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読書(ノンフィクション12~)

2019年08月23日
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テーマ:本日の1冊(2998)


「おにぎりの文化史」横浜市歴史博物館監修 河出書房新社

大変面白く、貴重な本だった。2014年企画展「大おにぎり展」の図録がやっと出たのか、と思ったら、それを基にした普及版だった。もはや幻の図録だったので、それはそれで素晴らしい。

おにぎりの歴史は、即ち日本人はどうやってお米を食べてきたのか、という大問題に直結する。おにぎりの文献記録を辿る第1章〜2章は、戦後のおにぎり呼称の変遷や、中世から近世にかけての絵巻物語や浮世絵に登場するおにぎりの姿を記録する。ご飯は主食なので、あまりにも当たり前に存在する。だからみんな、それぞれの地方色豊かなおにぎりを作っていたことの自覚がない。そして、実は国民のイメージが「三角おにぎり」に劇的に変化したのも1980年代で、つい最近のことなのだ。コンビニの普及によって国民意識が「統合」されたのである。つまり、歴史は現代も動いているのだ。また、中国地方だけは、まだ半分くらい「おむすび」の呼称か続いているらしい。そういえば私も「三角おむすび」とか言っている。

面白いのは、世界のおにぎり文化圏は日本以外では、タイ・ラオス・雲南地方だけらしい。粘り気のある米を使う中国や朝鮮半島でも、冷えた米飯を食べる習慣がなく、米飯とおかずを混ぜて食べることが多いのでおにぎりは無いという(韓国のキンパブはどう位置づけるのだろ)。だとすると、おにぎりは基本的に日本人の発明なのではないか?

いつから始まったのか?
第3章にご飯や籾の炭化遺物がずらっと並んでいる。これだけのモノをよくも集めたと感心した。そして遺物観察と考察の結果、現存してる確定的な最古のおにぎりは、表紙にもある古墳時代横浜市北川表の上遺跡(6C)のものである事が明らかになった。いくつかの塊がくっついているらしい。しかも竹籠(弁当箱?)に入っていた。

おにぎりは弥生時代から始まっていてもおかしくないじゃないか?
しかし、そうでもないらしい。ご飯を握れるように炊くまでには、古墳時代の蒸炊きを待たなくてはならなかったのである。実験考古学の説明が、実にわかりやすく出ていた。

炊飯の方法は、世界的にも大きく分けて6種類だ。
(1)湯取り法(炊き上げる)。途中で湯を捨てて炊き上げる。一部東南アジアで使用されていて、弥生時代もこうだったようだ。
(2)炊き干し法。現在の炊飯ジャーで炊く方法。
(3)蒸器で蒸す。赤飯・おこわなどはこれ。振り水で補う必要あり。古墳時代はこれだと言われている。
(4)湯取り法(蒸しあげる)。途中ザルなどにあげて蒸す。江戸時代文献にあり。
(5)煮る。お粥(炊き粥)を作るのに、使われる。
(6)炒め煮。西洋のリゾット、ピラフ、パエリアなどはこれ。
あと、チャーハンは炊いたご飯の再利用。雑炊は炊いたご飯の煮たもの。

私は弥生時代は蒸器はなかったのだから、雑炊やお粥が多かったと思っていたが、土器の付着物で他の穀物と混ぜて調理した例はないらしい。だとすると、ご飯を炊くのは、竪穴式住居の外で、かなり慎重に、技術を持って毎日作っていたことになる。感動する。それを高坏の食器を囲んで手づかみで家族で食べていた。パサパサのお米だったから、おにぎりは握れない。しかも、学芸員は三回試してやっとまともに炊けたのである、。そんなに苦労しても、お米が良かったのか?雨の日はどうしたのか?またもや新たな疑問が出てきた。古墳時代になって、やっとかまどを家の中に据えて蒸して炊くことができるようになる。

