倭館については、まだ書かれていない。今年の旅の最後のところで言及します。

さらに驚いたのは、彼が韓国に行ったのは、せいぜい80年代のことだと思っていたのだが、なんと1971年のことなのである。非常に優秀な通訳がついたということもあるのだが、司馬遼太郎の韓国の旅する視点、歴史観は私の今のそれとはほとんど変わらない。途中まで全くその頃の韓国の姿だとは思わなかった。ただ、友鹿村に行ったときにこんな文章を書いている。

「急速な資本主義的発展をとげたソウルと、なお李朝的停滞の中にある農村との間には、500年か1000年の開きがあるように思われる。ソウルでは地下鉄を作るという計画が進められているというのに、農村では一般に電灯もないのである。」

ここで初めてえっ、と思った。大邸郊外のここは田舎ではあるが、電灯は来ていた。そこで初めて奥付けを見たのである。そういう意味では、34年前に行ったならば、500年前の韓国の姿を見ることが出来たのに、と思う。そういえば、映画「夏物語」もほぼ同じ時期の韓国の田舎の物語だったが、電灯は来ていなかったけ。そのようにして思えば、この30年の田舎での近代化は目覚しいものがあったのかもしれない。

司馬遼太郎は未だに好きではないが、この本だけは韓国歴史旅行をする人は一度目を通しておいたほうがいいと思う。






最終更新日  2007年12月02日 21時53分45秒
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2007年11月13日
「週刊東洋経済」という雑誌が、現代の労働問題を執拗に追い、すぐれたルポをたくさん書きだしている。その中の中心的な記者の風間直樹氏が「雇用融解~ これが新しい「日本型雇用」なのか ~」(東洋経済新報社)という本を出した。

ここでいち早く「偽装請負」問題に鋭いメスを入れてきて、クリスタルという偽装請負の巨大帝国を自主解散までに追い込んだ(グッドウィルが業務を引き継いだ)経過もよくわかる。また、本書の白眉は「過労死は自己管理の問題」といってブログ上で物議をかもした、ザ・アール社長(労働政策審議会労働条件分科会委員)の奥谷礼子氏のインタビューである。今年一月に週刊東洋経済に掲載して批判が出ると、そのご「真意が伝わっていない」と言い訳をしていたので、この本では、インタビュー形式のままで忠実に再現したそうだ。だからできたら図書館でも借りて全文を読んだほうがいいのだが、ここではそのほんの一部だけを書き写してみる。

--いわゆる格差論議に関しては

下流社会だのなんだの、言葉遊びですよ。社会が甘やかしている。自分が努力するとか、自分がチャレンジするとか、自分が失敗するということを、そういった言葉でごまかしてしまっている。そうした風潮に対して懸念を抱いている。そう言って、甘やかす社会を作るのかということです。いじめだってそうです。社会人だっていじめはあるわけだから。そうでしょう。いじめというものがあるという前提に立って、それは小学校や中学校でトレーニングしながら社会へ出て行くわけでしょう。いじめはないなんて言うこと自体、ナンセンス。


すべてがこんな調子。真意は十分に伝わる。

派遣の問題、外国人研修生問題、フリーター・パート問題、労働法番外地に置かれる個人請負問題、まさに現代の労働問題の現実を扱った渾身のルポ。読み応えがあった。






最終更新日  2007年11月13日 18時29分16秒
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2007年11月10日
前に内橋克人「悪夢のサイクル」を紹介しました。その続きです。

アメリカより起こったといわれる市場原理主義、いわゆるネオリベラリズムの弊害について前記事は述べました。では、

なぜ私たちは、ルール変更を受け入れたのか。
ということについては内橋氏はこのように述べています。
「ひとつには、規制緩和を戦後の官僚支配を打破する特効薬と錯覚したこと。
ふたつには、学者をメンバーに入れた一見中立に見える政府の審議会、あるいは首相の私的(!)諮問委員会の口当たりのいいキャッチフレーズに惑わされたこと
みっつめには、これらの審議会の意見を大きくアナウンスした大マスコミの存在。
よっつめには、小選挙区制度の導入。小泉自民党は296の議席を占めたが、結局全有権者の32.2%の支持しかえていないというマジック。」


