藤沢周平「花のあと」
映画を見たあと原作の短編集「花のあと」を読んで見た。偶然にもあと一割ぐらいしかないだろう、まだ未読の藤沢周平作品だった。 亡くなる十五年前の円熟した頃の短編集である。大泉学園町でのささやかだが、幸せな生活を反映するように、悲劇で終わる話が一つもない。 さて、文庫では一番最後を飾る短編「花のあと」であるが、あらすじは映画とほぼ同じなので、そちらを参照して頂きたい。孫四郎との試合(文庫の表紙の絵の場面)のとき以登は「どうしたことか、身体は内側から濡れるようであり、恍惚とした気分も、身体の中から湧き出るようでもある」と感じる。もし映画で北川景子が、剣士から一瞬の間に女になる、そこまで感じられる演技をしていたならば、あの映画はもっと説得力を持っただろうと思う。あの映画は、完全に剣士としてのたたずまいを見せ、武士の娘としての鍛えられた礼儀作法を見せ、そしてなおかつ表情だけで雄弁に語ることのできる女優に演じてほしかった。(無理を承知で言っています)才助の演出は映画のほうがよかった。唯一の疵は、映画の方は以登が対決して勝ったのを見届けたように才助が現れるのですが、小説の方は才助の知らない間に以登が対決をしていて、それを聞いてびっくりして直ぐに以登に累が及ばないように細工をするのです。映画の方は、以登の安全は二の次、藩の不正を正すほうを優先する才助の姿が見えないこともありません。(本当はいつでも助太刀できるように見張っていてはらはらしていたかもしれませんが)どちらにせよ、周平さんの方が人間に対して優しかったのです。 「鬼ごっこ」は見事なクライムサスペンス、「寒い灯」は嫁姑の心理の綾を江戸の冬景色の中で描く。ほのかに「幸せ」が垣間見える佳作である。 「旅の誘い」かつて小説を書き始めたとき藤沢周平は北斎を描いた。今回は広重を描く。「富獄三十六景、あれは詩ではない、力技です。しかるにここに安藤広重現れて、だ。風景を歌っている」英泉はしかし広重の底の淋しさを喝破する。周平の作家生活が反映しているのかと思いました。。 「冬の日」。冒頭「その店に入る気になったのは、外があんまり寒かったからである」緊急避難した店の中に落ちぶれた大店のお嬢さんがいたというところから始まる短篇です。むかしエッセィの中で散歩途中あんまり寒くなってお好み焼き屋に緊急避難したエピソードがありました。もうちょっとで行き倒れになりそうだったと書いていました。あの経験がこういう素敵な短編に変わったように思えて嬉しかった。その終盤、「おいしが立ち上がって、手早く涙を拭いた。そしてくるりと清次郎を振り向いた。化粧がはげてすごい顔になっていたが、その顔には、清次郎が初めて見る生気のようなものが動いていた。」かっこよくないけどかっこいい、清次郎。