次第とパサパサ米から粘り気のあるウルチ米に変わって行く。そして弥生時代晩期から個別食器に変わって行く。食卓の情景はこの頃大きく変わったのだ。お箸が使われ始めたのも、この頃の少し後である。弥生時代、ご飯は必ず家族で鍋をつつくように手づかみで食べていた。人生の中で、食事がいかに大きな構成要素だったか、私は想像する。






最終更新日  2019年08月23日 06時34分57秒
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2019年08月21日
テーマ:本日の1冊(2998)

「邪馬台国時代の王国群と纒向王宮」石野博信 新泉社

二上山博物館主催の17回に渡るシンポジウムに寄稿した論文に加えて、関連論文をまとめた。シンポの中心者である著者の邪馬台国論の集大成。それは即ち現代の邪馬台国近畿説の集大成ということになるだろう。かなり専門的だが、それでも短文が多いためにラフな論考が多い。ザッと読んだだけだが、細かに検討する時には再読しなくてはならないと思う。

以下は、あくまでも私的メモ(ウェブ上に残しておくと、何かと便利なんです)。特に吉備との関係で前半部分から少しメモした。無視してください。

・「倭人は文字を使っていた」唐古・鍵遺跡(1ー2C弥生後期)で使われていた記号は後続の纒向遺跡(3C)では消滅する。漢字の導入のせいではないか。卑弥呼の外交と関連しているのでは。伊都国三雲・井原遺跡の1ー2世紀の硯片、島根田和山遺跡の硯片、福岡県薬師の上遺跡から完全形の硯等で、文字使用は決定的に(←最新報道では弥生中期の硯片が大量に発見された)。
・「半島との交易」日本海航路では、松江市南講武草田遺跡、太平洋航路では高知市仁淀川河口の仁ノ遺跡に近畿系土器出土。瀬戸内航路では、姫路市丁・柳ヶ瀬遺跡で丹波系土器、総社市津寺遺跡・ほか酒津遺跡、楯築遺跡など。福山市御領遺跡には纒向甕、湯田楠木遺跡には第5様式系の叩甕。大分安国寺遺跡には纒向大和型甕、宇佐市豊前赤塚古墳周辺から纒向型壺。関門海峡の航行には熟練の海導者が必要。田布施町国森古墳に楯築・ホノケと共通するヤス(への字型鉄製品)がある。海峡通過後は、中津宮、沖津宮(沖ノ島)等のコースを辿ったろう。
・「阿波・讃岐・播磨の連合はあったか」1-3世紀にかけて、積石と石囲いの遺跡と吉備・大和の葬儀用器台のグループに分かれる。
・「3世紀の大和と吉備の関係は?」楯築は180年ごろ、纒向石塚は210年ごろ、と一世代遅れた、と分析。大きさは楯築(80m)を超えた(96m)が、葺石も墳頂の列石なし、突出部は1つ(総社立坂、宮山)。特殊器台採用は、3世紀の中山大塚古墳(130m)、箸墓古墳(280m)まで待つ。しかもこの時期は器台と壺が分離、葬送儀礼の変質があった。ホノケ山(3C中、80m)は阿波・讃岐の海洋民か。
・「3世紀の三角関係 出雲、吉備、大和」楯築のころ、越の人々が因幡に集団移住(西大路土居遺跡)。2-3世紀は越と因幡・出雲(吉備)に航路があった。3C前半から後半にかけて、伯耆西部と出雲東部(南講武草田遺跡)に大和・河内の人々が現れて定住した。それとともに、吉備は出雲から姿を消した。四隅突出墓も衰退に向かった。出雲は吉備との連合を解消し、大和との連合に向かったのだろうか。2世紀末大和に多くいた吉備が3世紀に激減、しかし特殊器台は採用し続ける。河内は繋がりを持っていた。河内を通じて大和は瀬戸内航路を持っていたのか。3世紀前半まで多かった尾張が激減し、3世紀中以降近江系が増加、かつ大和は出雲に進出、日本海ルートを選択。3世紀中は卑弥呼・トヨの交代時期。2世紀末は吉備主導だったが、3世紀後半から4世紀中にかけて大和主導に転換した。
・卑弥呼登場の時期の2世紀末の各地域を見て、楯築の被葬者が中心になって卑弥呼擁立を決めた可能性が高い。箸墓はトヨの可能性が高い。邪馬台国は吉備ではなく、大和だ。