市場原理主義の起源はその経済思想の根拠はどのようなものか。
その思想的源流は、ミルトン・フリードマンです。ケインズ学派に変わり、フリードマンの経済思想が受け入れられていくのは、70年代のアメリカです。1979年アメリカ中央銀行は、ケイジアン的アプローチからマネタリスト的なアプローチに政策を転換します。貨幣供給量を減らし、利子率の急上昇を許し、失業率を高めてもインフレを押さえ込もうとしました。この実験は劇的な効果をもたらしました。インフレ率は、1980年末の13%から1984年の4%までに下がる。ケイジアン的な手法では、経済のコントロールはできない、それよりも貨幣の供給量によって調整すべきだというフリードマンを代表とする新自由主義者たちの主張が力をもって「規制はいらない、フリーマーケットにしろ」という声が大勢になりました。

この市場原理主義を極端な形で採用した国家が中南米でした。
中南米で起きた「ネオリベラズム・サイクル」はどのような結果になり、何を教訓とするのか。
1973年、アジェンデ政権を軍事力で転覆させたチリの独裁者ピノチェトは俗に「シカゴボーイズ」と称されるフリードマンの弟子筋の学者、経済の専門家を経済閣僚として登用。チリはその後、80年代から90年代にかけて順調な経済成長を見せ、「南米経済の優等生」「チリの奇跡」ともてはやされる。しかし新自由主義の政策を採ったのはその初期だけでした。この過程の中で、国民の大半を占める勤労者層を貧困におとしめ、一部の富裕層と外国資本が莫大な富を売ることを助けた。そして82年のラテンアメリカの経済危機で政策の変更をし、89年に中道左派政権が生まれる。この政権下での経済成長が注目されたのではあるが、これは新自由主義ではなく、むしろその反省の上に立った貧困問題や社会格差の縮小に真剣に取り組んだ結果であることは確か。
一方、アルゼンチンも70年代にクーデターによる軍事政権が成立、規制制緩和の後経済は活況を帯びるけれどもすぐに失速、その後はチリとは違い、90年代にもう一度新自由主義を取り入れます。いったんは「ラプラタの奇跡」といわれる経済成長を遂げまずか、97年のアジア通貨危機が南米を直撃、01年に深刻な金融危機、アルゼンチン国民は預金を引き出すこともできずに、失業者は町にあふれた。
ネオリベラリズム循環
つまりネオリベラリズム循環とはこの写真のような軌跡を通っていきます。
「つまり自由化によって、海外からの資金が集まりバブルが起こるのです。このバブル経済が、くせもので、企業だけでなく自治体も借金をしまくるわけです。経済が膨張していますから、借金をしても、すぐに返せると考え、財政規律が緩みます。そしてバブルがはじけます。そのとき、資本はいっせいに海外に逃避し、国、自治体、銀行、企業は一挙に不良債権を抱えます。そしてリストラを始めるのです。このとき、さまざまな規制緩和などの「改革」がまたなされます。そして国や自治体、その国の企業の価値が、安く評価されているときを狙って一気に海外資本がなだれ込む、この繰り返しが果てしもなく続くということなのです。」

日本はこの循環がちょうど一巡しようとしているところなのでしょう。「いま、資本の流入で一時的に景気が上がっていたとしてもその流出とともに必ず景気も落ちていく。バブルと同じで、規制が少ないほど、上がり方が大きくなり、上がり方が大きいほど落ち方も大きくなる。そして落ちていくときには、それが実体経済と人々の生活に大きな被害を与えていきます。日本も放置すれば、そうなるだろうと予測されるわけです。」

平和の問題とどのように関係するのか。
ネオリベラリズムは、小さな政府を標榜しながら、実は軍事に関しては大きな政府という形態をとります。マネー市場に邪魔なものは、力ずくで排除するという力が強くなるからです。だから規制緩和に協力的だった日本とは反対に、手ごわい障壁となっているのがイスラム社会なのです。イスラムの世界では、「正当な労働の対価以外は受け取ってはならない」という戒律があります。これを打ち壊さない限りマネーは動かない。これがイラク戦争の戦略でしょう。

もうひとつの日本は可能か
国家が市場を計画するのでもない、市場が人間を支配するのでもない、第三の道があるはずだ。それは人間が市場を使いこなすという道です。

どういう道なのか、ここではフィンランドの例などが出されているが、まさにこれから模索していかなければならない道だろうし、「もうひとつの日本は可能だ」(文春文庫)などの本の中に詳しく書かれてあるのだろう。

