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高級な糸電話

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書きたいことが浮かんだので書こうと思います。
と書いてから何度も保存と編集を繰り返して、なかなかの期間を経て、なかなかの長編になってしまいました。

私は二十歳の時に無謀ながらも無計画で、1年間オーストラリアに行っていたことがあります。
これは今の自分の指針ともなったとても大きな出来事で、
人生の転機は思い返せば数回はあったけれど確実にそのうちの一つだったと思っています。

今考えれば無計画で行ったことの馬鹿さに頭を抱えたくもなりますが、
後悔は一切していませんし、むしろその時の自分を褒めてやりたいです。

これも個人の価値観でしかないですが、今の自分だったらこうするだろうな、
はその当時の自分にはもちろん考えられないし、その当時の自分にしかできない判断だったからこそ
できた経験でしかないので、年相応の判断力を持ってしまった今の自分だったら
そもそもオーストラリアに行っていないかもしれないので、やはり若さと勢いは大切です。
(おれには判断力はないけど決断力はある!と当時は思っていました。バカはバカでも可愛い方のバカです)(大切にしてあげましょう)

オーストラリアに行くことを決めたのは実際に渡航する半年前で、
大学1年時に、入学前から利用したかった大学独自の交換留学制度を利用しないと決めた時から
どこかのタイミングでは海外に行こうとは思っていたので、やっと覚悟が決まった、
タイミングが合ったのがその時だったのだと自分では思っています。
(交換留学はアメリカの提携大学への留学だったので、普通よりも安く行けることに魅力を感じてその大学に入ったので本末転倒だった気もしますが、今は当時の自分の判断を100%支持します。入学直後にその提携大学に一週間研修に行ったのですが、あまりにイメージと違ったのでやめました)

行くと決めてからの半年は学校に行きながら、とにかくバイトをしてお金を稼ぎました。
ほとんど寝る暇がなかったのはバイトを増やす前からだったのですが、
その半年間はほぼ寝ていなかったと思います。
実際、必死すぎて辛すぎたからか、今はその時期のことを全く覚えていません。
過去最高に痩せて、過去最高に肌荒れがやばかったのだけ覚えています。
(体重は52kg、肌はブラマヨ吉田でした)

本当に時間がなかったから、
(1番肝心な)オーストラリアに着いてからどうするかを考える暇がなかったので、
無計画でシドニー空港に降り立つことになってしまったのです。

大学の時の自分はポンコツ中のポンコツだったので、(今も?)
課題は全然終わらないし、大学が終わればバイトにすっ飛んで行って、
そのバイトが終われば次のバイトにすっ飛んで行ってを繰り返していたので、
本当に課題をほとんど出していなかったと思うし、単位なんてろくに取れていませんでした。
(アメリカ人の先生はめちゃめちゃ課題を出してきます)
(大学2年の時に出された肝臓の移植手術についての課題は日本語でも書けるわけがないので本当に無理でマジで頭がいかれていると思いました)

オーストラリアについて最初の1日は、本当になんにも出来なくて、
ずっと空を眺めてボケーっとタバコを吸っていました。
その時の記憶は鮮明に覚えていて、メビウスが残り数本しかなくて、
先行き不安過ぎて心のよりどころがそれしか感じられなかったので、
あと数本で世界が終わる、、、くらい絶望していました。
(でもそういう反面、なぜかその時の空の青さは鮮明に覚えています。日本の空よりも澄んでいて、本当に一日中見ていられる。日本で見ていた空は作り物のように思えました)
(3月の末だったので、オーストラリアは夏の終わりかけでした)

恥ずかしながらオーストラリアでどうやって仕事を探すのか、
家はどうやったら借りられるのか、本当に本当に何も知らなかったので、
シドニー空港のfree Wi-Fiで「オーストラリア 住み込み バイト」と
日本語で検索しました。(ここ、笑うポイントです)

そんなこんなで見つかったのがメルボルンの近く、
(近くと言ってもメルボルン駅から電車で40分くらい)
スプリングベールという街のシェアハウスで暮らしながら、いちごのピッキングをするという仕事です。
すぐにシドニー空港からメルボルン空港へのチケットを買い、
翌日には飛行機に乗って、電車を乗り継いでスプリングベールに行き、
シェアハウスにお世話になることになりました。
(もともとシドニーはゴキブリが多いと聞いていたので住むつもりはサラサラなく、ただ降り立っただけで、これ以降1年間シドニーに戻ってくることはありませんでした。成田空港からメルボルン行きが出ていなかったのか、チケット代がとっても高かったのか、何らかの事情があってシドニー空港に降り立ったことを記憶しています)
(ちなみにオペラハウスは行ってみたかったのですが、行こうと思えばいつでも行けるのでいいかなと思っていました)
(結果、今現在も行ったことはありません)
(とっても行ってみたいです)
(オペラハウスは行こうと思えばいつでも行ける所ではありませんでした)

ここの描写をもう少し詳しく書くと、メルボルン行きの飛行機は翌日の早朝の便だったので、
シドニー空港内の旅行代理店で
I’m just looking for the cheapest hotel.と言って紹介された、一泊200$のホテルに泊まることになったのですが、オーストラリア在住1日20歳日本人男性にはこれが安いのか高いのか分からないし、チーペスト、つまり1番安いホテルを探していると言ってそこを紹介されたのでそうするしかなかったし、もっと情報収集ができるような会話を英語でできるレベルになかったので、自信もなくなっていて人と話すことすら無理だったので、とっても綺麗な夜景の見えるホテルを予約することになったのですが、さらにそこまで行くのも無理で、夜とはいえ夏の暑い中を2時間くらい歩いて、迷いに迷って現地に住んでいる日本人女性に奇跡的に会って道を聞くことができなければ、結構いいホテルを泊まらないのにただ予約しただけの人になりかねなかったのはやっぱり可愛いおバカちゃんだったんだと思います。(おかげでみんなから愛されています)(すみません)
(マジで大変でした)(日本に帰ろうかと思いました)

スプリングベールで住むことになったところはシェアハウスというよりはアコモデーションと言って、みんなアコモアコモと言いますが、日本で言うと寮みたいな意味になるんだと思います。

すみません。ちょっと長編すぎるので、一旦オーストラリア上陸編終了として次回に続きます。
次回更新がいつになるのかは言わずもがな未定です。乞うご期待。








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Last updated  2022.05.30 20:52:59
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