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再出発日記

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読書(ノンフィクション12~)

2021年10月15日
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「ザ・ビッグイシュー Vol.416」2021年10月1日号

久しぶりのビッグ・イシュー。販売者が何かの事情で長期お休みしていて間が空いた。遂に「緊急3ヶ月通信販売」を利用した。

表紙はダニエル・クレイグ。もちろん、2回の公開延期を経て10月1日に公開された「007/ノー・タイム・トゥ・ダイ」を受けてのインタビューが載っている。

恥ずかしながら「ノー・タイム・トゥ・ダイ」の意味が「今は死ぬ時ではない」ということだったことを、この記事を見て初めて知った。ところが、記事の総ては、ダニエル・クレイグのボンド退き際の話に終始している。まぁそうなるはな。今回の007は間違いなくダニエル版ボンドの終わりだった。「今は死ぬ時ではない」とは、「時が来れば死ぬのは当たり前だ」ということと同義語なのである。ダニエル版ボンドも、完全に仕切り直しをして始まった。次回のボンドも、おそらくそうなるだろう。改めてダニエルは今までのボンドの「お約束」を壊した。でもよく考えたら、金髪のボンドも、マティーニの飲み方を「こだわらない」と宣言するのも、前作の女性が冒頭にまた現れるのも、その女性がボンドの子供を産むのも(!)、そうだ。

女性プロデューサーと女性脚本家を迎えて、ボンドは明らかに「変わった」。それを是非映画館という特別の場所で「体験」しておくべきだと、私は思う。


特集は「貧困緊急事態」。
久しぶりに稲葉剛さんや雨宮処凛さんの言葉を聞いた。ビッグ・イシューでぐらいしか彼らの声が届かないという、この日本の現実を変える必要がある。

試しに「家賃が払えない」でツイッター検索したら、今にも自殺しそうな人の呟きが出てきた。リプライしたら、何か悪い影響与えそうで、怖くて何もできない。コレが今の現実なのか。






最終更新日  2021年10月15日 07時46分04秒
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2021年10月10日
テーマ:本日の1冊(3549)


「古事記の神々」三浦佑之 角川文庫

三浦佑之さんは以前紹介した「日本の神様図鑑(大塚和彦)」のようななんちゃって古事記研究者ではなく、私の信頼するガチの専門家である。神話時代と弥生時代を一緒に記述する学者が多い中で、三浦さんはキチンと分けている。

本書は三浦さんのガチの研究書である。古事記は日本の最古の歴史書であり、弥生時代研究にも、やはり重要参考書であることは間違いない。

三浦さんは天武天皇が勅選して作らせたという記述がある古事記の「序」は9世紀の偽造だと主張する。さらには明治政府は、国家を安定させ永続させるためには、「法」とともに、国家の精神的な支柱になる幻想が必要だと考えた。それが「記紀神話」として一括宣伝した理由だった、とする。それによって、古事記は国家の歴史書であると、誰もが疑問に思わずここまできてしまった。

古事記の神話部分には四割もの出雲神話があるが、日本書紀ではそれは見事に抜け落ちている。「国譲りの場面は存在しながら、いわゆる出雲神話と称される出雲の神々の神話や系譜を、日本書紀はほとんど載せていない(38p)」それは何故か。

信濃や出雲などの「滅びゆくもの」に寄り添った「語り」の歴史書が古事記であるからだ。

少し難しいけど、出雲神話を語ることで何をしようとしたのかは想像するしかないけど、興味深い本だった。電子書籍限定価格でかなり安く購入。「付古事記神名辞典」なので、旅の途中で調べ物をするときにも便利だろうと思える。






最終更新日  2021年10月10日 08時36分56秒
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2021年10月02日
テーマ:本日の1冊(3549)


「図書2021年10月号」

今回は面白い記事が多かった。面白い順に述べる。

・「気温0.5度の差が歴史を変えるー気候復元でみえてきた」川幡穂高(古気候学)
海水温の正確な復元から、過去27000年間の正確な気温・水温が復元できるようになったという。すると、驚いたことに、大寒冷期が、社会の大枠が転換する節目に対応することが見出された、という。土器の発明、三内丸山遺跡の誕生と衰退、弥生人の渡来、倭国大乱、武家の台頭、幕末の準備。この文章では、縄文文化の説明が多く、弥生末期の説明がなかった。非常に興味深い。関連書類を探したい。

