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08読書(ノンフィクション)

2008年12月18日
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17日付朝日に湯浅誠氏の文章が載った。
大佛次郎論壇賞を受賞して「政治の監視、市民の責任」
これは歴史的な文章である。gooブログ検索で「湯浅誠」と叩いてみて欲しい。もう何10人ものブロガーが、立場の違いそうないろいろなブロガーが、一様にこの文章は素晴らしいと絶賛している。今まさにこの時を得て、一番本質的なことを、一番鋭く言ってくれたと思う。記録のためにもここに全文を載せたい。

今回、大変栄誉ある賞を受賞させていただいたが、率直に言って、複雑な思いがある。 『反貧困―「すべり台社会」からの脱出』 という本を書いて、貧困などないと言われきた日本の貧困の実態を告発し、それに抗する人々の奮闘を描いたわけだが、では状況が劇的に変化したかと言えば、大きくは変化していない。すでに大量の報道が出ているように、世界同時不況の影響で製造業の現場では「派遣切り」が横行している。単なる雇い止めを超えて、違法な予告手当なしの中途解雇も少なくない。もちろん被害は製造業非正規に止まらず、建設業・サービス業等にも波及し始めている。
私の所属するNPOもやい にも、相談者が訪れ始めている。キャノンのある工場で働く派遣労働者は、05年から偽装請負→派遣→請負とめまぐるしく雇用形態を変更させられながらも、3年以上まじめに働き続けてきたが、今月4日から待機を命じられた。期間満了を迎える25日には、あっけなく更新を拒絶され、仕事を失い寮も追い出されるのではないかと不安のどん底にある。


今回の不況「人災」
日本経済にとって、今回の米国発不況は「天災」のように言われることがある。しかし、アメリカン・スタンダードをグローバル・スタンダードと言い換えて、新自由主義的資本主義に無批判に追随してきた経営者団体、規制改革会議・経済財政諮問会議等の責任は大きく、その意味では「人災」である。にもかかわらず、反省の弁は聞こえてこない。結局、自己責任論とは、自己責任を棚上げする人たちが主張していたものなのだ。私たちが、そんな下劣なものに引きずられる必要はない。
 私たちの取るべき責任は他にある。それは、市民生活が健全に保たれるように政府・企業を監視し、法を守らせ、一人一人の命と暮らしを守る政治を行わせる、という責任である。「お金がないから仕方ない、不況だから仕方ない」と言って、結果的に弱者の命を削ることになる政策を採用しようとする政治家は、いくらでもいる。しかしそのとき、医者は「この患者を見殺しにしろと言うのか」と、介護ヘルパーは「この寝たきりのお年寄りを放置しろと言うのか」と、労働者は「今日まで一緒に働いてきたこの仲間を路上に放り出せと言うのか」と異議申し立てしなければならない。それが、市民としての責任だ。
 私たちの毎日は、「この人、あの人」と名指せるような家族・友人・同僚らとの身、近な関係の中にあり、その一人が苦しんでいれば心ざわつき、死ねば悲しい。それが私たち市民の日常であり、その平凡な生活を守るのが政治の役割に他ならない。難しそうな顔をして国家財政の危機を語る政治家に、私たちは一瞬もひるむことなく、「この命、この生活を守れないならは、あんたは政治家失格だから退場しなさい」と言っていい。
 そうするとすぐに「では財源はどうするのだ」と威嚇されることがある。2年前まで、私たちにとって「埋蔵金」など存在しなかった。しかしそれが「ある」ということになった。私たちに真実は伝えられておらず、したがって正確な判断もできない。それは私たちの責任ではない。「財源問題は、すべてがきちんと整理されて公開してくれるなら検討しますよ」と答えればよく、そんな威嚇にひるむ必要はない。


主権は民にある
 結局、私たちはナメられてきたのだ、と思う。自らの責任を棚上げしたところでの自己責任論や、情報公開なき財政危機論で黙らせられる、と見くびられてきた。私たちに責任があるとしたら、そこにこそ責任がある。私たちは、どんな悪政にも黙って付き従う羊の群れではない、と示さなけれはならない。政権を担う人たちには、.私たちを恐れてもらわなければいけない。
 そのとき初めて社会は健全となり、悪化し続けてきた世の中に、折り返し点がもたらされるだろう。主権は民に在る。私たちはもう一度、その原点を思い起こすべきだ。


「結局、自己責任論とは、自己責任を棚上げする人たちが主張していたものなのだ」「あんたは政治家失格だから退場しなさい、と言っていい」「結局、私たちはナメられてきたのだ、と思う」この言葉に多くの人が、目を覚まさせられ、勇気付けられている。
 
