2016年01月26日

出雲国の旅2-1 黄泉の国への入口

カテゴリ:旅の記録
2015年大晦日(雨のち曇り)

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朝。ホテルの朝食。レンタカーを借りて、基本的には遺跡巡りをするつもりです。ホテルの外に出ると、土砂降りの雨だった。雨は降らないはずだったのだ。日本でタクシーに乗ることは滅多にないのだが、30分のウオーキングを諦めてタクシーを使う。1人でレンタカーを借りるのも初めてだ。ナビの設定から戸惑う。

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でも、途中で島根ワイナリーがあったので、フラフラと寄ってしまった。

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試飲コーナーがあるのが目に毒。グレープジュースだけ飲む。

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自分用のお土産にのどぐろ味噌汁を買う。

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カーナビに任せて目的地に向かうと、なんと出雲大社の横をすり抜けて、その背後の神奈備山の中を上っていった。

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鬱蒼と茂る山々はなぜか枯れ木が多い。

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車はなかなかすれ違わない。峠を超えて、しばらく行くと海にでた。荒々しい日本海が姿を現す。猪目(いのめ)洞窟遺跡が目当て。十軒ほどしかない漁村だ。なんとも寂しい。

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最初の海に浸かった洞窟ではなかった。少し先の、崖崩れで全面通行止になっているところがそうだと分かる。崩れた岩を乗り越えて行ってみる。

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おお、すごい!

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説明書を読んで欲しい。

考古学的な説明は文字が小さいので、ここに少し書く。
「この遺跡は、1948年、漁船の船着場として利用するために入り口の堆積土を取り除いた時に発見された。凝灰岩の絶壁に出来たこの洞窟は、東に向かって開口しており、幅約30メートル、奥行30メートルあります。
この遺跡は、縄文時代中期の土器片も少量採取されていますが、弥生時代以降古墳時代後期までの埋葬と生活の遺跡と言えます。
埋葬の遺跡としては、人体が13体以上見つかっており、特に注目されるのは南海産のゴホウラ製貝輪をはめた弥生時代の人骨や、舟材を使った木管墓に葬られた古墳時代の人骨などがあります。生活遺跡としては各種木製品、土器、骨角器などの食料の残滓や大量の灰などがあります。」


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まさに「黄泉の穴、黄泉の坂」なり。

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わずかな光で写してみる。縄文、弥生時代から此処が貴重な住居になっているのも解る気がする。雨風がしのげて、おそらく火を炊けばかなり暖かくなったに違いない。此処で数家族が何百年も暮らしていたのだ。

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そして、海の彼方から新しい異形のモノが新しい文明を持ってくる。その人たちは、この洞窟で暮らしていた者たちのことを忘れず、あの寂しい山路を辿って明るい出雲大社になる予定の漁村に辿りついて黄泉の穴のことを語ったのかもしれない。黄泉のイメージは一般的には、古墳の横穴式石室だと言われている。横穴式古墳は複数回埋葬するように造られている。子孫は狭い羨道を通り、石室に入ると、先代の遺体が骨だけになり或いは蛆が湧いていたことだろう。それがイザナミのイメージにピッタリというのである。しかし、それは横穴式石室が流行した6世紀以降の黄泉のイメージであって、それ以前に既に黄泉のイメージはあったはずなのである。原初の黄泉のイメージは、やはりこういう洞窟であり、しかも人も祖先の霊も住んでいる「畏ろしく、神々しい処」だったのではないか。






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最終更新日  2016年01月26日 07時30分39秒
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