・「人間らしさ」畑中章宏(民俗学)
「人間らしさ」という言葉は、「人間らしさ」が失われようとするときに、あるいは損なわれるような事態に陥ったときに口にされる。
ここでは、ハンナ・アーレント「人間の条件」と日本における鬼の研究書「鬼と日本人」「鬼の研究」とマンガ「鬼滅の刃」について考察されていた。キリスト教世界において「人間らしさ」を担保するのは「神」であるが、日本において「神」はいなくて「先祖」や「世間」がそれにあたる。だとしたら日本人は「神」に許されるのではなく「鬼らしさ」に陥らない民俗的な社会を生きてきたのかもしれない。

・「山桜の花のかげで」長谷川櫂(俳人)
ずっと文学的視点から社会に物申してきた長谷川さんの連載もコレで終わり。最後は自分の死をかなり意識して終えた(既に一度癌が転移している)。でも、芭蕉は最晩年に掴んだ「かるみ」への失望、さらには最後の弟子への失望のなかで「旅に病んで夢は枯野を駆けめぐる」となったのかもしれない、と書いている。失望の中で、死を迎える。死を前にしてそういうことを書けること自体が、一つの高みに立つということだと思う。

・「親父の枕元」原田宗典(作家)
原田マハの兄貴のエッセイである。大学で上京する時、新幹線のホームで親父からもらった餞別の小箱と手紙には、コンドームと励ましと戒めの言葉が書かれていたという。ホームというからには岡山駅に違いない。あの時代、父親がホームまで見送りに来る?しかも、この父親は原田マハ小学生の時に大原美術館で絵の見方を教えた人だ。凄いと思う。原田宗典の文章を初めて読んだ。必要な時期(死後5年)に、必要なことを書く人だと思った。

・「岩波講座世界歴史刊行記念、人物から見た世界歴史(1)ヴァルター・ベンヤミン」小川幸司(世界史教育)

・「漢字の動物園in広辞苑(1)」円満宇二郎






最終更新日  2021年10月02日 13時40分04秒
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2021年09月22日
テーマ:本日の1冊(3549)


「イーハートーブ乱入記 僕の宮沢賢治体験」ますむらひろし ちくま新書

ますむらひろしの宮沢賢治論ならば面白い。

ますむら・ひろし。1952年山形県米沢市生まれ。20歳の時に宮沢賢治を読み感激し、水俣問題に怒り、描き出したマンガ処女作が『霧にむせぶ夜』だった。「日本中の猫の代表たちの会議が、ますむらの田舎の米沢の河原で開かれ、人間たちを絶滅させる相談をする」というものだった。それ以降、ますむらさんは「常に猫を主人公」に、イーハトーブならぬ「米沢市」をもじって「ヨネザアド」という国の、東京の住処である愛宕駅をもじって「アタゴオル」という地域を舞台に精力的に漫画を描き始めます。‥‥あの命名が、そんなにも単純で、しかも宮沢賢治経由だとは知りませんでした!

ますむらひろしさんの賢治読みは、研究者レベルです。一時期研究者の間で定説になっていた「賢治は猫嫌いである」に対して、説得力ある反論を試みています。これを読んで未だ「賢治猫嫌い説」を説く研究者が居たら、むしろその人の論文を読んでみたい気がする。

本書には無数の賢治作品からの引用が入っていますが、どの作品からとか、どのページからとか殆ど書いていません。うっかりすると、まるで賢治が何処かで書いているかのような「引用」が書かれていますが、それがますむらひろしさんの「想像」だったりしてもいます。ここまで賢治を血肉にしている人を初めて見ました。