私は既に岩波新書「反貧困」については二回引用して記事にした。(「自己責任論」批判あるいは「反貧困」   「反貧困」あるいはなぜセーフティネットが必要か )または湯浅氏の講演をじかに聴いて、この人こそ現代の思想家にふさわしいと私の中で位置づけた。大佛次郎論壇賞の受賞むべなるかな。

昨夜NHKスペシャル「セーフティーネット・クライシス2 非正規労働者を守れるか」の再放送を見た。内容の紹介は薔薇豪城さんが既にしているので割愛するが、大村厚生労働副大臣が「教育への投資はすぐに成果が出ない、ということで潰されてきた」と言い訳をしたとき、湯浅誠氏がすかさず「誰が潰してきたんですか」と突っ込んだのに対して、大村氏は全く同じことをいってそれに答えなかった。これはひとり大村某の問題ではなく、まさに「自己責任を棚上げする」人たちの問題である。そして主語を持たなくても成立する日本の「土着文化」の問題でもある。(加藤周一の問題意識)






最終更新日  2008年12月19日 00時36分03秒
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2008年12月11日
韓国大統領の李明博(ィ・ミョンパク)が95年に書いた自伝が文庫新装版で出た。95年だからまだ大統領候補のだの字もない。しかし、現代建設会長の座を退き、政界に打って出たところで終わっている。


李明博自伝
大変面白かった。彼は典型的なモーレツ社員であり、そして成功者である。しかし一方で、苦学生で苦労人であり、この自伝を見る限りでは清廉潔白な人間のように思える。このこの自伝はこの10年以上のベストセラーらしい。いわゆる韓国のビジネスマンたちがどういう人間を目標にしているのかがある程度分かる。

李明博は大統領候補やソウル市長になる前から実はすでに「神話の人」になっていたらしい。1960年代後半に現代に入社して以降、20代で理事(取締役)、30代で社長、40代で会長を経て来ていたのである。このころすでに「野望の歳月」「火の鳥」と彼を主人公にしたドラマが二つも作られていたらしい。(粗筋を見ると恋愛ドラマなので見るつもりはない。)最近の「英雄時代」は李明博の上司である鄭会長とサムスングループ会長とのドラマであるが、李明博も後半には出てくるらしい。(これはいつか見てみたい)韓国では、大企業の社長とかが「英雄」とか羨望の的になる。日本とはかなり違う。日本では決してお手洗じゃなかった御手洗冨士夫がドラマの主人公になるということはない。(しかし、この人ホントドラマチックな事を言いますよね。自分の会社が派遣を首切りしておいて「あれは派遣会社が首を切るのであってうちがやったのじゃない」んだって。)

閑話休題。
たしか、私の小学校6年のときのクリスマスプレゼントは「田中角栄自伝」だった。もちろん母親は大真面目である。そういう時代だった。そこでも苦学をしていたというエピソードが語られる。しかし、李明博は正真正銘の苦学であった。毎日働きながら、生活費を稼ぎながら、夜間高校に通い、(学年トップの間だけ学費免除があるので通学を許され、その間ずっとトップだった)、同じように綱渡りをしながら大学に入学をする。そして大学で韓日国交正常化反対の学生運動にのめりこみ、政府から指名手配されて監獄に入れられる。全く田中角栄よりもよっぽどドラマチックではある。

監獄では彼は友人を決して売らず、黙秘を貫いたと書いている。
しかし、学生たちは決して日韓友好条約を資本独裁による生活防衛のための闘争として戦ったわけではない。というのは(李明博はそう書いていないが)すぐに分かることではある。「軍事政権が韓日国交正常化を現実的な必要で捕らえたのに対し、学生と大多数の国民はこの問題を民族史の悠久の流れの上で捉えた」と書いているように、あくまで民族問題だったのである。

しかしここまで学生運動をしている政界人は、日本政府にはいない。(良くも)悪くも、日本の政界人はお坊ちゃまばかりだ。
あとはビジネスマンたちの教訓的な話が延々と語られる。それが国家的プロジェクト共に、李明博の出世驀進談と共に、語られるのだから、韓国の人たちは大変面白かっただろうと思う。しかし、

「ところで、一生懸命仕事をしなければならない理由はなんだろうか。私にとってその理由は、生まれたこの地、韓国という国にあると思っている。
 この地に生まれたということは、一生懸命働かなければならない運命を背負って生まれたという意味だ。お金持ちの両親から生まれた子供と、貧しい両親から生まれた子供の違いと同じである。先進国で生まれた人は、一生懸命働かなくても、寝食に困るということはなく、病気になる治療してもらえる。しかし私たちが生まれ、暮らしているこの地は先進国ではない。韓国は山河が美しい錦秋山とはいうけれど、資源もなく、国土も広くない。その上南北に分断されている。寝る間を惜しんで働かなくてはならない理由がここにある。」