最終更新日  2019年08月21日 10時40分33秒
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2019年08月20日

「ビッグイシュー364号」ゲット!
写真はセサミストリートのリリー。NHKの放送は終了していたので、しらなかったのだが、なんと家族でホームレス状態にある子供らしい。アメリカの子供番組の懐の深さに脱帽する。まさか、こういうこともあってNHK放送が終了したのか?

特集は稲葉剛責任編集の「ホームレス支援をアップデートする」。うーむ、ひとつひとつの事例が、今ひとつ具体的にイメージできなかった。

「大英博物館で「マンガ」展!」の記事。老舗の博物館でマンガ展とは何事か、との声はあったらしいが、一方ではその発言者は英国で炎上したらしい。確実に時代は変わっている。図録があれば是非手に入れたいが、無理だろうな。

投書コーナーで、高知県の山間部でビッグイシュー含む古本の良心市を始めた、というのがあった。そういう手があったか!

今回の号は楽しい読み物が多くあった。






最終更新日  2019年08月20日 08時44分46秒
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2019年08月19日
テーマ:本日の1冊(2998)


「ぶらりあるき釜山・慶州の博物館」中村浩・池田榮史・木下亘 芙蓉書房出版

過去7回ほどに渡り、述べ70日ほど韓国の古代遺跡と博物館巡りを1つの目標にして歩いたことがある。よって、ここにある主要な博物館は踏破してはいるが、それでもまだこんなにも行っていない所があったのか!と驚いたのが正直な所。個人のインターネット検索では網羅しきれない博物館はまだまだあるのだ。遺跡となれば言うまでもない。この本の発行によって、個人で韓国の歴史を学ぼうとすれば、この本によって旅の計画を練ることが必須になるだろう。貴重な仕事だと思う。

しかし、だからこそ、この後に続く「済州島」「ソウル・韓国南西部」編では軌道修正してもらいたい所がある。(1)おそらく、この後の10年以上に渡る読者を意識したので敢えて最新情報は載せなかったのかもしれない。しかし、観覧料はともかく、休日と観覧時間は載せて欲しかった。例えば日曜日休みなのか、月曜日休みなのか明らかにしておいて欲しかった。旅の計画に必要なのだ。大学博物館は多くは日曜日休みだと思う。苦渋を何度も舐めた。また、私は年末年始の休みを利用しての旅行が多かったので、臍を噛むことが多かった。年間の休み予定は知りたい。
(2)簡略な場所の地図しかない。行くための交通手段の詳細が必ずしもない(最寄駅は記載ある場合もある)。有名博物館ならばガイド本でわかる。しかし、地方にある、特に大学校博物館などは、なかなかわからない。バスで行くしかないが、これは検索で知るのは至難の技である。特に韓国は大学校博物館に素晴らしい遺物が置かれていたりするので、尚更である。

ここに書かれている博物館は、新羅や伽耶の考古学遺物が豊富である。この時代、倭国(日本)は常に学ぶ時代だった。よって、自らのルーツを知ろうとしたならば、この国々を知らなくてはならない(例えば、なぜ製鉄技術は6世紀まで日本列島に渡らなかったのか等々)。私が、情熱もって韓国を旅した理由のひとつである。

未見の博物館で、私の興味関心に沿うもの。
・国立日帝強制動員歴史館
・東義大学校博物館
・新羅大学校博物館
・国立慶州文化財研究所
・玉ヒョン遺跡展示館
・昌寧博物館
・嶺南大学校博物館
・国立伽耶文化財研究所
・慶南大学校博物館
※普州の青銅器文化大坪里博物館が無かった。私は今まで観た中で五本の指に入る博物館だと思っているのでとても残念だった。序でに普州慶尚大学校博物館は、偶然教授と色々お話できた思い出ある博物館で懐かしかった。