本書の2/3は「銀河鉄道の夜」論です。何しろますむらひろしさんは、83年と85年に、本書執筆時点で2回猫版「銀河鉄道の夜」を描いています。現在では定説になっている「三角標は星々である」ということを「独力で」発見していて、その経緯を書いています。「銀河鉄道ー」は、ざまざまな謎がありますが、漫画にする以上は一定のイメージを持たなくてはなりません。この漫画自体が、優れた研究書なのだということが、よく分かりました。銀河鉄道世界の空には星はなくて、桔梗色の空が広がっています。それはどんな色なのか、色に敏感な賢治には当然イメージはあったでしょう。でも、漫画版は単色で描かざるをえませんでした。あれから25年、ますむらひろしさんは、現在満を持してカラー豪華版全4巻の「銀河鉄道の夜」を描いています。完成すれば600ページ、今までの約3倍の量です。

それに取り組む前に、私は83年85年版を手に入れないといけないなあと思うようになりました。今年9月は賢治88回忌です。澄み切った夜空を眺めがら賢治に想いを馳せてみるのもいいかもしれない。
2021年9月20日賢治忌前日に記入






最終更新日  2021年09月22日 16時29分10秒
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2021年09月17日
テーマ:本日の1冊(3549)


「数え方でみがく日本語」飯田朝子 ちくまプリマー新書

数え方は雑学ではない、と著者は言います。その証拠に著者は数え方専門で教授にまでなりました。
「今年度の卒業生は250名/250人です」どちらも正しい言い方だけど、意味は違う。さて、どう違うのでしょうか?
名簿で把握しているのか、どうかの違いです。
というように、数え方は「私たちのものの捉え方の体系」だということらしい。

人や名のように数えるときに使う名詞を助数詞と言います。主なのはおよそ500種類。ところが、外国語には日本のように豊富な数え方を持たない国が多い。英語やフランス語、ドイツ語、スペイン語などですね。その代わり、これらの国には名詞に冠詞があり、複数形があり、ジェンダー(男性、女性、中性)があります。つまりそれらの国では、しゃべるときにいつもそのことを意識しているということです。裏を返せば、日本語では名詞そのものに含まれる情報量が少ないということか。

それらがない中国と日本では、では考え方が同じかというと違う。中国ではラクダは一頭二頭ではなく、一峰と数えるそう。なるほどなあ、と私は納得する。文化交流で一頭のみやってくるか、日常的に峰で数える生活をしているかの違いなんですね。

数え方を使い分ける着眼点が違う国を比較すると面白い。ミャンマーで話されているビルマ語も日本語と同じような助数詞があります。そこでは、ニワトリの卵も家も家具も同じ「loun」を使う。
ネパール中央で話されているネワール語では、(1)人間・動物を数える「maha」、(2)植物を数える「ma」、(3)その他の無生物を数える数え方群があるらしい。それで行くと「細菌」は(1)になるらしい。

英語にも数え方がある。本来抽象的で形がないものや、はっきりした輪郭がない物体や物質は、数えられない不可算名詞になっています。それでも数えなくちゃいけない。「三つの証拠」ならばthree pieces of evidenceとなります。英語では生き物が群れをなしていると、その群れを集合名詞で表現するちょっと粋な技法がある。「一群のライオン」→a pride of lions。なんとなくわかる。ではカラスは?コレはa murder of crows(ひと殺人のカラス達)となるらしい。物騒です。やはり英語圏は大陸で、かつキリスト教圏だからだろうか。

著者は「ものの捉え方の体系」だということを、きちんと教育すべきだと訴えます。ところが、実際には「数え方」は算数の問題で突然出てくる。著者は小学校一年生の「たろうくんは、ぶんぼうぐやさんで、ノート五さつとえんぴつ六ほんかいました。あわせていくつかいましたか?」で躓いたらしい。どうして「さつ」と「ほん」を買ったのに「さつほん」などではなく「つ」になるのか?しかも、答案に「十一つ」と書くと「答えは十一だけでいいです。つ、はいりません」と書かれているそうです。「いくつ?と聞いてきたからつで答えたのに、こたえが十一になった途端に答え方も変わるなんてあんまりだ」うーむ、飯田さんとっても優秀です。

