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再出発日記

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考古学

2021年05月05日
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カテゴリ:考古学


昨晩(5月4日)、NHKの「ミステリアス古墳スペシャル」という番組を偶然見た。知らなかったが、第三弾らしい。

全国の「珍しい」古墳を取り上げて、ゲストが素人目線でその魅力を語り、地元の専門家が解説し、松木武彦さんが番組内でコメントするというもの。

(NHK WEBより)
放送 2021年5月4日(火)午後10時〜10時45分[NHK総合]
全国に15万もあるという古墳。そこには古代の謎と驚きがいっぱい。今回のテーマは不思議な姿形。選び抜かれた5つを紹介しながら、おすすめナンバー1の古墳を決定する。
古墳には謎と驚きがいっぱい。今回は不思議な姿の古墳を大特集。茨城の真っ赤な壁画が描かれた古墳。九州に多い壁画古墳がなぜ関東に?前方後円墳の本場・大阪になぜかひょうたん型古墳、四国・香川には古代の最先端技術で作られた石積み古墳、埼玉には横穴が岩壁いっぱいに掘られた古墳マンション、和歌山には怪人ハニワに守られた緑石の古墳。謎から知られざる古代が浮かび上がる。この番組を見ればきっと古墳に行きたくなる!
【司会】恵俊彰、赤木野々花
【出演】武田双雲、ウルフルケイスケ、堀口茉純、国立歴史民俗博物館教授…松木武彦
不思議な古墳を大特集
[1]虎塚古墳/茨城県ひたちなか市
地下に眠る赤い模様のミステリー
九州の豪族が大和王権の命を受けて攻めてきた。
石室の外から多くの副葬品が発見されたことから、石室が何者かによって乗っ取られたのではないか!?
[2]金山古墳/大阪府河南町
可愛すぎる!なにわのひょうたん型古墳「金山古墳」
2つの丸い古墳がくっついたものは全国でも唯一ここだけ。
石室とその手前の通路に棺が。
[3]吉見百穴/埼玉県吉見町
山肌が穴だらけ!謎だらけ!
穴は全部で219個あり、棺が置かれていた跡も残っている。
[4]野田院古墳/香川県善通寺市
石造りの巨大バースデーケーキ!?基礎から表面まで石だけでできている
瀬戸内海は交通の要所。高句麗の影響?
[5]石橋千塚古墳群/和歌山県和歌山市
200基以上の古墳がある
天王塚古墳…巨大石室がある。怪人が守る青井地下王国!
大日山35号墳…翼を広げた鳥型埴輪、両面人物埴輪などの埴輪が興味深い古墳満載!

虎塚古墳は、ほとんど熊本の装飾古墳そのままの内部である。海から来た熊本勢力が作ったのだろうと言われている。

河南町の金山古墳は、以前行ったことがある。その墳頂から観た河内の町の雨と晴れ間のスペクタルは忘れられない。


その他、セレブの墓のタワーマンションかという表現で吉見百穴古墳群。
讃岐地方独特の石積み古墳(全てカンカン石とは初めて知った)の野田院古墳(写真)。←コレは行ってみたい。
そして、美人の学芸員のいる紀伊風土記の丘の石橋千塚古墳群の荘厳な天王塚古墳は、整備されたならば是非とも行きたい!







最終更新日  2021年05月05日 12時36分57秒
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2021年03月28日
カテゴリ:考古学
 26日(土曜)、NHKEテレにて「誕生 大和王権」が放映された。弥生時代から古墳時代にかけての、一般視聴者には目新しい情報がわかりやすく解説された。それを私の責任に於いてメモした。MCは松木武彦歴博教授。



・箸墓古墳は、炭素14年代法によって(240-260)の間に限定された。


・ミューオン(宇宙線)を使っての箸墓古墳へのレントゲンを試みている。まだその途中らしい。(←てっきりもう済んでいるのだとばっかり思っていた)