最終更新日  2019年08月19日 09時23分16秒
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2019年08月18日
テーマ:本日の1冊(2998)

「日本の文様解剖図鑑」筧菜奈子 文・絵 エクスナレッジ発刊

私の目論見が外れて、私にはあまり役に立たなかったが、力作である。しかも、オールカラーでこの値段ということは、案内役の「うめモン」ちゃんだけでなく、ここに出ているあらゆる「文様」を筧さん独りで描いたということでしか説明がつかない。いくら芸大出身だからといって、恐ろしいほどの力技だと思う。

第1部「日本の文様77種」に平均4つのイラストを配置したとして約300、その他いろいろで400-500の文様を正確にトレースしたはずだ。表紙を見たらわかるように、ひとつひとつが、ほとんど絵画だ。

しかし、残念ながら、日本と世界の文様の比較や、歴史から来るその大きな特徴、また、弥生時代の流水紋は現代まで生き残っているのだが、それは何故か等々の考察はほとんどされていない。ただただ、どんな文様(意匠)があるのか、分類して紹介しているだけなのである。目論見が外れたと言った所以である。

もちろん、着物を説明して「貝尽くし文様夜着」と聞いてどんな着物か想像できたら楽しいだろうし、京都四条通界隈に錦天満宮の梅、1928ビルの星、京都大丸の八芒星、先斗町入り口の千鳥、松竹南座の松竹等々の意匠を見つけたら楽しくて仕方ないだろう。

この本を持って、古い街に行き日本を感じる、そういう使い方がよく似合う本だと思う。






最終更新日  2019年08月18日 16時51分39秒
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2019年08月17日
テーマ:本日の1冊(2998)


「看板建築」萩野正和 トゥーヴァージンズ発行

看板建築という建物をご存知だろうか?そうそう!正面は立派な洋風建築なのに、裏や横に回ってみれば、木造建物だった、というアレである。特に商店が並ぶ街並みの中で作られて、商店街の景観を作っていた。

歴史はなんと昭和の一時期に限られている。関東大震災の復興中に、潤沢な資金のない個人商店が採用した方法が、やがて全国に波及した。よって竣工は、昭和初年からいくら遅くても昭和40年ごろまでの建物しか存在しない。現在次々と解体されている。

しかし、この本を見てビックリしたのだが、日本人らしい細部に凝った意匠が一軒の中にもたくさん採用されていて、時の大工さんたちの心意気が見事に見えるのである。

昭和遺産とも言っていい建築物の数々が載っている。多くは既に解体された貴重な写真がある。そして現在でも現役で頑張っている建物を、約80軒近く記録し、更に色濃く看板建築の暮らしを、10軒にかけて詳しく記録している。なかなかの労作だ。

私が東京に住んでいたならば、必ずこのうちの数軒は尋ねると思う。なぜならば、ほとんどが店なので中まで入れるし、外の窓枠や装飾だけでなく、中も職人の技が極まっているからである。住んでいる人たちは、文化財だから残そうという意識はまずない。時期が来たら無くなるからである。

荻野正和さんの企画を支持する。ここに記録されているのは、実はほとんどが都内だけだ。これからは全国の看板建築を記録するか、ホームページを開設して、全国から記録や写真を収集して欲しい。もう一つの視点は、海外の看板建築の記録を撮って欲しいと思う。韓国の釜山や江景や地方の街で、私は数多くの看板建築を見てきた。昭和の風景を残そうという意識ではなくて、改築が出来ないので残ったという残り方だった。そういうのもプロの視点で是非記録してほしいなぁと思うのである。






最終更新日  2019年08月17日 12時13分16秒
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2019年08月14日
テーマ:本日の1冊(2998)