日本も勤勉の国ではあるが、韓国は輪をかけて(良くも)悪くも、勤勉な国である。そのひとつの理由がここにあるのだろうと思う。何しろいまや大統領の意見ですしね。この意見を書いたとき、すでに彼は国会議員ではあった。だとすれば「お金持ちの両親から生まれた子供と、貧しい両親から生まれた子供の違いと同じである。」といってはいけない、と日本人の私は感じてしまう。

一日18時間365日働いたことをさも当然のように強調する大統領の元で私は暮らしたくはない。

ところで、決定です。来年1月2日から6日、釜山からソウルにかけて韓国ぶらぶら旅をしてきます。南羅道の青銅器鉄器時代の遺跡を巡りたいのと、ソウルの隠れたスポットを回りたいと思っています。ハンギョレの社屋にはぜひいきたい。どなたか、取って置きのスポットを教えてくれませんか。






最終更新日  2008年12月11日 20時15分50秒
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2008年12月09日
昨日か書き損ねた「12月8日」のことを書こうと思う。もちろん1941年12月8日のことである。
このまえ古本屋で珍しい本をゲットした。松田完一著「岡山の映画」(岡山文庫)。ほとんどの人は知らないが、1921年生まれのいわゆる生粋の映画ファンで、昭和の初期から裕福だった家の助けを借りて、幼少から映画を見てみてみまくった人で、映画グッズの蒐集家である。

その彼がこの日のことをこのように書いていた。
「その朝のことを、今も私ははっきりと覚えている。12月8日は、文化ニュース劇場で、アメリカ映画「スミス氏、羅府(ワシントン)に行く」が上映される筈だった。監督フランク・キャプラ、主演はジーン・アーサーとジェームス・スチュワートで(わが家の楽園)の名コンビ、東京大阪でも大評判で、岡山上映を待ち望んでいた。当時文化劇場では外国映画の一本立てを時に上映していた。その朝の号外で、米国に宣戦布告を知った国民の驚き、とうとうやったかと、一瞬何かもやもやしたものが吹っ切れた感じは誰しもであったが、わたしはものも言わずに家を飛び出した。近くの文化劇場に行く気になったのは、戦争は戦争、映画は映画といった気持もあったのは事実であった。劇場の入り口の広いガラス戸が粉々に割られ、横のウィンドーの窓ガラスも壊れ、スチールが破られて風に舞っていた。鬼畜アメリカの映画を上映する館に対するイヤガラセではなく、その向こうにある目に見えない敵国に対する憎しみの果てであろう。フィルムなどどうなっているのか、気がかりは館主ばかりでなく、ファンの一人としても気になるのであるが、中に入る勇気はなかった。アメリカはついに敵国になってしまったと思うと、うすら陽のなかを胸が高ぶってくるのであった。」

ごく普通の青年の感想は以上の通りであるが、しかし、この田舎の岡山でも「戦争の熱狂」はいち田舎の映画館のアメリカ映画のスチールさえ許せなくて窓ガラスまで割るものなのか、私自身は少しショックだった。

松田青年の映画の知識は凄いものがある。しかし宣戦布告の報を聞き、「何か吹っ切れたような気が」するのである。映画館が壊されたのは悲しいけれども、仕方ないものだというように考えもしていたのである。

昨日は67年前に戻ったかのようなインディアンサマーだった。天声人語(12.7)には加藤周一氏がこの日をどのように迎えたかを書いている。
〈周囲の世界が、にわかに、見たこともない風景に変わるのを感じた〉と心境をつづっている▼それは、住み慣れた世界と自分とをつなぐ糸が突然切れたような思いだった、という。高揚と無縁だったのは戦争の行く末が想像できたからでもあろう。帰って母親に先行きを聞かれ、「勝ち目はないですね」と吐き捨てるように答えたそうだ。

「高揚と無縁だったのは戦争の行く末が想像できたからでもあろう」何故それが可能だったのだろうか。

知識の問題ではない。教養の問題である。「教養の再生のために」(影書房)で加藤は以下のように語っている。
車を動かして遠くに行くにはテクノロジーと技術が必要ではあるが、その目的を決めるためには『教養』が必要なのです。教養の中からは『自由』と『想像力』を引き出すことが出来る。教養の再生が必要です。しかも新しい形で。

この「教養」はある時代までは加藤は「文学」だとも言っている。科学では価値観を変えることはできない。それが出来るのは、一部の宗教、あるいは文学だけだ、と。

松田青年は1945年6月29日、岡山空襲にであい、彼の家にあった多くのコレクションは灰塵に帰す。そして、はからずも2年前の12月7日、松田さんは火事でコレクションとともに焼死したのであった。







最終更新日  2008年12月09日 23時17分37秒
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2008年12月02日
楽天ブックスから、本が届きました。