箸墓古墳葬られた人は?
(1)卑弥呼?  (松木武彦も此方をとっているらしい)
(2)大和王権初期の大王(崇神?)の2通りがある。


ヤマト王権とは?
日本最初の中央政府である‥‥現在日本政府の直接の原型であり、とても重要だ。3-4世紀成立。葺石(出雲)・特殊器台(吉備)・鏡(北九州)・積み石(香川)などの特徴があり、統合国家の成り立ちを示している。
この古墳の在り方自体が何を証明するか?
「地域同士が武力統一戦争なしの国家形成をした」(松木武彦)
「この成り立ち自体が、今の日本社会の在り方に大きな影響を与えている」


(楯築墳丘墓の祭祀予想図)

どのようにできたか?
「北部九州、吉備・瀬戸内海の東部・」「吉備・畿内」「伊都国中心」「河内・東海」等々いろいろ諸説ある。






(纏向遺跡の想像図)

何故突如、できたか?
出雲は?見せる古墳をつくった。
糸島 いとこく 平原王墓形は小さくなったが、出土遺物はすごい。鏡40枚。アマテラス信仰
吉備 楯築墳丘墓 箸墓土器は吉備の土?


箸墓前夜に何が起きたか?
倭国乱が起きた。
しかし戦争の証拠はほとんど見つかっていない。
乱れていたのは、気候変動なのではないか?
弥生末期は、大雨の未曾有の混乱があった?
災害の影響を受けにくかったのがヤマトなのでは?
洪水が受けにくく、列島各地から川から行きやすい。だから拠点を纏向遺跡にした?
3世紀前半の王宮が発見された。
「箸墓古墳は最初の大きなメディア。亡き王を神々の世界に返す、そして我々を見守ってくれる。そういう儀式をした。最初の国家的儀式の始まりなのでは?国ができるときのポイントになったのでは?」(松木)200年後に大山古墳。その形はずっと続いた。


会津 杵が森古墳(前方後円墳)が箸墓古墳の1/6で、箸墓から間もない頃作られた。同じ設計図で作られた。
他に同じ設計図の古墳はどのくらいあるのか?
吉備 しじかいさんのうじ古墳
   浦間茶臼山古墳1/2
数年以内に22基の同じ設計図古墳ができた。連合の証として、古墳を作らせたのか。首長は参加に入ることで、ギブアンドテイクがあった。
ヤマトはモデルチェンジしながら、その設計図を渡した。
網野銚子山古墳 雷神山古墳 宝来山古墳 等々が相似形
前方後円墳 全国で約400基
古墳作りに必要な土木技術 測量・築堤技術で稲作は進んだ。平和と豊かさ 古代の民の叡智は箸墓から始まったのでは?







最終更新日  2021年03月28日 18時31分50秒
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2021年02月15日
テーマ:本日の1冊(3554)
カテゴリ:考古学

「考古学ガイドブック」小野昭 シリーズ「遺跡を学ぶ」別冊5 新泉社

ひとつの遺跡を深く掘り下げるシリーズ「遺跡を学ぶ」の、その別冊の5番目。とうとう「発掘作業」や「概論」を解説する本が登場した。

大学の考古学教科書をわかりやすく解説したような内容。或いは、博物館の図録でよくある小学生向け「発掘とは何か」を10倍詳しくしたような内容。高校生の考古学志望学生には必読文献になりそうだし、大学生にとっても役に立つだろう。私たちのような考古学ファンにとっては、所々に目から鱗の「技術」「考え方」があって、とっても面白かった。

例えば、
・現代考古学では最新の探査機器や分析装置を駆使しているが、人の目と手の判断はまだ充分必要とされている。地層の中の0.2ミリほどのガラス片が太陽に反射して光るところから火山層の標準を発見したり、堆積層の微妙な違いを指で押して見当をつける技術は機械では無理だ。←発掘現場でいつも感心するのは、ホントに微妙な色の違いでどうして柱の跡が分かるのか、ということ。
・22pの土器編年のわかりやすい写真解説はよかった。
・復元模型の例として、群馬県西組古墳時代遺跡と長野県浅間縄文ミュージアムのジオラマを紹介していた。私は中部日本以北の博物館にはあまり行けていないので、これら復元のリアルさと解釈の仕方、文明発達の度合に驚愕した。あゝ日本全国の博物館を巡りたい!