最後の方は、日本語の数え方の総点検になっていました。全部書ききれないけど、勉強のために出来るだけメモします。
・生き物の数え方には基本の3種類がある。
(1)鳥類を数える「羽」
(2)人間よりも大きな生き物を数える「頭」
(3)人間よりも小さな生き物を数える「匹」
よってセントバーナードは一頭、チワワは一匹。
では、オニは1人?一匹?それは「どんなオニか」で変わります。絵本では人間に友好的になると突然数え方が匹から人になるそうです。最近のマンガを確かめたくなります。←コレ、日本以外の国はどうなんだろう‥‥。
・ロボット犬AIBOは?「台」でも「匹」でもなく「体」で数えます。人間や生き物の形をしているものは「体」になる。よって、雪だるまや埴輪、銅像や仏像も「体」になる。
・電車は元は「輌」で数えていたので「両」になる。大型客船は「隻」、小さい船は「艘」。空を飛ぶ乗り物は「機」、ラジコン飛行機は人が乗れないので機械と同じ「台」。←ならばドローンは「台」だな。でもやがて「体」になるのかな‥‥。
・「台」で数えるものは「それだけで機能する」特徴があり、パソコン、携帯、テレビに冷蔵庫、自販機など。一方、本体がなければ機能しないもの、マウスやイヤホンは「個」「セット」。
・建物には「軒」「戸」「棟」の数え方がある。
では、「赤い屋根の家が二軒並んでいる」とは言えるが、ほかの数え方はない。「二万戸が停電した」とは言えるが軒はない。「住宅が倒壊」「新築住宅が完成」の時には「棟」を使う。また、「基」は地面に据えて1人の力では動かせないもの。信号機、エレベーター、ベンチ、お墓、古墳、ダム、発電所など。←日本にある古墳はおよそ三万基です。
・(これは飯田さんの研究の成果ですが)「縦の長さと横の長さの比が1対3以上のものは本で数える。他は個、鉛筆、ストローは本、印鑑は個。
・本でポンの数え方の時。「一筋の煙突から一本の煙が立ち上がった」とは言わない。何故なら、本は途中途切れないもの。筋は定まった形を持たず、細長く切れ切れに続くものを数えるから。「電車一本乗り遅れた」のは「運行本数」を数えているから。練習メニュー十本は?時間軸に沿って行われる内容をひと続きに見立てる。では柔道の「一本」は?「心技体を一本化することで、技が決まるから」と大学の選手は異口同音に答えたそうです。
・腕試し問題で、私が間違えたヤツ。
(1)「歓迎パーティーには、およそ30()の会員が参加しました」
(2)「大きなヒグマの剥製は1()」
(3)「人間を助けてくれる鉄腕アトムは1()と数えます」
(4)「財布の中を見ると500円玉が2()入っていた」
(5)「部屋がとても暑かったので、背中を汗が1()流れた」

‥‥うぅ難しい。
というわけで、正解はこの1番下に載せますが、詳しい解説は本を紐解いてください。

あらゆるクイズ番組に参加する人は、一度(回ではない)は、この本を紐解いた方がいい。

【答】1 人、2 体、3 人、4 枚、5 筋






最終更新日  2021年09月17日 07時57分47秒
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2021年09月16日
テーマ:本日の1冊(3549)


「挑発する少女小説」斎藤美奈子 河出新書

世界中でヒットし、今も読み継がれている、10代の少女が主人公のリアリズム小説9作品の解説。日本でも60年代のジュニア小説、80年代のコバルト文庫、2000年代のケータイ小説など多くが生まれたが、この9作品のように長生きはしていない。何故か。

ひとつは、時代や文化の隔たりを超えて、少女に訴えかける普遍性を持っていたこと。
ひとつは、海外ものだったために古さがバレなかったし、異国のお話はオシャレに感じたりさえしたから。