「日本のいちばん長い日」半藤一利 文春文庫

「天運がどちらに与するかそれはわからないでしょう。どちらに与してもいい、判決は実行することによって定まると思うのです。そしてその実行が、純粋な忠誠心より発露しているものである以上は、臣道としてなんら恥ずるところはありません。…中佐殿、私は、まず宮城内に陣どって外部との連絡を断ち、時局収拾の最後の努力をこころみるため、天皇陛下をお助けすべきだと信じます。将校総自決よりその方が正しいと思います。近衛師団との連絡はもうついているのです。必要な準備はととのっております。あとは、少数のものが蹶起することによって、やがて全軍が立ちあがり、一致して事にあたればいいのです。成功疑いありません。中佐殿にはぜひ同意されて、この計画に加わっていただきたいのです」(115p)

岡本喜八版の映画では黒沢年男が、原田眞人版では松坂桃李が演じた畑中少佐が、8月14日の午後4時、聖断が降りたことで諦めきっている井田中佐にクーデターへの参加を詰め寄っている「記録」である。生き延びてしまった井田正孝の証言なので、かなり正確だろうと思う。中佐も少佐もない。最後の段階では、声の甲高い「狂」が、時を動かしかけた。

今から観ると、狂気の言としか思えない。ところが、井田や当時の陸軍士官のほとんどは、14日の前までは、この方向でみんなまとまっていたのである。「成功疑いありません」当時の最高の知性が、74年前のこの夏の日に、そういう判断をしていた、ということを私たちは忘れてはならない。

彼らが護ろうとした「國體」は、天皇そのものではなく(何しろご聖断に背いてクーデターを起こすのだから)、むしろ実体のない「こころ」のようなものであったのだが、それが多くの国民の命よりも、自分の命よりも大切だった(蹶起した3人の士官は15日に自決した)。現代ならば、実体のない「成長神話」がどんな国民の生活や命よりも大切だと思っている頭の良い人たちが存在するのと、同じかもしれない。






最終更新日  2019年08月14日 11時36分16秒
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2019年08月13日
テーマ:本日の1冊(2998)


「縄文ZINE 10」望月昭秀編集発行

フリーペーパー界の雄!3万部近く発行しているはずの縄文時代に特化したフリーペーパーの最新号をゲットした。とは言っても、今回は珍しく岡山市埋蔵文化財センターでゲットしたので、一か月前の話なんだけど。いつも岡山市の無印良品でゲットするので、こんな「まともなところ」でゲットすると、なんか新鮮!

今回は特集2つがなんといっても面白かった。「わけのわからないものばかりの縄文時代で、とびきりわけのわからないもの」と「遺跡はみんなキラキラネーム」である。これはそのまま弥生時代でも当てはまる。


これは雑誌にはなくて、望月氏のツイッターから拾ったもの。尿瓶?そんなはずはないよね。わけわかんない。


これはテレ丸さんのツイートから拾ったもの。わけわかんない。


一般的にも「トロトロ石器」と名付けられているらしい。本来尖っていないといけない先が尖っていない。誰も傷つかない鏃だ。しかも、西日本の広範囲に渡って、ほぼ同じものが出土している。「かなり重要なものだったのではないか」と専門家の意見である。縄文早期に限られている。そうやって考えると面白い。


前から思っていたけど、遺跡って、字で名前つけるので、キラキラネームって多い。でも、編集人は100個も拾っている。ご苦労様。

多いのは、流石に甲信越、東北。私は近くの、岡山、鳥取、島根から採る。
【岡山】溝落遺跡
【鳥取】陰田隠れが谷遺跡、井図地中ソネ遺跡
【島根】面白谷遺跡、金クソ谷遺跡、アガリ遺跡、田中ノ尻遺跡
「金クソ」は、製鉄の際に出来る鉄鉱石のカスではあるが、知らない人にはインパクトがある。逆に、どんな土地なんだろうかと想像が膨らむ。面白谷は、ホントに私にもインパクトがある。なんでこんな名前?