特徴的なのは、21のイシューのうち後半7章は、現代における考古学という学問の課題について、著者の意見を積極的に展開している事だろう。
 例えば、歴史記述の問題。多民族国家の外国では特に大きく問題になるが、日本でも問題にすべきだとする。改めて「邪馬台国は、日本国の問題として見るべきなのか?それとも客観的な存在としての歴史として見るのか?そんなことをすれば無責任だと非難されるのか?」
←私たちは、改めて日本という国家ができる以前の歴史について、考えなければならないと感じた(いや、中世・近世、近代でも未だ日本列島には日本国ではない領土は広く存在していた)。
 ←こう言われて初めて「もしかしたら、卑弥呼は魏国の一支国としての意識しか持っていなかったのかもしれない」という視点が生まれた。もちろん可能性に過ぎない。万が一、邪馬台国が魏国とまるきり同じ価値観を持っていた時、縄文から続く銅鐸文化という独自の価値観を発達させた弥生文化が邪馬台国と対立するのは、必然だろう。反対に、邪馬台国が魏の価値観と対立する時には、また違う歴史記述になるだろう。どちらを想定するかで、「歴史記述」は、全く違ってくる。

その他、文化財の保護、国際協力、歴史観等々、広く世界的視点からの考古学を語っていて新鮮だった。






最終更新日  2021年02月15日 23時55分08秒
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2020年12月25日
カテゴリ:考古学
岡山市操山古墳群を久しぶりに歩きました。いつもビジターセンターから上がっていくのですが、初めて護国神社から上がってみました。すると、これまで観たことのない景色が見れたのです。


裏山入り口の比較的急なクネクネ道を上がってゆくと、仏心寺の霊園に辿り着きます。ここが、意外と見晴らしが良い。




そのあと、今まで道を外れるので行っていなかった旗振り古墳に辿り着きました。わりと大きな方墳でした。


ここにある展望台には、説明板がついていて親切です。今回気がついたのは、この操山から海があまりにも近い。ということ。おそらく古墳時代には、山の裾野まで海岸線が迫っていた筈だ。だとすると、多くの古墳は海に面していたことになる。


至る所に、石室の石の加工作りかけがあった。
鬼滅の刃みたいにスパッと切れている石は、何故かお賽銭が置かれている。




6世紀の荻の塚古墳は、羨道も広く、中も人が大勢入れる。


そこから暫く行くと岡山市街を一望する展望台があった。


操山の上に非常に多くの古墳を配置して、その北の裾野は弥生時代有数の遺跡(おそらく古墳時代まで続いた)。こういう土地を私は最近見たことがある。福山市御領遺跡である。聖なる山を配した、小さな王国。それは珍しいことではないのかもしれない。


湊茶臼山古墳にも登ってみた。国際ホテルを右手に見て進むとゴルフ場が左手にある。そこから紅葉の操山がよく見える。古代には尾根続きだったと思えるこのコースを行っていると、そこから左手に見える尾根山の頂に湊茶臼山古墳がある。


そこから何が見えるのか?
操山の麓には田圃は広がっていないと思えるので、おそらく開けたところは海しか見えない筈だ。吉備穴海という、航海ルートの要が見えた筈だ。それに睨みを効かす首長の墓だったのだろうか?


後円部に向かって、左側がちょうど真東になり、22日の冬至に近い日の朝日が遠くの島から登っていた。






最終更新日  2020年12月25日 13時43分08秒
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2020年12月12日
カテゴリ:考古学
御領遺跡スタンプラリーのあと、実は今日のメインイベント、御領の弥生遺跡探索に向かった。



資料は、前回の時に写させてもらった御領遺跡地図である。ここに弥生遺跡の場所と、土器が採取された場所が載っている。


ちゃんと発掘して名前が付いていると思われる馬場遺跡は、おそらく「ひらの保育園」横の、この広い広場だと思える。どう活用しようか、未だ決まっていないのだ。この周りの田んぼと畑を見て回る。畑や田んぼは常に耕しているし、低いところにあるので、もし土器があれば、「邪魔者」として、石ころと共に隅の方に固まっているからである。どうやら幼稚園周りにはなかった。