カムイ伝講義
田中優子著 小学館
もう29年前の話ですが、大学教養学部の日本史の講義でまだ若い講師(名前忘れました)が言いました。
「本多勝一というジャーナリストがいる。彼は「事実とは何か」という文章の中でおよそこのようなことを言っている。客観的な事実というものはない。主観的な事実というものはある。だから、事実を選んで記事を書くとしたならば、どのような立場に立って記事を書くということが、まず一番に重要なことである。それならば、私は「殺される側から」一番弱い者の立場から記事を書こうと思う。その立場から記事を書くことが、一番世界のすべてを書くことができる。とね。これは非常に重要なことです。歴史とは何か、と問うた時にそっくり同じことが言えます。支配する側から歴史をみると、たくさんのことを見落としてしまいます。支配される側から、歴史を見ることが大切です。だから、支配をした武士の立場から見た書物だけで歴史を書くと、なぜ封建時代が生まれ、それが近代に移行したか、何も説明することができません。農民の生産力の向上、それを支える社会のありようを記述しないと江戸時代はわかりません。しかし、そのような論理を突き詰めると、農民よりもさらに下の階級から、世の中を見ることが、さらによくその社会が分かるということでもあります。それをしたのが、白戸三平の「カムイ伝」です。ここには、一番差別された非人の目から江戸時代を見ている。白戸三平の方法は歴史学としては、非常に有効な方法だと思います。」

この説明は私に衝撃を与えた。その当時、大学新聞を作っていた私は、ちょうど本多勝一の「事実とは何か」をテキストにジャーナリズム論を勉強していたのであるが、実はこの方法はジャーナリズム論だけではなく、「世界の見方」の根本の思想ではないか、と思ったからである。

たぶんその時から、「カムイ伝」を何度も何度も読み返したと思う。

田中優子のこの本は、別に「カムイ伝」論ではない。しかし、まさに「もっとも支配された側から見た江戸歴史学」を叙述すればこのようになるのではないか、という感じがする。

田中氏は江戸時代の生活の中に入っていけばいくほどに、豊富なテキストや図版では欠けているものが見えてきたという。「びょうぶ絵、浮世絵、黄表紙、都市図などは確かに多いのだが、これらは都市の人々を描くことによって、あるいは「素敵な田園生活」のように農村の人々を描くことによって、消費の対象になったものなのである。」「もっと問題なのは、農民をとらえる視点である。江戸時代の都市で消費されるメディアにおいては農民は武士とともに野暮の代表で、軽蔑はしないにしてもかわいらしくおかしく書かれる。逆に近代の歴史家の視点では、農民は惨めで哀れに書かれる。」「しかし私が農書や研究書や民俗学で知りえた農民はそんなものではない。「百姓」と呼ばれることに誇りを持ち、その名の通り、実に多様で、一人の人間にいくつもの技量があり、自治的な村落経営を行い、権力と渡り合って自らにふさわしい生活を獲得しようとする、そういう知恵者で会った」「その姿を伝えられるのは「カムイ伝」の花巻村ではないだろうか」

じつはまだ、パラパラとしか読んでいない。読めば読むほど面白くて、一気に読むのがもったいない気がするからである。けれども、お勧め度は高い。早々に紹介するゆえんである。






最終更新日  2008年12月02日 21時37分28秒
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2008年11月27日
先の「図書」での巻末編集者座談会のなかで、編集者はいろんなところか新書のネタを探してきていると書いていた。著者に惹かれて依頼する、あるいは新聞・ラジオ・雑誌・テレビ・インターネットから、講演会やシンポジウムから、社内外のネットワークから、‥‥‥。だからすべては時事問題ではない。驚いたのであるが、これまで決まった企画でまだ本になっていない企画が400ぐらいあるのだそうだ。20-30年越しに作られる本も少なくない。すでに亡くなった藤田省三氏、水上勉氏の企画もあったそうだ。まえに紹介した小田実の短文「世直し再考」も元を言えば、「世直しの倫理と論理」の全面改稿だった。

一方では、時期を捉えての新書も多くある。しかし残念ながら、あまりにも速い時の流れに追いつくのには、新書は作るのに時間がかかる。そこで岩波にはブックレットと言う体裁がある。

ここでやっと本論。


世界金融危機岩波ブックレットNo.70 金子勝 アンドリュー・デヴィット
2008年10月7日発行、11月4日ですでに7刷である。

(「BOOK」データベースより)
サブプライムローンの破綻から、原油高や食料難が拍車をかけて進む世界的規模の金融危機―。いま、何が起きているのか。そして、どうすれば食い止められるのか。深刻な世界同時不況と言われる現在の状況を、詳細に解説する。
だ、そうだ。
わからないところも多かったが、とりあえず手ごろな金融危機解説本である。あとがきの「脱出口を見失った日本」が実は一番わかりやすかった。小泉構造改革が、如何に無責任に今回の事態を招き、そして無責任にも、誰も責任を取らないか、を告発している。「つまり小泉政権は「構造改革」と言うブレーキをふみながら、インフレターゲットに基づく金融緩和制作と言うアクセルを踏むという異常な政策を続けてきたのである。」この構造改革が如何に、今回の危機を克服する体力をそいできたか、小気味いい文章でずばりと切っている。

