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高級な糸電話

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カテゴリ:ブログ
ブログのメインタイトルを何にするか迷っています。

今の暫定1位は”わたしの糸電話”。
そもそものこのブログを始めた理由でもありますが、
何かを綴ろうと思った時はほとんど、何か伝えたいことがある時で、
何か媒体を使って自己発信をするということは今まであまりして来なかった、
最近になって、自分もそれをしてみようかな、と思えた。
(SNSはそれなりにやってきた)

今までは自己発信なんてしてはいけないと思っていて、
好きなものを好きと言うことにあまり前向きではなかった。
(どう思われるかばっかり気になって)
(今だって誰に見られているかわからないから怖い、、、)


それを今後はやってみたくて、
自分の伝えたいことを糸電話に乗せたら、もう片方の糸電話を誰かが拾って耳に当ててくれれば、
言葉を交換しあえると思って。

名前をつけるなら、きちんと意味のある名前にしたかった。
(基本的には意味のないことはあまり好きではないかも)
(あとおしゃれな名前にしたかった♩)

一応そういう経緯でこの名前に決めました。(臭いけど)
今後変わるか変わらないかは知る人ぞ知る。(のか?)



その他にも候補は2つありました。
”わたしの右半分”と”わたしからのボトルメール”。

”わたしからのボトルメール”の意味はそのまんまなんだけど、
”わたしの右半分”はかなり意味があって、少し重い気がしたからやめた(笑)

それこそ知る人ぞ知るのか、私は小学4年の時に突発性難聴という病気を発症してしまい、
それから左耳が聞こえていない。
世の情報という情報は全て右耳からしか入って来ないから、
自分のほとんど全てを作ってきたのは自分の右半分。

読んでくれる人がいるなら出来るだけ隠し事がないように、自分の全てを伝えられるように、
そんな意味があって思いついたのだけれど、やめました。



実はこれも本当に最近、自分としては結構びっくりしていることで、
昔から付き合いのある人にでも自分の左耳が聞こえていないことを改めて言うと、驚かれることが多くて。
(自分としてはみんなに伝えているつもりだった)
案外人は自分のことを知らないし、自分も伝えきれていないし、
(悪く言えば気にも掛けていない。でもそれが悪いことではない)
自分にとっては重要なことでも人からしたらそうでもないんだなと、これに関しては少しホッとした。(もちろんこんなこと知っておくべきことでもなくて、自分のことで頭をいっぱいにしてね)

というのも、左耳が聞こえていないことをみんなに知って欲しいなんて本当は思っていなくて、
実際はそれを聞いて相手にどう思われるかが不安で、毎回恐る恐るですが伝えてしまっています。
それが理由で人間関係が変わってくることも、今までの経験上たくさんあったから。
(隠すのは違うとも思うし、隠すことでもないとも思っている)
(迷惑を掛けてしまった人たちもいるので、申し訳ない気持ちもそれはそれはたくさんあります)

もちろんからかわれることもあった。(そのとき助けてくれた友達のことは一生忘れません。とにかく心強かったし、あとそれがなかったら相手にブチギレて取り返しのつかないことになっていたかも。それくらいスレスレでナイーブでした)
気にかけてくれる人もいた。かわいそうと思われることもあった。
(正直、気にかけている風で実は見下している人はすぐにわかります。これが1番きつい、、、)

それが人間関係が変わってくる瞬間で、耳の聞こえない人として扱われるのか、
人として扱ってくれて、その中で耳のことに気を遣ってくれるのか、
(気なんか遣わなくていいのに♩)
後者の方が嬉しいのは言うまでもなく、そもそも人間としてすら扱われないことがあるのが本当にショックで、そうなった場合は脊髄からそのことを考えないようになります。



よく”コンプレックスは個性”と言われるけれども、これに関してはほんっっっまにそう。
全てを許容できるわけがないのだから、それと共に生きていく上でもう個性として捉えちゃえば良くね、みたいなことで。前向きに捉えられないからこそのコンプレックスなのだから、
無理にポジティブに捉える必要もなくて、自分の中でうまく解釈できればそれでいい訳で。
(キムタクは鼻がコンプレックスだそうです)
耳が聞こえないと言うのを個性と捉えるのは実際には多少無理があるのだけれど、
でもそれを気にしててもなーんの解決にもならないので。



こう思えているのは間違いなく、間違いなく、今まで自分を自分と認めてくれる友達がいたから。
振り返れば、突発性難聴発症当初から今まで、完全にひとりぼっちになることは1度だってなかった。
それこそ人生なので、死ぬほど辛い時もなくはなかったのだけれど、そんな時でもいつでも友達は側にいてくれた。
(耳のことオンリーで悩んできた訳でもないのは言わずもがな。すなわち人生)



どれだけ感謝しているか。



もうそれは、、、。

言葉になんかできるわけないです。

自分の語彙力じゃ到底足らなくて。
(誰いまFラン卒って言った人)



これ、全然特別じゃないよね。

すごく大ごとのように書いてしまったけれど、(私にとっては大ごと。本当にありがとう)
みんなもそうだったりしない?

人って本当に偉大だよ。
特別でもなんでもなく、人は人に対してこう言うことができちゃう。
見えない何かで支え合っている。
とんでもないパワァがある。(きんに君)



でもそう思えない人もいる。
それって、そう思うか思わないか、そう考えようとするかどうかでしかないと思う。
そう感じられないと言うか、、、。

幸せって”気付き”だったりするよ。

矛盾しているのは百も承知で言うのだけれど、人ってちっぽけだったりもする。
(というより基本的にはちっぽけかと)
自分1人の感性でしか生きられないから。
(1回誰かと脳みそ交換してみたいよね)

生きてきた上で知り得たことでしか、与えられたことでしか解釈が出来ない。
ありがたいことをありがたいと解釈できないこと、これは必ずしも本人のせいではないのだけれど、
そうなれない人もいる。



ぼくはそうではない。
心が健康な時は、美しいものを美しいと感じ、
生きているだけで感謝できる。

感謝を感じられることにすら感謝しています。



それもこれもいつも側にいてくれた友達のおかげ。

むしろ友達だけのおかげでもなくて。
今まで関わってきた人全員から出来た自分の感性だから。



そう思える人を、今度は自分が、
少しでも増やせたらいいな。

でも感性の押し付けはしません。
くまなくみんなに幸せになって欲しいから。
自分自身の形でね。

もっともっと人のことを考えないと、それは難しいね。



今回の糸電話はこれで終わりです。



※尚、現在転職活動中ですが、突発性難聴のせいで再就職先が決まらない恐れが大いにあります。その際はまた友達に頼ることになると思います。側にいてくれるよね!?







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Last updated  2023.02.21 23:23:49
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