104649 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

   Time can't wait ♪ sorachi

Time can't wait ♪ sorachi

福岡マリンメッセ 2008・9・20


福岡マリンメッセ 2008・9・20  レポ


ここが「福岡マリンメッセ」かあ!!

福岡マリンメッセ

「福岡マリンメッセ」は。福岡港のすぐ近くにありました。福岡駅からバスで10分ほどでした。マリンメッセに着くと、港が すぐ近くに見えました。 海もね すぐそこに・・・・


福岡マリンメッセ2



福岡マリンメッセ3



「福岡マリンメッセ」の外側の木で作られた階段を上がって行くと、小さなカフェがありました。ここからの海の眺め・・・きれいだったです。 2枚目の下は その場所から写したツアートラック♪ 時間がなく、慌てて写しまくり。


マリンメッセの中は とっても広くてびっくりです。
長い花道があって「小田さん あまり 走らないで 下さいね。」と
願いつつ・・・・


まずは 曲目リスト♪


こころ
正義は勝つ
愛を止めないで
伝えたいことがあるんだ


Re
僕らの街で
いつかどこかで
たしかなこと


夏の日
僕の贈りもの(2番)
地球は狭くなりました
眠れぬ夜
倖せなんて
愛の唄
さよなら


言葉にできない
今日もどこかで


<ご当地紀行 福岡総集編>
改装中の「福岡駅」から スタートでした。


NEXTのテーマ
Yes-No
ラブ・ストーリーは突然に
キラキラ
そのままの君が好き
時に愛は


風のようにうたが流れていた
東京の空
ダイジョウブ


またたく星に願いを
君住む街へ


YES-YES-YES
今日もどこかで(みんなで一緒に歌いました。)


忘れてた思い出のように


my home town


<小田さんのMC> 覚えていることをつれづれに書きます。 


「伝えたいことがあるんだ」の後
 
・「61歳になりました。」と、小田さんからご挨拶がありました。割れんばかりの拍手です。「昨日から、お誕生日のことで やたら不意打ち(?)( ここよく覚えていません。)(^^;;) が あって おどおどしているんですよ。

・「このツアーも、あと大阪を残すだけになりました。でも、終わらないと次が始まらないんで。」


「Re」の前に

・このツアーが始まった頃に、似合う歌を歌います。


「たしかなこと」の前に

・この歌を、麻生さんが好きらしいんですよ。僕より、年上なのにね。どうして好きなのか分からないんだけど。麻生さんの顔を思い浮かべないで聞いて下さい。(はい もちろんです。思い浮かべませんでした。何だか 歌のイメージに、麻生さんはしっくりときません。(^^*ゞ )


「たしかなこと」の後で

・「思い浮かべないで下さい・・・と言いながら、自分が一番思いだしてしまいました。政治の話をするつもりはないんだけど、昔「若い広場」という番組があって出たんですよ。牛尾次郎さんと言う経団連の人がいて、何か若い人たちを集めてね、座談会をしたんですよ。そこに、石原伸晃がいてね、まだ慶応大学に在学中だったかな?それが、今じゃ総理大臣候補ですよ。ね~~。」


そこで でべそコーナーだったのですが、どこで聞かれたんだったかなあ?記憶が曖昧で。会場の方たちに質問をされたところがありました。

「今日、僕が61歳になったと言うのを知らない人?」(何人か手を挙げられていました。)

「県外から来ている人?」 ☆\(^^;)は~~い 挙手する私。おおお、結構いらっしゃいました。

「じゃ、福岡在住の人?」おおお、これもとっても多い。そこで、小田さん。

「福岡6割!」


オフコースの当時の歌を歌って下さってる中でのMC

・人の曲はね、いいとか悪いとか分かるんですよ。これは、もうだめとかね。でもところが、自分の歌になると、どうもいいのか悪いのか、よく分からない。楽譜がなくて、コード進行だけでやってたし・・・(あと、忘れてしまいました。)