ではどうすればいいのか。著者のこの提言は耳をかたむけるべきだろう。

 先ず、何より、雇用や年金・医療などの社会保障を立て直すことを優先すべきだろう。税制についても、所得の再配分を強化することを優先して組み立てなおす必要がある。そうしなければ内需がますます減少してしまうからだ。もちろんばら撒き公共事業ではいけない。知識経済の元手のインフラ投資は、道路ではなく教育である。
 次に補正予算を組むのはいいが、小泉政権期に膨らんだ財政赤字がある以上、大規模なものは無理だろう。制約のある中での景気刺激策は、将来につながる有効なものでなければならない。そう考えると、石油や食料高の中で、それに対応しつつ将来につながる産業政策が必要である。欧州諸国に大幅な遅れを取っているが、大胆な自然再生エネルギーへの転換や食料自給率を高める農業支援を急いで強化しなければならない。
 さらに、将来起こりうる大きなリスクであるドル暴落にそなえ、東アジアレベルで、通貨や貿易の連携を強めるべきである。かつてと違って、ユーロという対抗通貨が生まれ、地域通貨ブロックの動きも強まっており、ドル体制は危うくなっている。


内需優先の経済政策、産業育成に重きを置いた補正予算、アジアとの連携を求める外交、何か間違ったことを言っていますか?どうして政府はその一つとさえ手をつけようとしていないのですか?






最終更新日  2008年11月27日 22時20分14秒
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2008年11月24日
07年夏に「私のすすめる岩波文庫」と言う「図書」の臨時増刊号について書いた。岩波文庫80周年。この本によって私は「アリランの歌」を読むことが出来たのである。

今回宮崎駿の表紙の「図書」が平台で置かれていた。(もちろん無料である)「私のすすめる岩波新書」と言う臨時増刊号である。岩波新書70周年だそうだ。

巻末特集に初代編集長だった吉野源三郎の「岩波新書創刊の頃」と言う短文がある。

創刊は1938年であるが、計画が始まったのは盧溝橋事件のすぐあと1937年の秋ころからだったと言う。
「とにかく私たち、日本人はこの現実を直視しなければならない。そのためには何よりも先ず、日ごとにつのる偏狭な国粋主義の思想に抵抗しなければならない」と考えていましたが、そのとき目にとまったのがほかでもない、ペリカン・ブックスでした。
簡便な装丁、時期を得た一流著者の書き下ろし、創刊の岩波新書は大きな成功を収める。創刊の辞は社長の岩波茂雄が書いている。「吾人は非常時における挙国一致国民総動員の現状にすくなからぬ不安を抱くものである。」驚いたのであるが、岩波は赤版の巻末のすべてに付されるところにここまで書いていた。

まあ、無料なので、みなさん手にとって持ち帰ってみていただきたい。私もまたぞろ、読みたい本が増えてしまって困っている。

最近姿を見せないで心配している加藤周一がコメントみたいな薦める新書を紹介している。1.「万葉秀歌」2.「物理学とはなんだろうか」3.「昭和史新版」加藤ならば1は当然として、2については「敗戦後日本の散文の最も美しいものの一つ。」と書いている。3については意外にも「それによって小生が軍国主義を脱却した本です」とある。新版ではなく、旧版によって、ではあろうが、それにしてもそんなすごい新書だったのか、昔読んだような覚えはあるが、もう一度読んでみよう。

218名からの回答のうち、一番多かったのは「日本の思想」(丸山真男)だったそうである。むべなるかな。意外だったのは、「羊の歌」(加藤周一)がベストテンぐらいに入っていると言うことだ。いろんなタイプの人が加藤周一という人間を愛している。他に多かったのは、意外にも「バナナと日本人」(鶴見良行)9人である。鎌田慧が「いまや世界認識の古典的な教科書であり、ルポルタージュの方法の入門書である」と書いている。之も未読である。今回増刷されたようなので読んでみたいと思う。「万葉秀歌」は7人。当然だろう。教科書裁判で関心が高かったのか、大江健三郎「ヒロシマ・ノート」「沖縄ノート」ともに人気が高かった。「沖縄ノート」はまだ読んだことがない。読みたい。「歴史とは何か」(E.H.カー)も6人の人が挙げていた。これは大学のときの演習で読んだ。これはぜひとも再読したい。「自動車の社会的費用」(宇沢弘文)という本を5人もの人が挙げている。どうやら経済学の名著らしい。