そこから見える弥生土器が採取されたと言われる山裾を見て回る。家の前になんらかの御神体を祀ってあった。古墳時代や弥生時代と関係あるとは思わないが、ここが「聖なる場所」であるという匂いがプンプンとする。




その御神体より少し東側の溝前にこんな土器があった。明らかに、弥生土器か古墳土器かは判然としないが、土器である。





これは、弥生土器の口縁か、埴輪の部分だろうか。



さらにちょっと西に行って、田んぼの土手の上にこんな、弥生土器らしきものがあった。


地図上では、ヒジヤ川が流れていた小さな谷である。最初の二つは、地図上では「平野」の文字がある辺り。次は「石田」の右下辺りである。

私的には、弥生時代の遺跡を発掘してほしい。


そのあとは、3月の時にはコロナで閉館になっていた「井原市文化財センター古代まほろば館」に入る。平成4年に下稲木町の畑で発見された袈裟襷文銅鐸(明見銅鐸)の埋納祀りのジオラマが迎えてくれた。


埋納状況がわかる貴重な銅鐸である。


その他、木之子町で発掘された、十二区分された全国唯一重文の十二区袈裟襷文銅鐸のレプリカも置いてあった。
















とすると、御領の隣のこの井原が、弥生時代では中心地だった可能性もないわけではない。ここには、弥生・古墳時代に限って、予想外の多くの遺物が展示されていた。寺屋敷銅鐸、猿森銅鐸、明見銅鐸、高越遺跡、草足塚西遺跡、鳶が迫遺跡、権現平遺跡、五万原遺跡などの弥生遺跡である。まほろば館自体は閑古鳥がなっているし、古代のまともな図録はないけれども、御領遺跡の成り立ちを考える意味でも、もっと注目するべき地域であり、資料館かもしれない。






最終更新日  2020年12月12日 11時26分06秒
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2020年12月11日
カテゴリ:考古学
12月6日、福山市御領古墳群スタンプラリーに参加させてもらいました。

前回は、弥生時代「かもしれない」前方後円墳の遺跡巡りをしたのですが、この遺跡の1番多い遺構は古墳時代後期の古墳群です。それを見ておきたいと思いました。



上御領中組古墳群を見て、御領のシンボル八丈岩にたどり着く、スタンプラリーコースです。


1番目は上御領中組18号古墳。全長8.3m。天井石の一つの石だけがカンカン石になっている。どういう石質だとこうなるのか?どういう意味があるのか?


次の37号墳にもカンカン石が使われている。全長5.5m。





上御領中組40号古墳。最も新しい古墳。1番大きく立派。左右対称、1番大きな天井石であり、そして加工後に削って化粧をしている手間、当時の首長墓と見られている。十分中に入れる。全長8.2m。高さ1.8m。


円墳。こういうのがたくさんある。


41号墳。向きがこれだけ南西向き。最初期の古墳と見られている。前方に羨道と思しき側壁構造。片袖式石室か。


くぐり抜けができる石室。


道沿いのドライブスルー式古墳。子どもたちが嬉々と登っていた。

そのあと、八丈岩に向かう。


頂上近くに、石室につかおうとしたのか、加工途中さの大石もあった。どちらにせよ、ものすごい労力がいっただろう。と思う。


この辺りには、大きな岩がゴロゴロしいて、奇観でもあり、壮観でもある。弥生から古墳、中世にかけておそらく都市的景観が広がっていると思われる御領遺跡が「一望」できる。


また、遠く山の間からわずかに瀬戸内海、その向こうに笠岡の北木島と白石島が見える(写真の方がハッキリ見えるぞ!山笠を逆さにしたようなのが確か白石島だと思う)。今日のようによく見える日は珍しいという。ただ、ここから見える、ということが重要だと思う。これらによって、この一帯は磐座(いわくら)、神の依代スポットであった可能性が高くなった。