長く書いてしまった。内橋氏の言うように50年スパンで国の経済しいては国民の生活を見ていくと、未来を見るためには隣の国を見るのは有効なやり方なのかもしれない。下手なこの本の要約になったかもしれない。そうだとすれば謝るしかない。いいたいのはこの本はお勧めだということである。






最終更新日  2007年11月10日 22時39分14秒
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2007年10月31日
高村薫の「作家的時評集2000-2007」を読み終えました。

ここにあるのは、一人の作家の感情です。その年の時評の前には、朝日文庫の編集部が編んだその年の年表が載っています。それを見るだけで、日本というのはこの数年で見事に新自由主義という荒れ野に入り込んで右往左往しているのだなあと思えます。

高村氏が一貫していっているのは、インターネットなどで飛躍的に情報処理能力が上がったけれども、かえって「言葉」は失われた、ということです。小泉さんだけではなく、企業も国民も、直感だけが先行し、きちんと考えることができなくなった。公共心が無くなった。「あきれてものが言えない」「むかつく」その次の言葉が言えない。

2001年2月9日、ハワイ沖で愛媛・宇和島水産高の漁業実習船えひめ丸が米原潜に衝突され、沈没。高校生九人が行方不明。

高村氏は言います。
「どうしてこうなのだろうか。どうして私たちは怒らないのだろうかと胸に手を当ててみると、結局私たちはそれほど悲しんでいないのだ、と気づかされます。悲しくないことはないが、その悲しみが大きくないために、怒りが噴出すには至らないのだ、と。ここにはたぶん、私たち日本人の心や感情の実態が表れています。悲しいテレビドラマを見て涙を流すのに、なぜ九人もの命が奪われて、胸が張り裂けないのだろうか、なぜ怒りを噴き出すことができないのだろうか。このことはまず人間として自問しなければならないだろうと思う次第です。」(2001.4「文芸春秋」)

「国家や企業の本態は情緒ではないので、どんな事態があっても悲しむことはない。JR西日本の事故対応を見たらわかるように、国家も企業も基本的に、一つの事態に直面すると、その対処を一つ講じるだけです。悲しみ、怒り、そして考えるのは、個々の人間だけです。そして、こうした情緒や感情だけが、人を物事に真剣に対峙させるのであり、そこから初めて、物事は動きだすのではないでしょうか。」(2005.7「論座」)

自省を迫る文章です。
基本的に私は怒らないように、悲しまないように、たいてい自制的であろうとしています。わりと考えてはいるのですが……。その中からこぼれおちる言葉はあったのかもしれない。ときどきは「ちばけんな!(ふざけるな)」と言いたいと思います。

彼女の言葉は知性的であるが、同時に非常に作家的である。私は彼女の著書は全部読むことにしている。戦前の教養主義の可能性を描いた「晴子情歌」を経て、晴子の愛人である老政治家の80年代の「政治」とその息子の仏教哲学問答を描いているらしい「新リア王」(未読)を経て、いま現在は2000年代を舞台に晴子の孫の時代を描いているらしい。どうやらまたミステリ仕立てになるようだ。言葉をなくした現代の若者にどのような課題があるのか、あの緻密な文体から浮かび上がる世界を見てみたいものである。その前に「新リア王」読まなくちゃ。

読売新聞や文芸春秋や論座に高村薫がいまだに呼ばれることがある、ということに幽かな希望を感じる。






最終更新日  2007年10月31日 23時16分43秒
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2007年10月30日
今日は週一回のハングル講座の日でした。最近忙しくて二回飛ばしたら、周りの人がいつの間にか、実力を増していて、取り残された気分。今日は「チョンガー」(独身)は、やはり朝鮮語の「チョンガッ」から来ているのを知りました。あっちでも独身と言う意味らしいですが、俗語です。元はみすぼらしい大根らしい。でも美味しいキムチになるそうです。頑張るぞっ。