雨宮処凛は一冊だけ挙げていた。川田龍平も「豊かさとは何か」「法とは何か」の次に挙げていた。金平茂紀というTBS報道局の人も挙げていた。この本のなかに今年発行の岩波新書があがるのがそもそも異例なのではある。それはこの本だ。
「ルポ貧困大国アメリカ」(堤未果)
巻末に新書編集者の座談会があって、このように述べられている。
A「今年の一月に刊行した「ルポ貧困大国アメリカ」が大評判になっていますね。夏には20万部を超え、今もよく読まれています」
B「時代を先んじたところがよかったのではないでしょうか。アメリカ社会があのような深刻な問題を抱えていると、みんなうすうす感じ始めていたところに刊行されたわけです。日本でも「格差社会」と言われていたのが、「それどころじゃない。いまや問題は貧困なのだ」と言われ始めたときでしたから、アメリカの話は決して他人事ではないと感じられたのだと思います。書評がたくさんでましたが、それ以前から売れ行きがよかった。ネットでさかんに取り上げられたことが効いているようです。」

この座談会で、編集者たちはアマゾンの書評やブログなどを参考にしていることを告白している。それはブログの書き手の私たちにとっても非常に励まされることではある。出来ることならば、出来るだけ多くのブログに目を通して欲しいと思う。そして発売当初だけでなく、一年くらい経ったあとの感想にも目を通して欲しい。読書は決して流行ではない。真面目に読んだ人の感想から、次の新書の企画のヒントを汲み取って欲しいと思う。






最終更新日  2008年11月25日 00時13分40秒
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2008年11月20日
ちょっと仕事が忙しくて、なかなか記事がかけません。
書きたいことや、書評や、映画評は山ほどあるのですが、いかんせん遅筆堂なので一回の記事を書くのに2-3時間ぐらい確保しないとダメなのです。(実際の書く時間ではありません)勝間和代ならば、喋るようにパソコン入力できるようなのですが、そして本で得た知識はいつもパソコンを持ち歩いていて、タグをつけてすぐにブログにインプットしているらしいのですが、なかなか真似はできないようです。

さて、取り急ぎ最近発見した本「読書進化論」小学館新書 勝間和代著の紹介です。

読書進化論
「はじめに」の最初の10行でこの本の魅力は書きつくしています。そのうちの後半5行を書き写します。

この本を読んでもらえると、何故いま、本野立ち居地が難しくなっているか、ウェブとどのように棲み分け、関わっていけばいいのか、どうやって本を選び、読みこなし、アウトプットにつなげるか、さらにブロガーや著者になって自分のメッセージを発信するにはどうすればいいのか、本をより売るにはどうすればいいのか、さまざまなヒントがちりばめられているはずです。

このようにいたるところにまとめの文章が入り、全体的にも難しい言葉は使わず、なるほどと言う発想が多いのは偶然ではなく、まさにそれを意図して意識的に著者が書いているからだろうと思う。売れている自己啓発本では、トップクラスであるというのはよくわかる。触発されてあと二冊本を買った。おいおい紹介していきたい。

リブロ青山店や丸善丸の内店などの本屋ぶらぶら歩記もあり、本屋の見方も参考になった。Chabo!という印税寄付プログラムを発想し、実践してたった三ヶ月で1000万を超える寄付を集め、世界中の難民・被災民の教育支援、自立支援に役立てるようにしているところもすごい。この本で、勝間和代と言う人を発見したのが、一番の収穫である。






最終更新日  2008年11月20日 07時29分58秒
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2008年11月08日
知る人ぞ知る韓国の全国紙「ハンギョレ」は特異な生い立ちを持った反権力の新聞である。2000年に伊東千尋が週間「金曜日」に連載したルポをまとめたブックレットであるが、今回初めて読んで、大学新聞会OBとしては少し血が騒いだ。

たたかう新聞「ハンギョレ」の12年 岩波ブックレット
1987年軍事政権がいよいよ末期症状を呈していた頃、70年代に軍政に反対した記事を書いて職を追われたジャーナリスト四人が、新しい新聞を作ることを決意する。何が新しいのか。

先ずは権力と資本から真に独立するために、資本金は民衆からの寄付で集める。50億ウォン(当時約8億6千万円)。韓国ドラマ「砂時計」でも触れられていたが、当時はテレビや新聞の信頼度は地に落ちていた。その不信感はBSEのデモなどを見ていると、おそらく今でもある。政府の言いなりの嘘の記事を書かない新聞は求められていたのである。そして幾多の苦労と感動的なエピソードのあと、その金を集めきるのである。