八丈岩は古くは八龍岩と呼ばれたらしい。雨乞いは、ここでなされた可能性が高いだろう。また、龍神信仰の片われが、吉備国西の端の此処でも残っているのが興味深い。


山伏修験者のお社もあった。


金曜日のパン工房さんが出張販売に来ていた。古墳クッキーらしい。前回の古墳弁当といい、こういうのを作ってくれるお店を持っていることが素晴らしいと思う。


これは、なんと勾玉をあしらったコロネとのこと。9時から12時過ぎの良い運動だった。この後、ちょいと弥生遺跡探索に足を伸ばす。そこで小さな「発見」があった。






最終更新日  2020年12月11日 11時26分44秒
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2020年11月29日
テーマ:京都。(5705)
カテゴリ:考古学

「考古図録 京都大学総合博物館収蔵資料目録第3号」京都大学総合博物館

写真はカラー。127p。2017年発行。定価1800円。
編集 京都大学総合博物館
発行 (株)アクディブKEI
目次 頁
考古資料の概要        4
第一部 日本 縄文・弥生時代 9
第二部 日本 古墳時代    33
第三部 日本 古代      63
第四部 中国・朝鮮半島    77
第五部 エジプト       101
付篇  各地の文字資料    107
掲載資料一覧         113


京都大学の収蔵資料目録なので、驚きの視点はない。
京都大学が独自に発掘してきた有名遺跡は多い。
私の関心から縄文・弥生・古墳時代だけ記す。
・国府遺跡
・北白川遺跡(吉田キャンパスの東側)
・長野県海戸遺跡の縄文土器
・神奈川県菊名貝塚
・沖縄県崎樋川貝塚
・岡山県津雲貝塚
以上が縄文時代。津雲貝塚は京都大学が調査したのか!骨がない。そっちは東大にとられたのだろうか。

縄文から弥生へ。その二つともあるのが、滋賀県滋賀里遺跡である。
唐古遺跡は、流石に遺物が豊富。7頁にもわたって取り扱っている。
須玖岡本遺跡の銅剣やその鋳型、そして甕棺墓。

圧倒的には、椿井大塚山古墳の30面にも及ぶ三角縁神獣鏡、または画文帯神獣鏡、または方格規?四神鏡、四葉座内行花文鏡、である。甲冑、剣やヤリ、鉄鏃、鉄斧などを載せる。
安土瓢箪山古墳の青銅器の数々も。
元稲荷古墳の特殊器台形埴輪と特殊壺形埴輪の現物は、ここにあった。
久津川車塚古墳の石棺の本物もここにある。
なるほど、関西アカデミーの頂点として、優れた逸品は手元に取っておくわけだ。
その割には、ほとんど解説がない。せっかく図録を作ったのだから、これまでの成果を惜しみなく書くべきではないか?

非常に頭にくる。

もうこの博物館には行かない。



「台湾民俗資料 京都大学総合博物館収蔵資料目録第6号」
2019年。カラー75p。確か2200円ほどだったと思う。
編著 岩崎奈緒子 郭美芳
発行 京都大学総合博物館

ほぼ全ての民俗資料に、日本語と台湾語の解説がつく。とても誠実な編集だと思う。改めて、台湾の「民芸」の技術の高さを知る。






最終更新日  2020年11月29日 07時39分22秒
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2020年11月26日
テーマ:京都。(5705)
カテゴリ:考古学
せっかく京都に赴いて、一万円以上叩いて図録を持って帰ったので、幾つかを紹介しておきたい。


「向日丘陵の前期古墳」
2004年特別展図録 40p 総カラー 値段500円?
総論、元稲荷古墳、寺戸大塚古墳、寺戸大塚古墳の三角縁獣神鏡、妙見山古墳、北山古墳・五塚原古墳、一本松塚古墳を扱う。本文は都出比呂志、近藤喬一であり、この手の図録としては例外的にわかりやすく、総合的。


乙訓地域の古墳の変遷の表と地図を見てほしい。
盟主墳の断絶と移動が3回起きているのを説明している。
すなわち、4世紀末から5世紀前葉。それ以前には「向日系譜」として、元稲荷、寺戸大塚、北山、一本松原、妙見山、五塚原がある。
そのあと、5世紀末に長岡系譜、山田系譜に移り、
そのあと、6世紀前葉に再び向日系譜(物集女車塚古墳)に戻り、6世紀後半に長岡系譜に移っているらしい。