「悲しみに笑う韓国人」ちくま文庫 吉田博司著

(韓国の大学教授がやおらお香々、ご飯、味噌汁をみて味噌汁の椀なかにご飯をいれてかき混ぜて食べたというエピソードのあとに)日本と韓国の食べ方で困るのは、両者が両者の食べ方を、おたがいに大変下品だと感じる点である。私が正座しながら、手に茶碗を持って、卵かけご飯を食べていたとしよう。ここにある韓国人が突然訪れる。彼の目には囚人が座って、下品にも食器を手に持って、精力剤の生卵をなにやら米に混ぜて食べている、としか見えない。

私は一週間のうち五日ぐらい卵かけご飯を食べている。ああ、日本人だなあ、と思う。韓国旅行の間は、お椀を手に持って食べたくて仕方なかった。

この本を読んで、なるほどと思ったところが大変多かった。このような身近なん食事のことから、国民性のことまで、80年の韓国民主化激動の時代に留学生活を送り、韓国通の草分けの著者が、かなり深いところまで日韓両国に甘いところを見せずに分析してみせる。

年齢による上下を基準にするか、ある集団における帰属年数を基準にするか、日本では前者に気を使いながらも公的には後者を貫くが、韓国では基準はあくまでも前者にある。

テレビドラマを見ていると、気がつく。

(日本人柳宗悦が高く評価した朝鮮李朝茶碗は)日本の美であり、朝鮮ではまったく美ではなかった。したがって庶民は、戦後生活が豊かになるにつれ、陶磁器の飯茶碗を捨て、彼らにとってはより美しいもの、光る金属器へ什器を変えていったのである。李君に尋ねると、やはり韓国人は光る金属器に美を感じ、金、銀、白銅、真鍮の純でこれを珍重するという。今日の韓国庶民の日常什器がアルマイト類であるのは、まだまだ真鍮が高いゆえんである

韓国に最初に行ったときのカルチャーショックは、ひとつはハングルの洪水であり、ひとつは食べるときに皿と箸おわんすべてが金属であるということだ。独裁政権の下、強制的に環境に優しい什器に変えられたのだろうか、とずっと思っていた。勘違いでした。

韓国人は自己と他者との違いを抽出することを本質的に嫌うようである。例えば、「比較」と言う漢語は韓国では「pigyo」と発音されているが、その真意はAとBとの共通点を抽出するという意味である。差異点では決してない。試みに大学の試験問題に「AとBを比較せよ」と言う問題を出す。見事に全員の学生がAとBの共通点ばかり書いてくる。これはいったいどういうわけだろうか。さらに詳しく検討すると、AとBの共通点を探すというのも性格ではない。むしろAかBのどちらかが正しいものとし、ほかの一方がその正しいものをどれだけ含んでいるかを記述しているらしい。

かくして、日本人と韓国人はえんえんとすれ違う。

本音と建前の使い方も違う。
日本の商談では断るときには「それは難しい」という誤魔化しの言い方をするだろう。韓国は違う。

「それは下請けC社のせいで出来ない」とか「K部長の頑固のせいで出来ない」と言うだろう。面子を慮って「貴社の品質管理が悪いので出来ない」等々の本音は一応胸に仕舞ってのことである。(略)日本人は誰のせいでもないと嘘をつき、韓国人は誰かのせいだと嘘をつく。

韓国人は「理論」的な民族である。(略)是か非か、これを鮮明にしないと決して納得しない。(略)この歴史的な個性はどこから生じてくるのだろうか。そこで朝鮮史上の儒学者たちの論争と言うものをひもといてみると、ことごとくこの手の「是非」論争であることが分る。(略)そしてその勝敗の決め手は、決して理論的ではない。年齢の上下で決着をつけたり、党派の力量が勝利に結びつくのである。そのたびに負けたほうは面目を失い、はなはだしい場合は島流しになったり、王より死を賜る、こうした精神風土のなかで、朝鮮人は「理論」闘争し、空理空論に血道をあげてきたのである。よいとか悪いとか言っているのではない、とにかくそれは朝鮮人の心の中にあった。

この理論的な性情の裏に、一転して野生あふれる韓国人の風貌があることも確かである。(略)ひとたび爆発すれば、哀しみに号泣し、怒りであれば人を追い詰め、懼れであればちじみあがる。愛であれば惑溺し、楽しければ全財産を蕩尽しかねない。ある意味では、この「情」の汗馬に、儒教はかろうじて轡をかませたのである。