特徴は四つ。
(1)主人公はみな「おてんば」な少女。ジェンダー規範を大なり小なり逸脱。良妻賢母教育のツールとして作られたのに、読者の支持を得て大人社会の陰謀を「出し抜いていた」。
(2)主人公の多くは「みなしご」。19世紀の時代を反映しているからだとも言えるが、親を失った子供は自力で人生を切り開かざるを得ない。そこからドラマが生まれる。
(3)友情が恋愛を凌駕する世界。しばしば物語には「女の子らしい女の子」か登場。主人公の個性を引き立てる役にもなるが、主人公は男の子よりも友情を優先する。
(4)少女期からの「卒業」が仕込まれている。「おてんば」は成長とともに失われてゆく。
別言すると、どれほどハメを外しても将来は約束されているから読者は安心して読めたのか。
或いは一見「保守的」に見える結末も裏には意外な事情が隠されているのか。
或いは、読者には「誤読する権利」があるので、多様な読み方ができるテキストでもあったから、とも言えるかも。

以上が本文に入る前の斎藤美奈子女史の「はじめに」の概要である。コレで「小公女」「若草物語」「ハイジ」「赤毛のアン」「あしながおじさん」「秘密の花園」「大草原の小さな家シリーズ」「ふたりのロッテ」「長くつ下のピッピ」の重要な部分はもうわかった。もう読まなくてもいいんじゃないか。私もそう思いました。

でも、本文を読んだらとっても面白くて置くこと能わざるを経験します。そりゃそうでしょ。原作やアニメで、あんなにも親しんできた物語を女史が案内するんですよ!なんか町山智浩さんの映画評につながるところが、女史の文学評にはある気がする。文体が読みやすいわりには構成がしっかりしていて、新しい視点がある。そして、反権力という点で一本芯が通っている!そういう意味では丸谷才一や吉田健一とは違う。
‥‥それはともかく、やはり1番面白かったのは、(4)の部分です。特に、女史が想像したり紹介したりする「その後の物語」には共感しきりです。

何度も言いますが、私は一貫して「頑張る女の子」推しです。決して「男の子」ではない。
何故なんだろう。
女の子には、男の子よりも「未来」がある気がするから。
元男の子だった私の叶えなかった夢を叶えてくれそうな気がするから。
元男の子の勝手な思い込みなのかな。
でも、こんなこと、市井のいち老人が言っても女の子は誰ひとりとして「責任」なんか感じたりしないでしょ。
でも男の子は、そんなこと聞くと何故か一定数「責任」を感じるんです。そこんところが、違いかな。






最終更新日  2021年09月16日 23時51分41秒
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2021年09月08日
テーマ:本日の1冊(3549)


「もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵」著者:椎名 誠 本の雑誌社

よく考えたら、初めての椎名誠だった。
なぜ、紐解いたかというと、昔の雑誌を俎上に上げているという噂を聞いたから。「本の雑誌社」2冊目の単行本(1981発行)らしく、もはやこの文章群自体が考古学遺物扱いの貴重な「時代の証言」なのではないか?と当たりをつけたからである。

読んでみると一部予想は当たり、一部当たらなかった。当たらなかったのは、表題作の小説(本を読んでいないと、禁断症状が出てしまうほどの活字中毒である本の雑誌発行人、めぐろ・こおじを罠にはめて、味噌蔵に閉じ込めてしまう話)である。発行当時はかなり話題になり、お陰で売れたらしいが、素人の書き殴りにすぎない。椎名誠初めての小説だったらしいので、宜(むべ)なるかなとは思う。

そのあとは、当時(読まれない)全集を訪問販売で売っていた「ほるぷ出版」を罵倒する文章(1979)や「サンリオ出版「恐怖の報酬」のウンコ的本づくりに文句をつける!」(1978)など、いかにも考古学遺物らしい文章が続く。今書いたら即炎上モノの文章が多い。因みに、今さっき「ほるぷ出版」は倒産したのだろうかと思ってWikipediaで調べたら、まぁここでは言い表せない複雑な40年を経ていた。ある意味日本の出版史を体現するかのような展開だった(^^;)。

また、婦人雑誌も俎上に上げる。ある本屋を覗くと、その四雑誌はみーんな赤色の表紙に金ピカ文字がついていたそう。当時の代表的な女優が勢揃いしている。「主婦の友」(松坂慶子)「婦人倶楽部」(十朱幸代)「婦人生活」(栗原小巻)「主婦と生活」(吉永小百合)‥‥いずれも1979年1月号で、すべて家計簿など七大付録が恐ろしいほど似通っているという。現代日本民俗史に堂々と記録しておくべき文章だと思う。