この3回を、都出比呂志は、箸墓古墳、伝応神陵古墳、今城塚古墳に対応させている。

この図録は発掘時の写真を多量に掲載していて貴重。
また、元稲荷の特殊器台形・壺形埴輪を丁寧に掲載していて嬉しかった。この埴輪が、箸墓古墳や都月1号墳と類似していると都出さんが述べていることに、私としては興奮した。

その他の解説も非常に丁寧。特に、寺戸大塚古墳出土品の解説は勘で含めるようだ。


「常設展示図録 長岡京の歴史と文化」
1984年発行 2011年2度目の改訂版発行 40p
向井市文化資料館編集発行

長岡京の発掘は現在も続いていて、改訂も暫く経つと行っているようだ。そういう意味では誠実な図録である。

早川和子さんが、4枚の再現絵を描いてくれていて、イメージがしやすい図録になっている。また、比較的文字も大きくしようと努力しているし、写真は全部カラーである。長岡京学習の入門編としては最適。


「再現 長岡京」
2001年発行 2015年2度目の改訂版発行 49p
向井市埋蔵文化財センター編集・向井市発行

写真は1色から2色刷りではあるが、情報量は文化資料館のそれよりも遥かに多い。もっとも前著は展示遺物の解説という縛りがあったのに、こちらには無いし、最近の発行なので、更に最近知見を入れることができたからだろう。



「常設展示図録 城陽の歴史と文化財」
2007年発行 40p 1000円? 写真はカラー
城陽市歴史民俗資料館発行

資料館のリニューアルを機に内容を一新したらしいが、芝原古墳の3世紀末の前方後方墳であることの記載がない。非常に見劣りがする図録。






最終更新日  2020年11月26日 17時59分54秒
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2020年11月13日
テーマ:京都。(5705)
カテゴリ:考古学
京都旅3日目の3話目にして、最後のレポート。


五塚原古墳は、なんと台風で通行止になっていた。残念。諦める。












そこから元稲荷を目指す途中、桜の園の道に出会う。写真はその一部だが、説明を読んで欲しい。素晴らしいところだと思う。桜の季節に来たいけど、無理だろうなぁ。





元稲荷古墳。向日丘陵の先端に位置する古墳時代前期の乙訓地域で最初に築かれた全長92mの全国的にも数少ない前方後方墳。なんと、特殊器台型埴輪や壺型埴輪などが出ている。3世紀の築造だと予想されている。







登るとものすごく高い。木々はなかったら、伏見まで見えていたらしい。





そこから隣に向日神社がある。奈良時代、718年創建と伝えられている。1422年上棟された本殿は三間社流造で国の重要文化財。



その隣に北山遺跡がある。



弥生時代の高地性集落で方形周溝墓もある。天文館を作る時に発見された。







そこからの眺めが最も素晴らしい!パラノマ式にご想像ください。ニ枚目遠くに見える山は、天下分け目の天王山。山崎の戦いの場だと思う。











長岡京跡の太極殿、小安殿跡に行く。



更には朝堂院跡に行き、そこで昼食の場を聞く。少し遠回りだけど、キッチンタロウを教えてもらう。流石地元の人だ。美味しかった。800円。



西国街道に入ると、古い建物があった。



その家の右手に折り畳み式の縁台がある。これは、前回でも見たが、この地域でしか見たことがない。



また、いかにも京都らしい屋根の形。





愛宕山式灯籠が至る所にあった。火事を防ぐ願いを込めた灯籠らしい。



森本遺跡。



向陽小学校庭にある。職員室への声かけがめんどくさくて、遠くから眺めただけ。



実物は向日文化資料館にあったが、極めて珍しい人面付き壺型土器が出土した。祭祀に使われたと予測されている。弥生時代にしては、あまりにも表情がある。良いのか?
人面土器は後期(紀元前後)の水路から発見された。森本遺跡の人々は、住居を台地に集め、耕作地を低湿地だけでなくやや乾燥した半湿田へも拡大したので、米の収穫量は大変増加したらしい。対策として用水路を作り、そのための矢板は一万本以上用意したという。水路で人面土器が発見されたということは、悪魔をはらい豊作を祈念する祭祀をしていたのか?