名前の由来を深掘りしてもらいたかったが、無かった。次回に期待する。






最終更新日  2019年08月13日 10時27分22秒
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2019年08月06日
テーマ:本日の1冊(2998)


「ワセダ三畳青春記」高野秀行 集英社文庫

高野さんは昨年の今頃、数少ない私の「お気に入り作家」に昇格した。そうなれば、出ている文庫本の少なくとも8割くらいは読まなくては気が済まないのが、私の性分。恋でも本でも、原理は同じですね。これで7冊目。まだまだ道のりは長い。この本で、第1回酒飲み書店員大賞を受賞。読めばわかるが高野さんは全ての作品が名文なのである。読み始めると、直ぐに高野節に染まってゆく。

でも、家賃1万2千円の三畳間には別に驚かない。私は2年間、家賃1万5千円の「家」に住んでいた。学生時代ではない、社会人になってからである。1つのボロ屋を2つに仕切って、半分に住むのだ。こちらは1人、向こうは一回も顔を合わせていないが、おそらく4人以上の家族だった。私が使わなかった部屋はふた部屋もある。最後は畳がブヨブヨになったが、全くノープロブレム。途中で私の母親が亡くなったので、夜になると真っ黒い部屋の片隅をよく凝視した。一度も出てきてはくれなかった。

話がそれたが、ともかく高野さんは、私のような孤独な下宿生活ではなく、普通の冒険旅行と同じく変人と共になんやかんや起こしながら、11年間、元気に「生活」してゆくのである。思うに傑作だろうと思う。






最終更新日  2019年08月06日 14時42分43秒
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2019年08月05日
テーマ:本日の1冊(2998)

「図書」2019年8月号

さだまさしの連載もの(「さだの辞書」)では、長崎に伝わる幽霊話を紹介しています。「飴屋の幽霊」という話は、いかにもありそうなお話でおそろしいのではありますが、さだまさしの伯母が死に目に仲良しの親類の老母に報せに来たという話も書いていました。

それで、私が直に体験したことも思い出しました。昔のことなんですけど、まざまざと覚えているのは、それが私の中学の入学式当日の朝だったからです。
その少し前から、私の母は家を留守にすることが多かったのです。どうやら母の実母が危ないということで病院に通っているということだけは聞いていました。その日はそれでも私の入学式なので、母は無理して私の式に出る予定でした。朝食の時に、家の屋根の上で、カラスがかなり大きな声で三鳴き四鳴きしました。「なんか不吉じゃねぇ」と言っていた時に黒電話が鳴ったのです。母は急いで受話器を取りに行き、暫く話したあと、私に「式に行けなくなった。ごめんね」と言ったのです。泣き虫の母が涙も見せていないことに「悲しくないのかな」と思ったことを覚えています。「あれはおばあさんが報せにきたのかなあ」と家族の誰もが思いました。まぁ、何処にもあるような話です。

三浦佑之さんの「風土記博物誌」は、今回は各地に伝わる大男伝説の話。ちょっと近くの兵庫県の伝説は、現在現存する山がちゃんと比定されているので、機会があれば行ってみたい。

山室信一さんの「モダン語の地平から」は、なんと現代もある常用漢語は1921年から始まっているという話。漢字学習の効率化と新聞など活字を選ぶ職工の作業軽減などが求められたらしい。最初から1962字。かなり絞っていたことに驚いた。常用漢字表にない漢字は仮名で書くことにした。現在では2010年から2136字が用いられている。

それでも外語は入る。この時の外語は実は中国語だ。マージャンは1909年に初めて入ってきて、20年代に流行、「テンパる」「面子」などは今は意味は転用されて使われている。他には裏面工作の「工作」、「合作」、「下野」、「要人」等も。軍事用語として「改編」「改組」。とても面白い。外来語は特に近代はカタカナ語ばかりと思っていたけど実は違っていたのである。






最終更新日  2019年08月05日 06時37分53秒
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