この論理に私はものすごく納得した。あれほど感情が豊かな民族だからこそ、儒教がいったのである。民族精神の奥深くまで浸透するほどに。

ついでにもうひとつの韓国国民の特性、「恨(はん)」はどのように説明されているか。それは「果たせなかった夢」だという。もちろんそれは古今東西普遍的な人間の性でもある。

しかし韓国の場合、「精神労働以外のあらゆる労働職種をはなはだしく見下し、その現在の分に決して案ずることが出来ない点、そして解消されるまで果てしなく継承されるという点」で大きく違うという。「砂時計」やほかのテレビドラマでも父親や母親の恨が
ずっと続いていく物語でもある。中国の歴史主義とも少し違うし、日本の現世主義ちとも大きく違う。「韓国人の魂は、いつもはるか時空のかなた、先祖の御霊に連なっている」のである。先祖のいる場所に理想を求める。理想のあり方がぢがう。


ちなみに「夜おそく友達に来られて、寝られませんでした」などという自動詞の迷惑受身形は韓国語には存在しない。「夜遅く友達が来て、寝ませんでした」と言う言い回しなら翻訳可能である。とにかく相手の迷惑を受け入れるということが知り合いになるための条件になっている。こいつの迷惑は本当に不愉快だと思う相手とは、はじめから知人になれない。

だそうだ、中国語ならどうなのだろう。

かくして日韓はすれ違う。
けれども、普通の人間関係もそうだけれども、いったん相手の性格が分れば、いい友達同士になれるものである。






最終更新日  2007年10月31日 01時14分55秒
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2007年10月25日
いま「悪夢のサイクル」(内橋克人)という本を読んでいます。

悪夢のサイクル
品川正治氏が経済を含めた憲法を生かす「必要性」を訴えたのだとしたら、内橋克人氏は現役の経済人として、憲法を活かす「もう一つの道」を選ばなかったらどのような日本になるのか、経済の視点で、しかもわかりやすく示していると思う。氏は、30年スパンで世の中を見ないといけないという。日本は格差社会になった。それはこの15年間で劇的に変化した。その詳しい内容はここでは述べない。内橋氏はそのような社会が生まれた原因を世界史的な観点でとらえなおす。

そうすると、アメリカ、南米などで起こったことを見ていくうちに氏は「新自由主義循環」あるいは「市場原理主義の循環運動」があることに気がつく。(新潟大学の佐野誠教授が「ネオリベラズム・サイクル」と名付ける)それがいま日本に向かってやってきているのである。内橋氏は95年の段階で、明確に現代の日本を見通していました。なぜならそれはすでに世界で起きていたことだったから。

変化はまずアメリカでおこる。
70年代の末からアメリカでおこった政策の変更は大きく分けて三つ。
一、それまで規制下にあった産業を自由化する。
二、累進課税をやめる。
三、貿易の自由化。
要は、「これまで公平なアンパイアのいたゲームからアンパイアをのけてしまうということだったのです。ゲームは混乱し、なんでもありの世界になりました。」ということになり、「1959年には、アメリカの上位所得者トップ4%の総収入は、下位所得者の下から35%の総収入と同じでした。ところが、規制緩和後の91年には、トップ4%の総収入は、下から51%の総収入と等しくなってまった」だそうだ。多くの人のそのルール変更には無自覚だった。「結局、そうした人々はゲームからはじき出され、得をしたのは、権力の中枢にいてルールブックが変わることをよく自覚していた一握りの人々でした。」「規制緩和によって最初に見えてくる問題は、過度のコスト競争による賃金・労働条件の悪化、コスト削減による安全性の低下、そして利益優先による公共性の喪失です。」まさにその後の日本で起きたことの先取りではないか。(派遣労働の拡大、航空やJRの安全性の喪失、耐震偽装事件、相次ぐ食品偽装)

なぜ私たちは、ルール変更を受け入れたのか。

市場原理主義の起源はその経済思想の根拠はどのようなものか。

中南米で起きた「ネオリベラズム・サイクル」はどのような結果になり、何を教訓とするのか。

平和の問題とどのように関係するのか。

もうひとつの日本は可能か。

……というようなことは、この本を読んでいただくのが一番いいのだが、また今度書きたいと思う。






最終更新日  2007年10月25日 22時58分10秒
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