それでもギリギリの設備と情熱だけの報酬でスタートせずに入られなかったにもかかわらず、やがて「ハンギョレ」は10代全国紙のなかで影響力では4位、正確と公正さでは一位の地位を得るようになるのである。コンピューター版組みと言う最先端の技術と、化石のような印刷機のもとで創刊号が刷り上ったときには、大きな歓声に包まれる。ほかの新聞と違うところは例えば、「世論媒体部」。常に新聞の一ページをメディア批判に充てることにする。例えば、「国民記者席」。読者の投稿を積極的に載せるのである。学生は大学の学生運動の動きを書き、労働者は職場の不正を告発した。もちろん記者は一切賄賂を貰わない。そしてたとえ記者クラブの所属していなくても、次第とハンギョレの記事は信頼を勝ち取っていく。

例えば、こんなことがあった。
財閥である現代建設に労組が出来たとき、労組の委員長が行方不明になった。会社側に雇われた暴力団に拉致されたのである。だが、当時の韓国ではそれが日常的な出来事だったこともあり、ほかの新聞は無視した。しかしハンギョレはそれを調査して大きく報道したために社会問題になり、現代建設だけでなくほかの大企業も労組に対してこれまでのような好き勝手しなくなったのである。このことは日本のマスコミも他山の石としていただきたい。歩いただけで逮捕!! と言う事体があっても、ついにはマスコミは警察の一方的な発表以外は一切報道しなかった。6日に三人は釈放されたらしいが、もしもハンギョレのようにきちんと報道していたならば、かえって特ダネをものにすることが出来たに違いないのである。

ハンギョレは徹底的に民主的な会社である。労組はもちろんある。むしろ記者評議会としての役割を担っている。さらにすごいのは、社長と編集局長を選挙で選ぶのである(97年より)。そして実際に選びなおされている。(元が反動的であったわけでは全然ない。)給料も、ほかの全国紙の三分の一。しかも、高卒と社長との開きは3.5倍しかない。

副編集局長の金孝淳氏は日本についてこのように言う。「日本の新聞は韓国と比べて成熟していますが、それと正反対に社会は不正に陥っています。今の日本のマスコミには、先頭に立って闘う姿勢や勇気が弱いのではありませんか。韓国の新聞は、政府が悪いことをすれば突きます。日本の新聞は攻撃的な記事があまり見えません。日本の記者は礼儀正しすぎるのではありませんか。一般の読者に伝える義務を怠っているのではないでしょうか。」おおいに同意する。

7日に数少ない「先頭に立って闘う姿勢や勇気」のある一人のジャーナリストが亡くなった。筑紫哲也氏である。私は彼の仕事のすべては支持しない。また、いつも注目していたわけでもない。けれども、アンカーや編集長を離れて個人に戻ったときに発する言葉や記事の幾つかには共感することが多かった。来るべき憲法改悪国民投票の折には、マスコミのなか苦しいだろうけれども護憲の立場で何らかの役割を果たしてくれるであろうことを期待していた。来るべき関が原で護憲側の有力な武将だった。突然ではあったけれども、かっこよく、みごとな戦死であったと思う。私はあくまで遊軍の中のしがない一兵卒に過ぎないけれども、噂に聞こえたかの大将の戦死を此処で悼んでいる。






最終更新日  2008年11月08日 23時10分17秒
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2008年10月17日
最初著者の半自伝「在日」の中で自分はうつ病にかかっていたと告白していたのでてっきりその体験を詳しく論じた本かと思っていた。ところが、それはほとんど書かれていない。あくまでウェーバーと漱石の著作を借りて一般論としてすすめる。そのストイックで頑固な書き方がいかにも著者らしいと感じた。

悩む力
この本は「悩み相談ハウツー本」としてよりは「夏目漱石読本」として読んだほうが、案外期待に応えることが出来るように思う。「三四郎」「門」「心」「それから」「行人」「明暗」等々漱石の「悩む力」をうまく引き出しながら論じている。

この本は著者の誠実な生き方を反映してお勧めの本なのだが、この文章が素晴らしいと特別抜き書きするのが難しい。(私の理解力不足?)一方でこの本が売れているという。そのことに現代の深刻な状況があるのだと思う。答えは見つからないけれども、どうも不安だ。自分はダメな人間だ。本当にダメなのか?そんなときにはこの本は役に立つだろう。あなたの不安は実は漱石の不安でもあり、私の不安でもあると。

例えば
「精神医学者で思想家のV.E.フランクルは、人は相当の苦悩にも耐える力を持っているが、意味の喪失には耐えられないといった趣旨のことを述べています。」といいながら、アウシュビッツの強制収用所で、年齢の上でも体力でも劣る自分が生き残り、強健で若い人が死んでいったりした例を述べます。「命を粗末にしてはいけない」という素朴な「慣習」で自殺を食い止めていた昔とは違い、「自由」が進んだのと引き換えに個人は「寄る辺のなさ」を味をなくてはならなくなっている、著者は論じます。「心」のなかで先生は同じようなことをいいます。それでも最期には先生は「私」に手紙で打ち明けてくれた。そこに著者は「人と人とのつながり」の中に希望を見るのです。
単純に「死んではいけない」とは、私には言えません。でも、「人との繋がり方を考えて欲しい」とは言いたいのです。繋がるためにはどうしたらいいかを考えて、その意味を確信できたとき、たぶん「生」も「死」も両方、同時に重みを取り戻すのではないかと思うのです。そう信じたいのです。