・「僕のおくりもの」って、子どもの童謡みたいな歌でしょ。(当時はそう思っていらっしゃったようです。)今は、そうは思いませんけど。


「地球は狭くなりました」の後で

・ヤスとギターを合わせて練習するんだけど、なかなか合わなかった。(メモを見ながら。)言っていい話と言って良くない話があってね~~「この道をゆけば」がでた後、もめたんですよ。それで、会社が変わって・・・(またまたあまり記憶しておりません。)作ったアルバムが三枚目の「ワインの匂い」です。(東芝の名前も出てました。)


「倖せなんて」の後で

・「イ」でなくてもいいのにね。(幸せという字のことで。)若い時は、よくこだわっちゃったんですよ。今は、こだわらないというわけではないんだけどね。


「眠れぬ夜」の後(?)で

・バラードで書いてたんだけど・・・「アップテンポにしたら?」と言われて
こうなりました。(少しバラード調でさわりだけ、歌って下さいました。)当時は、自分の歌じゃないみたいに思ってましたね。

「さよなら」の前に

・オフコースは、3人・2人・5人・4人の時がありました。何を言おうとしてたのかな?最近、泊まったところから忘れものが届くんですよ。・・・(思いだされて)そう、ジローがら、ある日、「小田さん、5人の時より、4人の時の方が長くなったよ。」と言われてそうなのか・・・と思ったことを話されてました。


「言葉にできない」の前に エレピのところで

・書きたい曲、書くべき曲、頼まれて書く曲があります。この歌は、書きたいと思って書いた曲です。

・(歌い終わられてから)「OVER」の時に作った歌なんですけども、それをまた、この福岡でこんな風に歌える・・・感慨深いものがあります。



最後のアンコールの時、拍手が鳴りやまなかったのです。その時・・・

・これ以上、幸せにしないで下さい。バチが当たるような気がしますから。

・気力は自信あるんですけどね。体力がね。でも、みんなの笑顔を見てるとね、手を振ってくれたりするとね、こりゃやめられないわ。(それぞれに体に気をつけてという話をされて。)また、博多で会いましょう。


「これ以上 幸せにしないで下さい。」とおっしゃったのですが、いつもいつも「幸せ」をもらうのは、私たちの方です。何もお返しが出来ません。何か出来ることはないのかなあ。お誕生日サプライズがなかったので、心の中で、いっぱい「おめでとうございます!小田さん、ありがとう。」を繰り返していました。もう随分と昔から、小田さんの歌に励まされてきた、勇気づけられてきました。小田さんの歌、ずっといつまでも大切にします♪


どこかで、「詩」を読まれたんです。でも、覚えれなくって・・・・
「九月は 季節の・・・・」
とっても良かったのになあ・・・・((( *-*) 忘れちゃった。最低。


どこかのアンコールで「ハッピバースディ」の歌を歌い始められたファンの方がいらっしゃいました。 便乗して歌ったんですが、拍手にかき消されちゃったというか、ちょっぴり残念でした。


8時すぎに終演だったため、ゆっくりと会場をでて、出待ち。
横浜アリーナでお友達と出待ちをした時は、小田さんが歩いて出てこられたので、手を振って下さる小田さんに、手を振り返せたんだけど、2台の車であっという間に行ってしまわれました。ファンの方たちが、「手を振ってるよ~~ 小田さん!」のざわざわ~~とした声で、え・え・どこどこ?と 目で追うだけで精一杯。あれが小田さんかな?くらいでした。手を振る間もなく、じっと立ちすくんで終わっていった「福岡の夜」でした。ほとんどの方が、どなたかと一緒なのに、一人で出待ちするか~~と 自分に突っ込みつつ。これが、ミーハーって言われるのかな?とも思いつつ。

まあ、どう思われようと、小田さんのことに限ってではなく、したいということを一歩踏みださないと後悔をしてしまうわけで。「今日」は、戻らないんだから、小田さんのことも、自分のことも、仕事も、両親の介護&看護も、家事も、適当さも適当にはさむことを忘れずに、前に進みたいと思ったのでした。


でもでも、立ち見でも行けたことは幸せです。
ただただ、夫に感謝しております。


小田さんの61歳のお誕生日は素敵な夜でした。あまり無理をされず、お元気で、歌い続けて下されば、それだけで嬉しい♪♪ \(^0^\)(/^0^)/ ♪


© Rakuten Group, Inc.