2020年02月29日

石清尾山古墳群探訪記B

カテゴリ:考古学
かなり迷った。大きな道から中に入ってゆく時の案内板が無いので在る。これは、絶対改善して欲しい。




猫塚。もっと双方中円墳の形が推測出来るかと思っていたら、まるきり崩れていた。古墳時代では、此処にしか無い形。弥生時代最大墳墓の楯築遺跡と同じ形である。


微かに前方部が推測できた。


わずかに、山の下の住居が見えるが、そんなに見晴らしがいいところではない。ここが最初の王墓だとしたら、最初は祭祀の方に重きを置いた可能性がある。


楯築遺跡が工事で壊されなければ比較的綺麗に残っていたのと対照的。これは積石塚の特徴なのではないか?何故積石塚を採用したのか?2つの説があるらしい。一つは、弥生以来の集積墓に起源を持つ。一つは、高句麗や百済の積石塚に起源を持つというもの。私は後者だと思う。しかし、猿真似だった。よって、数世紀ですぐに崩れるものしか作れなかったのだ。猫塚、鏡塚などは前期前半4世紀のものらしい。よって、間に200年もの歳月があって、楯築遺跡との関連はないだろうというのが定説である。つまり、祭祀の関連はないのである。来てみて、私はその思いを非常に強くした。


行けなかったが、鶴尾神社4号墳出土と言われる方格規距四神鏡もこの時期の鏡。鏡の世界は良く知らないのだけど、神獣鏡のようなゴチャゴチャしたものより格が上らしい。


猫塚からしばらく行くと、展望スポットがあって、カップルの車が長いこと停まっていた。


そのあと、完全に崩れている猫塚古墳(前方後円墳らしい)。


小塚古墳等々の積石塚系の古墳を通る。



前期後半の石船塚古墳。前方後円墳で形が残っている。



だけでなく、石棺が綺麗に残っている。頭を置く部分を綺麗に加工していた。この時期には、既に双方中円墳は築かれない。前方後円墳も、かなり前方部が長い、特徴ある古墳だ。石清尾古墳群衰退期らしい。




これが鏡塚古墳。ここから、屋島が綺麗に見える。ということは、海からもこの古墳が綺麗に見えたということだ。




更に10分ほど山道を行くと、北大塚東古墳、北大塚古墳、北大塚西古墳にたどり着く。暫く瓦礫の山があるようにしか見えない。


わずかに前方部がわかる。


ここからの景色の方が、屋島は良く見えた。鏡塚はどうしてこっちを先に頂かなかったのか。余計なお世話だけど。

そこからかなり急なそして石ころだらけの斜面を降りてゆく苦行を経て、おそらく道を間違って大回りして帰途についた。

途中で峰山養蜂場作りの蜂蜜を買う。何か記念が欲しかった。

長いこと歩く。電車で帰りたかったが、それ以上にうどんを食べたかった。県庁前のさか枝に行くと、やはりもう閉まっていた。その他、いくつかのうどん屋は閉まっていた。高松の有名うどん屋は、祝日やらないとか、やっていても2時で閉めるとかだったのを忘れていた。結局駅まで歩くことになる。兵庫商店街に着く。


うどん市場というところが開いていた。


天ぷらをその場で揚げてくれる。シソと玉ねぎのかき揚げ、ゴボウのかき揚げ、そしてかけうどん少で、410円。安いけど、美味しい。天ぷらが美味しい。いりこ出汁が美味しい。

店を出るともうすっかり暮れていた。
この日は約3万3千歩歩いた。






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最終更新日  2020年02月29日 10時43分57秒
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