閑話休題
終章では著者の夢について語っている。なんと前に私が紹介した「アリランの歌」を映画化したいというのである。「南北統一の暁に日中韓米ロ共同で制作するのです。シリアスに作ると当たり前になってしまうので、ミュージカル仕立てにします。映画のオープニングシーンは、満州の原野のロングショットで、ひとりの男が歩いています。彼はアリランの歌を口ずさんでいて、そこにカメラが次第にズームアップしていきます。男と言うのは、もちろん私です。」著者はずいぶん鬱屈した人生を送っているので、開放された暁にはこれくらいのことはやりかねないと、私は思った。確かに「アリランの歌」で書かれていることは、歴史的な事実であるのと同時にキム・サンの波乱万丈のドラマでもあるので、映画化は私も夢想した。けれどもミュージカルはちょっとやりすぎだろうと思う。確かにシリアスになると、マイナー作品になる畏れはあります。それは避けなくてはいけないけど、南北統一と言う世界的事件がもし実現できたならば、そのとき日中韓米ロ共同が実現できて、有名監督が作り、そこそこ有名俳優が出演すれば、十分世界配給が出来る大作にすることが出来る。そのとき主人公はもちろん著者ではない。著者にはキム・サンの生涯の同志、金一教授をしてもらおう。






最終更新日  2008年10月17日 23時27分49秒
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2008年09月23日
昨日に続いて伊藤千尋の本です。この本はつい二週間前に買った本。今年の5月3日発行。値段は本体999円。このこだわりが素晴らしい、そうです、「活憲の時代」です。


活憲の時代シネ・フロント社 伊藤千尋
【目次】(「BOOK」データベースより)
第1章 活憲の時代―コスタリカから9条へ(世界一周の旅から―憲法を活かす世界の人々/9・11後のアメリカ/平和と空気を輸出するコスタリカ ほか)/第2章 戦後責任をどう果たすか―『白バラの祈り』より(ドイツ:ナチスの時代と現在/1980年代のチリを取材して)/第3章 どんな社会を目指すのか―『シッコ』より(交通事故に遭っても救急車に乗るな!/公的な健康保険制度もないアメリカ/戦争には金の糸目はつけないが、国民を助けるためには金をださない ほか)/かんそう 講演を聞いて/活憲の時代―あとがきにかえて

第一章の内容はおもにはすでに「勇気の源は何ですか」伊藤千尋講演会 で紹介したところとたくさんダブル。けれども話の種として使える話題ばかりなので、改めて本で読むと考えることが多かった。

注目すべきは、第二章である。素晴らしい映画「白バラの祈り」論になっているのと同時に見事な平和運動論になっているのである。
私はこの映画のことを未来を知る者「白バラの祈り」、「彼らの情勢分析は正しかった。1943年2月19日時点で、スターリングラードで戦争の趨勢をはっきり定め、精神障害者やユダヤ民族の虐殺を明確に知っていた。ドイツ帝国の終わり前の2年3ヵ月前に正確に未来を予測していたのは、エリート将校たちではなく、これらの学生たちだった。情報が少ないからといって未来が見えないわけではない。」ということを中心に書いた。
しかし「彼ら」は特別ではないということを、私はこの講演で知る。
この映画は事実を元に作られたらしいことは知っていた。けれども監督がその事実を発掘したのだということは知らなかった。尋問記録を見たのはローテムント監督が初めてだったのだ。「ゾフィー・ショルというのは、すごい英雄かと思ったら、そうじゃないんだ。はじめは全く普通の女の子だった。その普通の女の子が4日間の尋問のなかでどんどん強くなっていった。」よく言われるけれども、ドイツは過去からの教訓をよく学ぶ。しかし日本は違う。そこが日本とドイツの大きな違いなのだ。それを著者が監督にいうと意外な答が返ってきたのだそうだ。
「それは別に日本人とドイツ人と違うとか、そんなことじゃない。ドイツだって、実は前はそうだった。今から20年前、1980年代のドイツでは、昔のことは思い起こしたくもない。もうそんなことは忘れたいという風潮だったのです。」監督はだから、あと何十年か経てば、日本も自分の過去にきちんと向き合い、周りの国と一緒にやっていけるようになる、と言う。
その期待に私たちは応えることが出来るのだろうか。






最終更新日  2008年09月23日 23時37分15秒
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