まだ生き残っている雑誌や、名前すら何十年間も思い出さなかった雑誌が、数十冊阻止にあげられていた。とても面白かった。






最終更新日  2021年09月08日 18時14分59秒
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テーマ:本日の1冊(3549)


「維新史再考 公議・王政から集権・脱身分化へ」三谷博 NHK出版

本書を紐解いたのは「図書8月号」の三谷博さんの寄稿文を読んだためだ。そこでは、「廃藩置県」という、武士階級を廃絶させて7割近くの武士を解雇した大変革に対して、何故武士の側から大きな抵抗が生まれなかったのか、を分析していた。

これは実は、「弥生時代の倭国大乱が大戦争を経ずして話し合いで統一された」という私の問題意識と同一のものであり、俄然興味を持った。著者はたくさんの著書を物にしているが、1番関係性があると思われる本書を採った。ところがいざ読み始めると、想像以上に緻密で総合的、そして独創的な維新史論だった。此処で展開するのは、荷が重いかもしれない。勉強のため、出来るだけ(私流に)まとめようと思う。

本書の概要は「まえがき」で以下のようにまとめられている。
1858(安政5)年、アメリカとの修好通商条約の締結と将軍の養嗣子選定の問題が複合して近世未曾有の政変が勃発し、それを機に近世の政治体制が大崩壊を始めた。その時、認識されていた政治課題を集約する象徴は「公議」「公論」、および「王政」であった。幕末10年の政治動乱は、この2点を軸に展開したのである。それが、2つの王政復古案に集約され、徳川支配を全面否定する方が勝利したときには、次の課題が発見されていた。集権化と脱身分化である。(略)新政府は成立の3年半後には廃藩や身分解放令によって、その枠組みを作った。きわめて急進的な施策である。(5p)
←一般的に、維新は「黒船の衝撃で始まった」と言われているが、三谷さんは「安政5年の政変」を最も重視しています。それからの10年で「御一新」を迎えたのが前半。その後の10年もかなりの激動だったという。明治の歴史は薩長の歴史観でまとめられていて、我々は維新の志士が歴史を作ったのだと思っている。そこから抜け出せないでいたのが問題だった。とても刺激になりました。

以下前半の各論。
⚫︎近世日本の国家は「双頭・連邦」国家と要約できるように、分権的かつ階層的に組織されていた。この国家は、隣国の清朝や朝鮮のような、科挙と朱子学を核とする一元的な組織と比べると解体が容易であった。それは近世の間に生じた各種の不整合、「権」と「禄」の不整合、さらに実際の制度や慣習とズレた規範的秩序像の登場によって、可能性が強まった。19世紀の日本には現存秩序を正面から否定し、破壊しようとする教義はほとんど存在しなかった。大塩平八郎は稀有の例外である。しかし、権力の規制なしに流布したこの天皇中心の新たな秩序像は「日本」を大名国家を超える至高の秩序と見做し、2つの中心のうち一方だけ禁裏を無条件の中心として想定した。近世国家が容易に解体し、しかも直ちに統合に向かった背景には、このような条件があったのではないかと考えられる。(69p)
←つまり、江戸時代最初から天皇もいる「双頭・連邦」国家は知識人の中では知識としては知られていたが、それを重要問題として明らかにしたのは本居宣長以降、それを尊皇思想としてまとめた藤田東湖以降だというのである。ハッと気がついたのは、「双頭・連邦」国家は「現代日本」も同じということだ。もちろん、憲法の制約もあるし、天皇自身に「その気」がないのは知っている。しかし、何かのキッカケで日本が再び「大きな犠牲者無く」一人の人物による一極集中国家になる潜在的な性格があることは頭の隅に置いておきたい。