弥生時代の遺跡地図。正に長岡京に被るように、延々と弥生時代の遺跡がある。この辺りは、弥生都市とも言って良いほどの人口密度だったのではないか?そうやって、やがて数百年後のに都に選ばれたのである。ここで、今回の旅は終わる。

歩数は2万9千歩を超えた。








最終更新日  2020年11月13日 11時21分26秒
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2020年11月12日
テーマ:京都。(5705)
カテゴリ:考古学

向井市文化資料館の展示を、後々写真を見ながら「そうだったのか!」と感心しながら見ている。少し詳しく載せる。


交通の結節点である、この地域でさまざまな「乱」があったことは想像に難くないだろう。




弥生中期の下植野南遺跡の方形周溝墓において、武器制石器が多数出土している。






神足遺跡と硲(はざま)遺跡も中期から後期にかけて発達する。




年表と弥生遺跡地図を見ていると、今回踏破したのは、地図の真ん中辺り、ほんの一部であるとわかる。森本遺跡から稲元古墳にかけてのぐるっと回った辺りである。




南の雲宮遺跡辺りからは、青銅器製作の遺物も出土している。



森本遺跡出土の丸木弓の解説が面白い。坂下克美氏所蔵の弓らしい。他の出土品は直ぐに腐ったのに、素人の坂下さんは丁寧に扱い残ったそうだ。それを正直に書いている。さぞかし本人も本望だろう。



鉄製品も比較的早い時期に使われ始めたようだ。
























ちょうど特別展示「乙訓古墳群出現前夜」をやっていて、今日のテーマにぴったり。しかも2日前に行った山城の遺物がたくさん展示され比較されていて勉強になった。







長岡京の展示も充実している。






長岡京から出土した「呪い」土器の数々。





古墳巡りの行き方を尋ねたら親切に教えてくれた。諦めていた寺戸大塚古墳も15分で行けるとわかり行くことにした。行けてよかった。その途中にある、桓武天皇皇后陵。



長岡京を築いた桓武天皇の皇后・藤原乙牟漏の墓らしい。まだわりと大きい。直径70m、高さ7mの円墳。



そこから竹の小径が整備されている。




途中に寺戸大塚古墳がある。古墳時代前期。全長95mの前方後円墳。後円部は54m。




後円部から三角縁獣神鏡、勾玉、菅玉、刀剣や農工具が出ている。前方部からは円筒埴輪や朝顔型埴輪が出ている。



元きた道を戻る。途中の見晴らしいいところから、五塚原古墳や元稲荷古墳がある鎮守森がよく見える。あのように、山上の飛び出た見晴らしのいいところに前期古墳は作られる。つまり、その時までは古墳は「純粋にひとつの共同体を守るため、見守るための役割」があり、共同体だけがその場所を知っていればよかった。もちろん旅人もその山を仰いで「素晴らしいですね」ぐらいは言ったかもしれない。その後物集女(もずめ)車塚古墳のように平地に場が移る。その時は、既に古墳は共同体だけのものではなく、遠くからやってきて遠くへ伝える旅人にこの国の姿を伝えるシンボルマーク的な役割をになっていただろう。よって、ある程度の大きさ高さが必要とされた。
また、資料館で買った「向日丘陵の前期古墳」を見ると、都出比呂志の説が全面に書かれていて、元稲荷古墳と寺戸大塚、五塚原古墳は、ひとつの系譜の元に作られており、それは箸墓古墳系譜とでも言うべき大和政権と対応しているらしい。やがて乙訓古墳群は長岡系譜にうつり、それは応神天皇陵に連なるところと対応する。そして物集女車塚古墳は継体天皇に対応するらしい。地方豪族と天皇の関係は、ここではそんな風に盛り上がっている。吉備では、また別の風が吹いていることだろう。







最終更新日  2020年11月12日 19時01分30秒
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