⚫︎幕末日本の外交環境はかなり恵まれたものであった。近隣に同盟国を見出せないという弱みはあったが、他地域で侵略をためらわなかった西洋諸国は、日本ではもっぱら市場の確保にのみ関心を注いでいた。(略)他地域でしばしば見られたような、内乱が列強の間の勢力競争と結合し、収束不能となって、国内諸勢力の共倒れとなる事態は、回避されたのである。(125p)
←この時期、もし英仏が香港のように日本に戦争を仕掛けていたら、ひとたまりもなかったろう。また、英仏の代理戦争を強制させられていたら、と思うとゾッとする。もちろん、勝や西郷などの「警戒心」はあったが、それ以上に運命的な「運」もあった気がする。

⚫︎一旦始まった敵対関係は、暴力行使という薪をくべられて、さらに激しく燃え上がっていった。一橋党の処分が第一段、王政復古の運動家の逮捕が第二段、公家の処分が第三段、最終的断獄が第四段。ここまでは幕府側の一方的暴力行使だったが、それは桜田門外ノ変という反撃に行きつき、その後はテロリズムの模倣が拡がっていった。暴力は被害者当事者とその近親者の間に根深い怨念を植え付ける。かつての競争相手は不倶戴天の敵と変わり、報復と破壊への願望は日増しに募って、相手方が破滅するまで止むことがない。途中で相手が宥和の姿勢を見せても、それはむしろ弱さと解釈されて、報復衝動はより高まる。暴力は一旦応酬が始まると著しく停止困難となるのである。優勢な方は「暴力を止めるための暴力」と意味付けるが、それが功を奏するとは限らない。秩序回復の努力自体が逆に紛争を拡大し、その中で、政治的妥協は絶望的になってゆくのである。(160p)
←これらの「暴力の連鎖」は、今現在、アフガン国で展開されている。人間てヤツは‥‥。

⚫︎文久三年(1863)八月十八日のの政変後、急進攘夷派がいなくなった京都では秩序再建の試みが始まった。(略)幕府は自らの権力独占を守るに急で有志大名を排除し、横浜鎖港という実現困難な政策を使って天皇を味方に取り込んだ。短期的には大成功であったが、これは長持ちする策ではなかった。名賢侯を追い出し、更には西洋の軍事圧力を呼び寄せる。(205p)
←現代日本政府を見ているよう。近視眼的で、結局大局を誤る。

⚫︎慶応3年夏の四侯会議の挫折から鳥羽伏見の戦いの勃発までの中央政局は、武力行使の可能性を明示した上での多数派工作を主軸に展開した。(略)しかし、慶喜はクーデターに憤激した幕臣を抑えきれず、開戦の道を開いた結果、政治的成功を手放した。慶応3年後半の政治家たちは、戦争の可能性を絶えず意識しながら、その都度、戦争の回避を選択し、もっぱら政治ゲームで勝つ工夫を凝らした。最後は開戦に行き着くことになったが、この政治的知恵比べは無駄にはならなかった。慶喜は抵抗を避け、彼の擁護に全力を傾けていた土・尾・越は新政府に留まってその有力な構成員になった。クーデターで掲げられた「公議」の理念はよりさらに発展させられ、逆に武力反抗する大名は東北の一隅に留まった。維新における政治的死者の少なさは、抜本的な改革を多数派工作を通じて行おうとした、この年の努力に負うところが少なくなかったのではないだろうか。(304p)
←三谷さんは、慶喜の京都での「戦争回避の努力」は無駄ではなかったと「総括」する。右か左か、を選択する時に、現代日本のように「北朝鮮への武力介入」「台湾有事への対応」「核兵器を持つべき」という発想をする閣僚が、いかに未来に於いて「危ない人たち」なのかを、私は改めて知る。明治維新が、なぜ世界史的に平和裡に終わったかを、私はもっと知りたいと思う。

ここで、時間切れになった。
私の問題意識とかなりかぶるところがある以上、購入することにした。残りの部分は「電子書籍」版に書くことにしよう。






最終更新日  2021年09月08日 01時39分34秒
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2021年09月03日
テーマ:本日の1冊(3549)


「図書2021年9月号」

吉田篤弘さんの「王子さまのいない星(下)」。8月号の(上)は謎の提示編でした。私は「アンチ星の王子さま」になるのだろうか?と予想していたのですが、普通の吉田篤弘版星の王子さま論でした。まぁそれでも、学びはありました。久しぶりに読んでみようかな。

大変おもしろかったのは、落語家・柳家三三さんの「無駄と遠廻りと、行きあたりばったりと」。私は書評だけでなく、映画評や凡ゆる文章も、遠廻りに他の話題から入る癖があって、三三(さんざ)さんが「マクラがどんどん脱線して何の話をしていたのか分からなくなってしまう現象」にはとても共感します。今回の三三さんのは巻頭寄稿なので、流石に綺麗にまとめています。

とっても共感したといえば、柳広司さんの「時差式」。編集者の「時事ネタでお願いします」という要請に、「6月末時点で時事ネタは(略)東京だけで大騒ぎしている五輪開催の行方でも、ワクチン接種段取りの不手際でも、お店でのアルコール提供は何時までといったことでもなく「重要土地利用規制法成立」の一事につきる」というチョイスの仕方です。「えっ?重要土地利‥‥何それ?」と思った貴方、それこそが現代日本を象徴している現象です。柳さんは「ひどいザル法」「戦前の治安維持法そっくり」と言っています。柳さん同様、私もこんな酷い法案、流石に今国会では通らないだろうと思っていたらしらっーと通ってしまいました。柳さんは字数の関係か書いていないけど、この法律明らかに憲法違反なんですよ。憲法第三十一条「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」ところがこの法律、肝心の「法律の定める手続き」が一切書かれていない。全部政府に丸投げ、閣議決定でいくらでも細かいことは決められる。例えば辺野古基地を指定軍事施設にすれば「沖縄辺野古基地に反対する人々を逮捕できる」んです。例えば、貴方のすぐ側にも「軍事施設」はあるはずです。その周り10数メートルでは、総ての「不穏な動き」は監視されても文句は言えなくなります。土地を持っていたら、接収・利用されても文句は言えなくなります。知ってました?知らないでしょ。でも「私たちは知らされていなかったんです」というのは、先の大戦でも数多くの庶民が言っていたことなんですよ。「ザル法の弊害は時差式で現れる」。来年施行までに法律廃止が唯一の方法です。






最終更新日  2021年09月03日 12時58分17秒
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2021年08月31日
テーマ:本日の1冊(3549)


「本の道しるべ NHK趣味どきっ!2020年10-11月号」

気になる人の本棚を拝見できると聞いて取り寄せた。本棚には、その人の精神世界が写し込まれていると思う。よって特に平松洋子さんの本棚を見たかった。

残念ながら、写真家の方に思い入れがないのか、殆どの本の書影が鮮明ではない。ものすごい量の本に囲まれて過ごしているというのはよくわかった。私はもっと本は少なくて、もっぱら料理ばかり作ったり食べたりしているのかと思いきや「今は、1日のほとんどが読む時間と書く時間」とのこと。雑然とした本の並べ方に親近感を持つ。「小学校に上がる前、夕飯の買い物に行くときにはいつも片方の手をお母さんと手をつなぎ、もう一方の手に読みかけの絵本を持っていた」そう。同じ倉敷市出身。あの西阿知の町にそんな少女がいたのか。薄い綺麗な缶を付箋紙入れ、手作りのペーパーウエイトを使ってるそう。同じもんじゃないけど真似してみよう。

もう一人ビックリしたのは、岩波「図書」で美術史の連載をしていた橋本麻里さんの本棚。なんと夫と合わせて五万冊収蔵の、もはや図書館と言っていい「家」を建てている。全部読む必要はない、背表紙を見るだけで意味がある、という主張(←同意する)のもと、まさしく本に囲まれて過ごしている。そんな芸当のできない庶民の我々には、行きつけの大型書店や図書館を決めて「棚の景色」を覚えて、「知識のマップをつくり、世界への入り口にする」ことをお勧めしてくれています。やってみよ。

渡辺麻里奈さんの本棚が最もうちの本棚に近かったかな。その他の本棚は、矢部太郎、祖父江慎、穂村弘、飛田和緒、坂本美雨でした。その他、テーマのある本屋さんの楽しみ方、読者会の楽しみ方などが特集されています。






最終更新日  2021年08月31日 08時08分36秒
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